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畝傍山頂から見た今朝の金剛・葛城山系 (H17/10/13 撮影) |
| ●ススキたなびく葛城山頂 ●道に迷った方向音痴 ●尾根を行くダイトレ ●持尾辻から平石峠まで ●平石峠から竹内峠へ |
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誘われている以上、出かけないわけにはいかない。散歩から戻ると、いつものリュックを担いで、その足で電車に飛び乗った。行く先は葛城山ロープウエイ。前回の山歩きはそこで中断した。 できることなら、本日は葛城山頂から目的地の屯鶴峰(とんずるぼう)まで歩いてみたい。地図で直線距離を測定すると、この区間はおよそ9.9km。もちろん山道は直線ではなく、またアップダウンの坂道の連続である。実際に歩く距離は当然もっと長くなる。ちなみに、前回歩いた距離も地図上で測定してみたら8.3kmあった。と言うことは、前回以上に長い山道が待ち受けていることになる。(関連地図は(「ダイトレマップ(ルート区間 葛城山頂→屯鶴峰)」)を参照のこと。) 本日の山歩きの様子を以下でレポートしよう。実際には、ある出来事のために屯鶴峰まで踏破することはできなかった。途中の竹内峠(たけのうちとうげ)まで到着したときは、すでに午後の3時に近かった。その時間から二上山を経て屯鶴峰まで行こうとすれば、途中で日が暮れてしまう。ある出来事については、本文の中で明らかにする。 |
ススキたなびく葛城山頂
葛城ロープウエイは、昭和42年(1967)3月に開通した。毎秒5mの早さでゴンドラが上昇するにつれて、眼下に大和盆地が広がってくる。大和三山を中心とする盆地の眺めは実に気持ちがよい。よく晴れた日には、北に眼を転じれば、生駒山の山頂にならぶ鉄塔まで見えるという。約9分の時間をかけて高低差561mの空中の登ってきたゴンドラは「葛城山上」駅に着く。
葛城山の山頂は高度959.7mである。下界に比べるとかなり温度差があるようだ。朝の空気はいくぶん肌寒さを感じる。だが、雲一つない青空から降り注ぐ日の光はあくまで明るい。まだ紅葉には早い木々の葉が、日の光を浴びて若々しく見える。路傍の笹の葉の上で踊っている光もまばゆい。 前方左手に白樺食堂葛城売店が見えてきた。朝が早いせいか、それとも平日で客が少ないとみてか、まだ店は開いていない。その食堂を通り過ぎたところに、「葛城山頂を経て水越峠」方面への標識たたっている。先を行く夫婦連れの後を追って、標識通りの小径をたどることにした。
すぐに山頂に出た。樹木のない山頂の三角地点近くに白いモニュメントが置かれていた。頂上から東を見れば奈良盆地が、西を見れば河内平野が一望に見渡すことができる。晴天に恵まれた今朝はかなり遠くまで眺望が効いた。季節はすっかり秋である。原っぱの周りの草むらにはススキが穂を出していた。そういえば、今月25日から葛城高原ではすすき祭りが始まる。
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道に迷った方向音痴案内板によれば、ダイヤモンド・トレイル(ダイトレ)は、大阪府と奈良県が共同で昭和44年(1969)より整備してきた長距離自然歩道である。総延長45km、幅1.0〜2.0mの自然歩道には要所要所に標識が立っていて、地図を携行しなくても道に迷うことはまずない。従って、今回も地図など用意して来なかった。さて、二上山方面への標識はと、あたりを探したが、山頂付近には見あたらない。
ロープウエイの山上駅方面へ戻れば、どこかに標識があるだろうと思って、とにかく駅方面に向かって歩き出した。だが、標識は見あたらない。途中で道路を掃除しているオバサンたちがいた。よく見ると、先ほど同じゴンドラで登ってきた婦人たちである。腕に緑化団体の腕章を着けている。 二上山方面へのダイトレはロープウエイ山上口駅方向ではなくて、近くの葛城山ビジターセンターの脇にあると、彼女たちに教えてもらった。確かにビジターセンターの玄関前に標識が立ち、矢印方向の板に平石峠まで6.6kmと表示してある。センターの脇を抜けてゆくと、葛城高原キャンプ場にぶつかった。特に標識はない。 二上山は葛城山の北にあるのだから、右に折れて坂道を登って行けばよい。