橿原日記 平成17年9月13 日

金剛葛城山系の稜線をダイトレで縦走する

金剛・葛城山

●ダイヤモンド・トレール  ●金剛山の山頂を目指して登る  ●金剛山上の葛木神社から展望台へ  ●金剛山から水越峠へ  ●水越峠から葛城山へ、そして下山

ダイヤモンド・トレール


金剛・葛城ルート
金剛・葛城ルート
イヤモンド・トレール(略してダイトレ)と呼ばれる長距離自然歩道がある。関西に住むハイカーたちにとっては、おなじみの名称だ。大阪府と奈良県の境にある金剛葛城山系の稜線を縦走する総延長45kmの自然歩道で、北は奈良県香芝市の屯鶴峯(どんづるぼう)から、南は大阪府和泉市の槇尾山(まきおさん) までを結ぶ。

鶴峯(標高150m)←→二上山(515m)←→葛城山(959m)←→水越峠(517m)←→金剛山(1125m)←→紀見峠(380m)←→岩湧山(898m)←→槇尾山 (485m)と続くルート上には、特に危険な箇所はない。それでもかなり急な上り下りの坂道が延々と続く遊歩道である。週末には家族連れで出かけてきて山歩きを楽しむハイカーが多い。

度、このダイトレを歩いてみたいと思っていた。もとより全行程を一日で踏破できる体力はない。だが、金剛山から水越峠を経て葛城山までなら、一日で歩ける距離だろう。そう思って、本日出かけてきた。

イトレは北から南へ歩いても、あるいは逆に南から北へ歩いても、どちらでもよい。ハイカーの自由だ。筆者はまず金剛山に登り、そこから北へ向かって進むことにした。当初の計画では、先ず近鉄「河内長野」駅からバスで「金剛山ロープウエイ前」まで行き、そこからロープウエイで金剛山に登るつもりだった。金剛山からはダイトレに従って水越峠まで下り、そこからまた葛城山に登り、最期は葛城山ロープウエイで御所市へ下ればよい。



金剛山の山頂を目指して登る

前9時44分、近鉄「河内長野」駅に到着。ここから、9時57分発の南海バスで「金剛山ロープウエイ前」に向かう。

スは石川の上流を渡り、丘陵を登っていき、やがて山間地に入っていく。「観心寺」を過ぎて「金剛登山口」に着くと、健脚のハイカーたちはここでバスを降りて、山頂へ向かう。脚に自信がない者は、そのまま終着駅の「金剛山ロープウエイ前」まで行き、そこからロープウエイを利用する。

山間部を行く南海バス

山間部を行く南海バス


0時13分、バスが終点の「金剛山ロープウエイ前」に到着。ロープウエイの乗り場は、バス停から千早川に沿って徒歩で7分ほど登ったところにある。

スを降りた乗客はすべてロープウエイの乗り場に向かうものと思っていたが、そうではない。誰一人としてそちらには行かない。見ていると、仲間たちと三々五々とグループを組んで、バス停近くにある山道を登り始めた。

の山道は「林道伏見峠線」と呼ばれている。車が通れる道幅をもち、しかも舗装してあるとのことだ。ロープウエイで登っても、山頂にある葛木神社まで相当歩かなければならないらしい。健脚ならば1時間ほど林道伏見峠線を登れば、葛木神社の近くに到達できるという。

「金剛山ロープウエイ前」バス停留所

「金剛山ロープウエイ前」バス停留所


者は健脚ではないが、皆の倍の時間をかければ、なんとか山頂に到達できるだろう。そこで、当初の計画を変更して、ロープウエイではなく、皆の尻についてこちらの林道を登ることにした。時計を見ると、針は10時35分を指していた。

道伏見峠線は緩やかな上り坂の連続である。道の左側を谷川が流れ下り、植林された杉や檜が頭上を覆ってくれている。年の頃なら70ほどの年配の女性が、杖を突きながらゆっくりとした歩調で歩いている。この老女について行くことにした。

しかけると、金剛山の山頂付近にある葛木神社への久しぶりの登拝だという。今まで足の具合が悪くて山登りを中断していたとのことだ。

「林道伏見峠線」を登る

「林道伏見峠線」を登る


までの砂利道が、舗装道路に変わった。上り勾配の林道は、一直線にせり上がって先へ延びている。舗装されているため一見歩きやすそうだが、同じ勾配の坂道を歩き続けるのは、意外とふくらはぎに負担がかかるものだ。実際に歩いてみて、そのことが実感できた。

中に、左手の斜面から水がわき出ている箇所があった。喉を潤すためのカップまで用意してある。水飲み場で立ち止まった老婆は、
「近道だから、ここから左の杉山を登りましょう」
という。よく見ると、そちらの山道は「立ち入り禁止」の札が立っている。

