橿原日記 平成17年11 月13日

三たびダイトレに挑む(ルート区間 屯鶴坊(どんづるぼう)竹内峠(たけのうちとうげ)

奇勝・屯鶴坊
奈良県の天然記念物に指定されている奇勝・屯鶴坊 (2005/11/13 撮影)


違いがあって、本日に予定していた史跡探訪の企画に参加できなくなった。
参加するつもりで、昼の弁当やペットボトルなどはすでに買い込んであった。
天気予報を調べると、関西地方は終日秋晴れの良い天気だそうだ。大陸の高気圧が本日も張り出してきている。
窓の外を見ると、雲一つ見あたらない青空から、暖かそうな日差しが注いでいる。

サザンカの花−
サザンカの花−
二上山雌岳山頂付近に
咲いていたサザンカの花
んな日に、何もしないで一日アパートに閉じこもっているなんて、とてもできない。
さて何をしようか、と思案し始めた途端、あることが途中で中断していることに気づいた。ダイヤモンド・トレール(ダイトレ)の縦走である。
前回は屯鶴坊まで歩く予定だった。だが、竹内峠で終わってしまった。

ったん心に決めた物事を完遂しないと、いつまでも気持ちのどこかに、シコリとして残るものだ。
奇しくも、本日は13日である。
2ヶ月前の9月13日にはダイトレを金剛山から葛城山まで歩いた。
1ヶ月前の10月13日には葛城山から竹内峠まで歩いた。
13という日に何か因縁があるのかもしれない。
史跡探訪に行けなかった代わりに、本日は屯鶴坊から竹内峠まで歩いてみよう。
そう心に決めると、用意ができていたリュックサックを背負って、近鉄電車に飛び乗った。
行く先は南大阪線の「上ノ太子」駅。橿原のアパートに近い「畝傍御陵前」駅からは、電車を乗り継いで30分ほどで行ける。



「上ノ太子」駅から屯鶴坊へ

屯鶴坊付近の地図
屯鶴坊付近の地図
イヤモンド・トレール(略してダイトレ)と呼ばれる長距離自然歩道は、二上山・葛城山・金剛山・岩湧山を経て槙尾山まで、金剛生駒紀泉国定公園の中心となる山々を縦走するハイキングコースである。そのハイキングコースが、なぜか屯鶴坊を起点としている。屯鶴坊とは、白色凝灰岩(ぎょうかいがん)が白い肌をムキだしにしている景勝地である。

歩で屯鶴坊にアクセスするには、2つの方法がある。
 一つは、近鉄南大阪線の「二上山」駅から府道703号線(香芝太子線)を穴虫峠へ向かう。穴虫峠は、現在の奈良県と大阪府の県境に位置している。穴虫峠に差しかかる少し手前で、府道の脇に屯鶴坊の標識が立っているので、道に迷うことはない。
 今一つは、「二上山」駅の一つ先の「上ノ太子」駅から府道703号線を逆の方向にたどる。
 以前、車で屯鶴坊を訪れたことがある。今回は「上ノ太子」駅からアクセスすることにした。


「上ノ太子」駅
「上ノ太子」駅の南側の駅舎
前10時25分、「上ノ太子」駅のプラットフォームに降り立った。太子町にある叡福寺は、聖徳太子讃仰の聖地の一つで上ノ太子と呼ばれている。だが、「上ノ太子」駅は太子町ではなくて、隣の羽曳野市に属している。
 「上ノ太子」駅には久しぶりに来た。電車を降りて驚いた。以前とはずいぶんと趣が異なっている。
 駅のすぐ近くを通る南阪奈高速道路が、2004年の3月に完成した。それに伴って、駅周辺が大幅に整備された。

周辺だけではない、駅そのものも整備されて、線路の南側にも新しい改札口ができている。
 その改札口に向かいながら、反対側古い改札口方向を見ると、駅前広場に大勢の親子連れがたむろしていた。日曜日なので、どこかの行楽地へ出かけるバスを待っているのだろう。


「上ノ太子」駅付近の高速道路の高架
「上ノ太子」駅付近の高速道路の高架
「上の太子みかん園」の入口
「上の太子みかん園」の入口
「上ノ太子」駅の前を南阪奈高速道路が通っている。高速道路の高架下に新しい道路ができていた。その道をたどると、すぐに国道166号線に出る。太子町の町中を抜けるこの国道は、お馴染みの道だ。以前、聖徳太子の史跡を巡ったとき、なんどもこの道の近辺を歩き回った。
 町中の「春日北」交差点で左折して、国道から府道703号線に入った。香芝太子線と呼ばれるこの府道は、近鉄南大阪線とほぼ平行に走り香芝市の穴虫へ続いている。