そう判断して、右手へ進もうとしたら、前方の木にロープが渡されているのが眼に入った。通行止めのロープのようだった。それで、仕方なく反対側を見ると、キャンプ場の下に比較的広い道が見える。下り勾配の林道だが、こちらの道を行けば良いのだろうと、とっさに判断した。それが大きな間違いのもとだった。 その林道は車が一台通れるほど広く、しかも舗装してある。しかし、相当急な坂道である。山頂付近にある葛城山ロッジへ麓から食材などの物資を運ぶために設けられた道だろう。ダイトレはその一部を利用しているに違いないと、最初は思った。だが、なんだか様子が変である。どこまで下っていっても途中に「弘川寺」と書かれた標識が一カ所立っていただけで、何の表示も見あたらない。 元のキャンプ場まで戻ろうかと考えて振り返ってみた。しかし、急な上り坂が延々と続いているのを見ると、とても引き返す気力がでない。明らかに道を間違った。このまま進めば、どこかに二上山方面への標識にぶつかるかもしれない。そう思って、なおも坂道を下っていくと、警察無線のパラボラアンテナを何基か付けた鉄塔の側にでた。その鉄塔の下で一息いれていると、偶然にも下から軽トラックが上ってきた。 車を止めて聞いてみると、やはり道を間違っていた。このまま下れば、西行法師終焉の地である弘川寺(ひろかわでら)で知られる南河内郡河南町の弘川に出るという。運転手は葛城山ロッジへ荷物を運ぶ途中だというので、頼み込んで助手席に載せて貰った。何処で道を間違えたのか聞くと、キャンプ場の横を尾根づたいに上っていけばよいという。でもロープで通行止めになっていたというと、そんなはずはない。何かの見間違いだろうという。 キャンプ場で車を降ろしてもらって、先ほどのロープの見えるところまで戻った。側まで寄ってみると、ロープは自然歩道を通行止めにしていたのではなく、何かの目的で道の脇に張ってあるだけだった。遠目で通行止めのロープと判断したのが、失敗だった。この失敗で、30分以上時間を無駄にしたことになる。 |
尾根を行くダイトレ (区間 大和葛城 − 持尾辻)
歩き初めて気づいたのだが、大和葛城から平石峠へ向かうダイトレは、そのほとんどが金剛・葛城山系の尾根づたいに築かれている。植林されたヒノキの林や雑木林の中を行く道は、思いの外明るい。見上げると木々の梢の間から青空が見える。足下を見れば、道の枯葉の上に木漏れ日が光りの縞を作っている。 それに加えて、前回歩いた金剛山−葛城山の区間に比べると、平坦な箇所が多い。もちろん尾根伝いに道であるから、途中に下り坂があれば、その反動で上り坂が続く箇所もある。だが、丸太を横に渡しただけの階段にはそれほど段差がないので、比較的歩きやすい。そうした山道が延々と続く。 キャンプ場から最初に休憩を取ることになる持尾辻(もちおつじ)の休憩所まで、筆者の足でおよそ1時間の行程である。その間に何も見るべきものはない。ただヒノキの林や雑木林の間を縫って自然歩道が長々と続くばかりである。風もない。野鳥の声も聞こえない。行き交うハイカーの姿もない。ただ、歩道に積もった枯葉を踏む靴音だけが周りの静寂を破るのみである。 こういう静寂の世界に置かれると、人間は死というものを考えたくなるのかもしれない。2ヶ月前のお盆の最中に、一人の友人が他界した。歩きながら、しきりに彼のことが思い出された。民間企業に入社して以来の付き合いだから、彼とは45年以上の付き合いだった。死因は癌である。方々に癌細胞が転移し、血液まで癌に蝕まれて、最期は壮烈な死を遂げた。 余命幾ばくもないと悟った本人は、宗教関係の書籍を読みあさった。そして、達した結論は「神仏、頼むにしかず。宗教とは人間が作り上げた壮大な虚構にすぎない」ということを、いつかメールで知らせてきた。葬儀に関しても「自分は戒名は要らぬ、葬儀に坊主は呼ぶな、身内や親しい友人だけとのお別れの会にしてくれ」と遺言したそうだ。 人間はいつかは死ぬ運命にある。だが、彼の死は早すぎた気がしてならない。「俺たちは彼の分も生きて、せめて80までは生きていようや」葬儀の日、もう一人の友人が小生の耳元でささやいた。だが、身体障害者手帳を持ち歩く筆者には、そんなに生き抜く自信はない。 ふと、今ここで心臓発作が起こったら、と想像して見た。その可能性は十分にあり得る。人里を遠く離れた山中である。行き交うハイカーもいない。おそらく路傍のヒノキに持たれながら、両手で胸を押さえたまま、息絶えるであろう。最近はそのような己の死に様を肯定したい気持ちがどこかにある。家族に見守られて、我が家の畳の上で死ぬことだけが最上の死に様とも思えなくなってきた。大自然に抱かれてそのまま息を引き取るのも、それほど悪くない。 そんなことばかりを考えてダイトレを歩いてきたわけでもないが、周囲に同じような光景ばかりが続いていると、なぜか昔の事ばかりが思い出される。そうした思い出の中に身をおくことで、人間は癒やされるのかもしれない。周りの自然が癒やしてくれるのではない。自然の中でさまざまな思い出を反芻することで、気持ちが癒やされてくるのである。 午前11時30分、左手のヒノキの林がとぎれて、雑木林のわずかの隙間から、眼下に広がる河内平野を見下ろすことができた。PL教団の白い巨塔が聳えるあたりは富田林あたりである。突然、行く手の坂道を両手にステッキを持ちながら駆け下りてくる男性に出会った。本日初めて会ったハイカーである。修験道を早駆けでもしているのだろうか、あっという間に通り過ぎてしまった。 11時45分、自然歩道を歩き始めてからほぼ一時間歩いて、ヒノキの植林の中にベンチが置いてあるところでに出た。葛城山から3.5km地点に築かれた最初の休憩所である。持尾辻という。この休憩所から左手に下れば、2.9kmで河南町の持尾というところに出る。二上山方面へは、ここから岩橋山まで1.8km、平石峠までは3.3kmの行程となる。
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持尾辻から平石峠まで
12時4分、休憩所を出発する。また長い下りの坂道が続いたが、5分ほど下ると、平坦な尾根の道に変わった。左手前方に立ち枯れしたヒノキの一群が見えてくる。このあたりの山は民有地なのか、それとも県が保有しているのか不明だが、これだけ延々と続くヒノキの林の保安も大変だろう。 今の時期、まだ紅葉には早い。それでも周囲の青々とした木々の葉に囲まれて一本だけ色づいている木が歩道の傍らに生えていた。 12時27分、一つの高みに到達する。標識が立っているが、左方面平石峠、右方面葛城山としか表示してない。この場所が岩橋山ならば、標高959.7mの葛城山頂から300mも尾根づたいに下ってきたことになるが、どうやらまだ岩橋山ではないらしい。場所を未確認のまま、標識に記された平石峠方向に進んだ。左手に大きな送電線の鉄塔が建っていた。その脇を抜けて長い下りの坂道が続く。 下りの坂道は、つま先立ちの歩行を強いられるようなものだ。前につんのめらないように、どうしてもつま先に力が入る。その結果、フクラハギが常に緊張状態に保たれる。その上、階段を一段下りるたびに、その衝撃が膝に加わる。その動作を繰り返すことで、膝が痛くなり、やがて太ももの筋が痛くなり、最期に腰が痛くなる。 12時35分、次の休憩所に到着した。葛城山から5.1kmの地点に築かれた休憩所である。3人のハイカーが休息していた。「平石峠ですか」と聞いたら、「岩橋峠です」という答えが返ってきた。平石峠まではまだ1.7kmあるとのことだ。この峠から西へ下りると2.2kmで平石の集落に出る。東へ下りると、伏越(ふしお)を経て4.3kmで近鉄の岩城(いわき)駅に出られるとのことだ。 休憩所の先に、見上げるような上りの階段が聳えている。見ただけでも圧倒されてしまう階段である。休憩している老人が330段あると教えてくれた。この階段で約100mの高さを登ると、海抜658.8mの岩橋山の山頂に到達する。急だから途中で何回も休憩を入れてゆっくり登りなさいと、その老人は親切にもアドバイスしてくれた。後で知ったのだが、この休憩所に近くに「久米の岩橋」という石の残骸が残っているそうだ。ちなみに、岩橋とは役行者が一言主神に建設を命じた、葛城山から大峰山への架け橋のことをいう。 何回も小休止と取りながら、急な丸太の階段を登り、岩橋山の山頂にたどり着いた。時計を見ると、12時52分だった。山頂にはベンチが一つ備え付けてあるだけで、周囲の展望は効かない。ただ、ベンチの近くに三等三角点とダイトレの石板が埋められていた。石版の表示では、この山頂は持尾峠から1.8km、平石峠からは1.5kmの地点に位置している。 山頂を過ぎれば、今度は当然急な下り道が待っている。