芝太子線はやがて高速道路の高架下を通る。前方を見ると、電車の線路沿いの道を親子連れが一列になって歩いてくるのが見えた。何のことはない。「上ノ太子」駅から線路沿いに近道があったのだ。
 彼らは、どうやらその先の「上の太子みかん園」を目指しているらしい。本日の最高気温は摂氏20度との予想が出ていた。暑からず寒からずで、秋空の下で親子連れのミカン狩りは、最高に楽しい一日になるにちがいない。
 電車の線路の向こう側は、小高い山である。その山腹を、色づいた果実を付けた蜜柑の木が無数に植えられている。車で蜜柑狩りにやってきた家族も多いのだろう。府道脇の駐車場は、マイカーで満車になっている。

かん園の入口あたりから、香芝太子線は登り勾配にかかり、ゆっくりと穴虫峠へと向かう。
 平成17年10月1日、新庄町と當麻町が合併して新しく「葛城市」が誕生した。
 古代、旧当麻町の長尾から北に向かって二上山北麓の穴虫峠から田尻を経て柏原市の国分に至る道を「大坂道」といった。大坂道の名は穴虫峠を大坂と呼んだことによるという。


ダイヤモンド・トレール北入口の標識
ダイヤモンド・トレール北入口の標識
穴虫峠
穴虫峠を越えて1車線の悪路に変わった香芝太子線
手にため池があり、若者が釣り糸を垂れていた。その先の坂道の途中に、ダイトレの標識が立っている。北入口の標識である。「上ノ太子」駅かたこの地点までは、約3.5km、45分の道のりである。
 ここから山道へ踏み入れれば、二上山の雌岳(めだけ)に登ることができる。だが、ダイトレの起点は、穴虫峠の先にある屯鶴坊である。府道を約1kmほど行けば屯鶴坊に到達できる。

日の山歩きの起点は屯鶴坊からと決めていた。そこに到達するには、さらに坂道を登っていかなければならない。
 視線を左手の山の斜面に投げると、切り開かれたブドウ畑の棚が長々と続いている。
 坂道の途中に一軒の店があった。地元でとれた野菜や果物を路傍で売っている。

の先で、香芝太子線が急にカーブし、近鉄南大阪線の上を抜けていく。標識もなにもないので分からないが、どうやらそのあたりが穴虫峠らしい。11時23分、「上ノ太子」駅から歩いてほぼ1時間で、この峠まで来た。その先から道は、下り坂になる。
 今まで2車線だった道路が、線路をまたいだ途端、一車線の狭い道に変わる。
 屯鶴坊の入口に立つ標識は、穴虫峠から少し下ったところにあった。



屯鶴坊の景観

道路脇にある屯鶴坊の標識 屯鶴坊へ続く階段
道路脇にある屯鶴坊の標識 屯鶴坊へ続く階段
鉄南大阪線の線路と平行して走る703号線道路(香芝太子線)の途中に、屯鶴坊の標識が立っている。 車の往来が激しい、それでいて狭い坂道の途中である。車を駐車するスペースもほとんどない。 11時25分、やっと屯鶴坊の入口に到着した。

>雪が降り積もったような白さを見せる屯鶴坊
降り積もった雪の白さを見せる屯鶴坊
畳を重ねたような凝灰岩層の傾斜
畳を重ねたような凝灰岩層の傾斜
鶴坊までは、比較的長い階段が続いている。
 付近の雑木林が紅葉し、その落ち葉が階段の上に散乱している。
 梢越しに秋の青空を仰ぐことができる。一歩階段を登るたびに、重なり合った落ち葉が足下でカサカサ音を立てる。深まり行く秋を満喫できる一瞬である。

段の登り切って少し進むと、道が右に折れ、その先に白色凝灰岩(ぎょうかいがん)が白い肌をムキだしにした屯鶴坊の岩山が広がっている。
 屯鶴坊は二上山(にじょうさん)の西北に位置する景勝地である。
 標高150mに位置し、周囲を山々に囲まれて特異な別天地を感じさせる。
 地層のおもしろみをみせる奇岩によって、付近の人々には景勝地として知られている。

から1500万年前から2000万年前、地質学でいうと、新生代第三紀中新世後期に、二上山の火山活動によって、火山灰や火山弾などがふもとの湖に降り積もった。
 その後の地殻変動で湖が隆起し、さらに雨や風などの自然作用で浸食されて現在の地形になった、とされている。地質学上貴重な存在として、昭和26年(1951)に奈良県の天然記念物に指定された。