坂道を下りると、尾根の平坦な道に出るが、なぜかこの付近はやたらと蜘蛛の巣が顔にまとわりつく。今朝はこの道を歩いたハイカーが居ないのか、それともずいぶん朝早く歩いたに違いない。 午後1時10分、またしても急な下り坂にかかる。しかし、丸太を渡した階段は築かれていない。地表に顔を出したヒノキの根を足がかりに下りることになる。反対方向から、息を弾ませながら坂道を登ってくる一団とすれ違った。15人ほどの男性だけのパーティである。平石峠まだ残り0.7kmの所に標識があり、そこを左折する。直進すれば山道を伝って當麻町に下りられるらしい。残り0.7km、頑張るゾッ! 午後1時半、延々と奈落の底に続くような下りの坂を下りてきて、やっと平石峠へたどり着いた。自動車道の峠だとばかり思っていたが、そうではない。県道704号線(竹内河南線)は、この峠の下のトンネルで奈良県側の葛城市と大阪府南河内郡河南町を結んでいる。 |
平石峠から竹内峠へ
1時50分、急な坂道の途中で休憩を入れた。この山奥で携帯電話が使えるのか試してみたくなった。ひょっとしてこんな坂道で横転でもしたら怪我をすることは間違いない。そう思うと急に不安になった。携帯で外部と連絡が取れるか心配になった。電話機で見る電波の状態は悪い。それでも大学時代の同期生に電話を入れると、つながった。不思議である。携帯電話サービスが開始された頃は、半径300mの範囲内に基地局が必要だと学んだ。こんな山の中に基地局らしいものは見あたらない。それでも接続できるというのは、当時とは伝搬技術が格段に進歩したせいだろうか。 午後2時に、また休憩所があるところに出る。この付近が両峠にはさまれた最高地点のようだ。ここからはまた長い下り坂が続く。上空を見上げると、いつの間にか雲が出ている。麓から吹き上げてくる風が時々歩道脇の小さな笹の葉を震わせて通り過ぎる。 2時17分、歩道の近くにトタン屋根の休憩所のような建物が見えた。近寄ってみると、パラボラアンテナを搭載した鉄塔が聳えていた。移動無線の中継局のようだ。近くにこの局があったから、携帯通話ができたのかもしれない。建物は休憩所ではなく、単なる物置だった。 その先は、また熊笹が足にからみつく細い山道が続く。途中に二上山方面への標識があるところを通過する。そこからは、歩道が尾根を離れ、うっそうと茂る森林地帯の谷へ下る坂となる。遊歩道と谷川が平行して続き、地面が湿気を含んでぬかるんでいる。 2時35分、やっと車が通る林道に出る。二上山まで2kmの地点である。林道を歩いていくと、やがて林の木々を通して、下を走る国道166号線のアスファルト道路が見えてくる。2時45分、車の往来が激しい国道との合流地点で出る。国道166号線の竹内峠である。 竹内峠には、国道沿いに「峠うぐいす茶屋」という喫茶店兼食堂がポツンと建っている。とにかく歩き疲れたので、立ち寄って休息することにした。店員に、これから二上山を経て屯鶴峰まで行けるか聞いてみた。足が疲れていることもさることながら、すでに午後の3時に近い。彼岸が過ぎて急に日が暮れるのが早くなってきた。店員の返事も、やはり無理でしょうとのことだった。出だしで道に迷い、30分以上無駄に費やしたことが、悔やまれた。 残念ながら、今回のダイトレ縦走の試みは竹内峠でピリオドを打たなければならない。二上山から屯鶴峰に至るルートは、次回のお楽しみとなった。問題として「峠うぐいす茶屋」からの足の便が残った。166号線が国道であるにもかかわらず、竹内峠を通るバスの便はないとのことである。となれば、タクシーを呼ぶか、あるいは、奈良県側の岩城駅または大阪府側の上の太子駅まで徒歩でたどり着くか、の2つの選択肢しかない。 幸い何年か前に徒歩で竹内峠を踏破したことがある。少し考えた上で、岩城駅まで歩くことにした。車の往来が激しい166号線の路側帯を歩かなくても、今は寂れてしまった旧国道を行き、竹ノ内集落の中の道を行けばよい。だが、このルートもだらだらとした長い下り坂である。痛む足を引きずっての歩行となれば、1時間は覚悟しなければならない。己の不注意で道に迷った罰として、甘んじてその苦労を引き受けることにした。 午後3時半に「峠うぐいす茶屋」を出て、近鉄「岩城」駅に着いたのが、ちょうど1時間後。タイミングよく電車が来たので、それに飛び乗ってアパートに戻ったときは、すでに夕方の5時を過ぎていた。 |