くから見ると松林に多くの鶴が屯(たむろ)しているように見れることから、屯鶴坊と名付けられた。この屯鶴坊がダイヤモンド・トレースの起点となっている。



ダイトレの北入口から二上山雌岳へ

>ダイヤモンド・トレールの北入口
ダイヤモンド・トレールの北入口
>北入口から竹内峠までのルート図
北入口から竹内峠までのルート図
最初の上り坂
最初に待ちかまえていた上り坂
二上山の雄岳(左)と雌岳(右)
途中の尾根から見た二上山の雄岳(左)と雌岳(右)
雌岳の近くに築かれた展望台
雌岳の近くに築かれた展望台
午の時報が鳴る2分ほど前に、ダイヤモンド・トレール(ダイトレ)の標識のところに戻った。
 ここが、北は屯鶴峯(どんづるぼう)から、南は大阪府和泉市の槇尾山(まきおさん) までを結ぶ総延長45kmの自然歩道の北側の入口にあたる。

識の脇に、竹内峠までのダイトレのルート図が描かれている。
 二上山の雌岳と二上山万葉の森を経由して竹内峠に至る3.7kmの山道を歩くことになる。
 前回は、このルートを竹内峠から屯鶴坊まで歩いてくる予定だった。だが、最初の部分で道を間違え、無駄な時間を費やしてしまった。その結果、竹内峠に到達したときは、夕暮れが近づいていた。やむを得ず残りの3.7kmの区間を断念した。
 その残り区間を今日は逆に歩くことになる。

き始めた山道は、最近手入れされたのか、脇の雑草がきれいに刈られている。だが、日陰のせいで、幾分ぬかるんでいた。
 数分も歩かないうちに、最初の上り坂が迫ってきた。だが、先月や先々月に経験したような急坂ではない。それに距離も比較的短かった。9分ほど登って、山の尾根に出た。
 ダイトレは基本的に山の尾根伝いに築かれたハイキングコースである。稜線の起伏がそのまま上り下りの坂道となる。歩行者の便を考えて、急な斜面をジグザグに付けられた道ではない。

日のルートも、随所に上り下りの坂道があった。だが、途中で何回も一息入れなければ上り切れないという坂ではない。それに加えて、距離も比較的短いのは助かった。
 総じていえば、前回や前々回歩いたルートに比べて、かなり歩きやすい山道だった。
 また、杉や檜の植林の中を進む山道ではない。このあたりの山を覆っているのは雑木林である。本来なら、全山が紅葉して美しいはずだが、今年は色づくのが遅れている。
 雑木林が切れたあたりからは、仲良く並んだ二上山の雄岳と雌岳が眺められる。雌岳までの道は、途中にアップダウンがあっても、基本的には上り勾配である。

日は11月に入って2回目の日曜日である。気候も天候もよい。もっと多くのハイカーたちがダイトレの踏破に挑戦してくるものとばかり思っていた。
 不思議なことに、誰にも会わない。反対側から下ってくるハイカーも、小生を追い越して行くハイカーもいない。
 12時30分、二上山が眺められる場所で15分ほど休んで昼食を取った。昼食といっても、コンビニで買った握り飯2個である。

2時50分、北入口から1kmの距離にある電力の送電線の鉄塔を過ぎた。相変わらず誰とも会わない。
 12時55分、次の緑色の鉄塔にたどり着く。やっと人間に会えた。二人の男が鉄塔の下で休息をしていた。
 その鉄塔を過ぎて下りの坂道の途中で、反対側から登ってくる男女の団体さんにあった。数えてみたら16人のグループだった。いずれも肩で息をしている。下りは気にならないが、反対側から登るのはかなり厳しい坂のようだ。

後1時15分、反対側から二上山雌岳へ上ってくる坂道との合流点に着く。途中で15分の食事休憩を取ったので、1時間をかけて2kmの山道を上ってきたことになる。
 近くに黄色くペンキを塗った展望台がある。登ってみた。河内平野が一望できた。
展望台から見下ろした河内平野
展望台から見下ろした河内平野 (2005/11/13 撮影)



二上山雌岳に立ち寄る

馬の背
雄岳と雌岳の鞍部にあたる馬の背
二上山雌岳の山頂
二上山雌の山頂、標高474m
雌岳山頂の日時計
二上山雌岳山頂の日時計
上山雌岳への上り道と今まで上ってきた山道の合流点に、ダイトレの標石が置いてある。この地点から1.7km下っていけば、万葉の森を経由して竹内峠へ出ることができる。
 だが、折角ここまで上ってきたのだから、ダイトレとは少し脇へ逸れるが雌岳の山頂まで上ることにした。
 上り坂を行けば、二上山の雄岳と雌岳の中間にある「馬の背」に出る。そこから、雌岳の山頂は近い。

年ぶりかで訪れた「馬の背」も様変わりしていた。
 公衆便所が新しくなり、しかも雨水を利用した水洗便所に変わっている。
 便所の前の売店も、以前は自動販売機だけだったが、現在は老婦人が常駐している茶店になっている。
 売店横の坂道は、相変わらず急だが、ここを登り切れば標高474mの雌岳山頂に達する。

頂の広場の中央には、巨大な日時計が築かれている。この場所に日時計をモニュメントとして置いた経緯を、近くの案内板が次のように説明している。
 すなわち、奈良県の箸墓古墳を中心に淡路島から伊勢までの北緯34度32分の線上に、太陽崇拝および山岳信仰と何らかのつながりがある古代祭祀遺跡や社寺が並んでいるという。この東西の線は「太陽の道」と呼ばれていて、雌岳もこの線上に近接していて、ご来光を拝するのにかっこうの場所になっているという。こうした古代からの太陽と日常生活との関わりを思い起こさせるために、日時計が置かれたというのだ。

岳山頂から、眼下に大和盆地を見下ろすことができる。盆地の中央にへばり付いている大和三山は、常に目立つ存在である。だが、本日は風がないせいか、下界の景色はモヤに霞んでいる。




二上山雌岳山頂から見下ろした奈良盆地
二上山雌岳山頂から見下ろした奈良盆地 (2005/11/13 撮影)



二上山万葉の森に向かって下山する

舗装された下り道
ダラダラと続く舗装された下り道
岩屋の千年杉
岩屋の千年杉
岩屋
史跡岩屋
石切遺跡
二上山凝灰岩の石切遺跡
古代池
古代池
万葉の森の入口に置かれた碑
万葉の森の入口に置かれた碑
上山雌岳から竹内峠へ向かうダイトレは、一方的な下り坂である。しかも、道幅が広く舗装されている。急な坂道だが、小形の車なら十分上ってこられる。「馬の背」の茶店にいろんな物が売られている理由が、やっと分かった。

中で、犬を連れて坂道を上ってくるハイカーに何人もであった。山麓の「二上山万葉の森」の駐車場に車を置いて、散歩がてら坂道をゆっくりと上がってくる。自転車を押しながら上ってくる学生もいた。


り坂の途中に、岩屋峠方面の標識が立っている。岩屋峠とは竹内街道から當麻寺(たいまでら)への近道として利用された峠道である。江戸時代、松尾芭蕉も何度も岩屋峠を越えたという。
 標識から少し上ったところに、岩屋と岩屋の千年杉がある。
 岩屋杉は、幹の周りが5m80cm、高さが28mもあった老杉である。残念ながら平成10年9月の台風7号で倒れてしまった。文字通り1000年の風雪に耐えた巨木も、今は樹皮をはがれ、岩屋への道を塞ぐように横たわっている。

のフェンスで囲まれた岩屋は、西向きに切り開かれた大小2基の石窟遺跡である。
 出土した須恵器などから、中国の石窟寺を真似て奈良時代に造られた石窟寺院の跡と推測されている。
 大石窟の内部中央に、凝灰岩で作られた3層の塔(高さ3m)が置かれている。
 北壁面には三尊立像の浮き彫りがあったようだが、現在は光背部分が辛うじて識別できるだけである。


「岩屋」から少し西へ下ると「石切遺跡」がある。
 二上山は今から1500万年程前に噴火したトロイデ式の火山である。空中に吹き出された火山灰が至る所に堆積して凝灰石を形作った。
 凝灰岩は柔らかく細工しやすい。そのため、7世紀から8世紀にかけての古墳時代終末期には、二上山から切り出された凝灰岩で古墳の石棺が作られた。
 古墳の石棺や石槨に利用されただけではない。ここの凝灰岩は川原寺や薬師寺、法隆寺などの基壇に用いられた。京都平安京の造営にも使用されたとされている。


道をさらに下っていくと、途中に古代池がある。
 なぜ古代池と呼ばれているのか分からない。
 池の周りの広場では、二上山朝粥会が毎月第一日曜日と毎月の23日が日曜日または祝日の場合に、早朝に登山して下山してくる会員に茶粥と漬け物をふるまう。
 朝粥会は平成3年に万葉の森管理者の西村平和氏と故上田賛氏が創設したもので、茶粥を「河内のおかいさん」と呼んでいる。


代池を下って行ったところに、二上山万葉の森の入口がある。国道166号線に面していて、横長の碑が置かれている。
 ダイトレはここから国道を東へ向かう。およそ600mほど国道の路側帯を進めば、竹内峠である。だが竹内峠まで行っても、本日はそこからダイトレの山道に進むのではない。また万葉の森方面に引き返し、太子町を抜けて「上の太子」駅に向かうことになる。
 わずか600mの行程を残して、本日の山歩きに終止符を打った。「上の太子」駅までは、まだ4.3kmの道を歩かなければならない。



2005/11/14作成by n_ohsei2004 return