伏見峠線の途中にある水飲み場

伏見峠線の途中にある水飲み場

の道を行けば、私有地に分け入ることになる。加えて、倒木の危険や森林保護のために、立ち入りを禁止しているとのことだ。だが、先を行く登山者たちはそんな看板を無視して、誰もが脇道へ入っていく。
「なぜ、舗装した道路をこのまま行かないの?」
と聞くと、意外な返事が返ってきた。
「景色に変化がなくて、ちっとも面白くないんですよ」
確かに、延々と続くだけの舗装された林道の周囲は、景色も単調にちがいない。

ムラサキツリフネ

山道の脇で見つけたムラサキツリフネ


道へ入った途端、とんでもない山道に入りこんだものだと驚いた。つづら折りに切り開かれた山道は人間が一人やっと通れる程度の広さしかない。しかも急斜面で、階段などない。階段代わりに、むき出しになった木の根に足をかけて進むより仕方がない。

がて、谷の流れと山道が一緒になり、登山道は谷の中を進むようになる。濡れた石の表面が滑りやすい。
「この谷道が終わるところまで、私が先導しましょう。その後は比較的歩きやすい場所ですから、先に行ってください」
老女はそう言って、足場を一つ一つ探るように先を進んだ。
「何回目の登拝ですか」
と、老女に聞くと、なんと930回目との返事。これには驚いた。

テラン中のベテランだ。10年以上登り続けているという。初めは1年に30回ほど登ったが、そのうち年に50回、60回と登る回数が増えたとのことだ。

木の根が階段代わりの急峻な山道

木の根が階段代わりの急峻な山道


1時8分、ようやく谷川を登り切った。老女は一休みするという。聞いてみると、行程の半分もまだ登っていないらしい。道案内の礼を述べて、先へ進むことにする。

性2人がカメラを据えて花を撮影していた。何の花かと聞くと、「ツルニンジン」という花らしい。根が朝鮮人参に似ているのでこの名前がついたとされている。8月末頃から咲き始めるキキョウ科の植物である。蕾の状態では、萼(がく)も花冠裂片も張り合わせたようになっていて、薄緑の紙風船を思わせる。

ツルニンジン

ツルニンジンの花


変わらず岩だらけのゴツゴツした上り坂が続く。そばに谷の川筋が流れているが、どこまでが道でどこからが谷か分からない。岩肌が濡れて滑りやすく、何回も足をすくわれそうになった。

山してくる女性に会った。
「まだ、だいぶありますか?」
つい、誰にも同じ事を聞きたくなる。
「丁度、このあたりで半分ぐらいですよ」
彼女の答えが気持ちを暗くする。

1時30分。登山を開始して1時間が過ぎた。ようやく、頭上を覆っていた樹木の梢の間から、山の稜線らしきものが見えてくる。また、下山してくる男性に会う。頂上までの時間を聞くと、残り20分、ゆっくり登っても30分くらいです、との返事に幾分勇気づけられる。

登り道

岩石をばらまいた登り道


まで谷筋に沿ってほぼ一直線に上ってきた道が、ふたたび杉林の中をジグザグに進むようになる。ジグザグといっても半端な傾斜ではない。ほぼ垂直に切り立った山肌を這うようにして登るようなものだ。このあたりが、最期の難関である。

1時45分、ようやく広い道に出た。道路の脇に標識がたっていて、右に進むべきなのだが、左方向に矢印がでていて、「岩屋文殊 すぐそこ」と書いてある。知恵を授かる文殊さんが、50mほど左に行ったところにあるらしい。知将大楠公も信仰されたと伝えられる、と添え書きがしてある。

っかく近くまで来たのだから、と立ち寄って見ることにした。しめ縄を渡した立石に文殊菩薩像が浮き彫りされていたのだろうが、長い風雪に曝されて今では判然としない。立石の前には、線香代わりに無数の矢が立ててあり、その羽の部分に合格祈願の願い事が書かれていた。

仏に頼って志望校へ入学できるなら、これほど簡単なことはないと思うのだが、受験生にとっては、すべてが頼みの綱である。そのいじらしい気持ちが白羽の矢にこもっていた。

岩屋文殊

岩屋文殊と合格祈願の白羽の矢


屋文殊から標識があった場所に登り、広くなった山道の登攀を続けた。

1時54分、ようやく1時間20分を要した苦しい登攀が終わる。「大変お疲れ様」と書いた杭が登山道の真ん中に立っている。苦しい思いをして登ってきた登山者をいたわっているつもりなのだろうが、見方によっては、いかにも人を食ったような杭である。

の杭の先に、一段高くなった墓所がある。近づいて見ると、葛城家歴代御廟所だった。

登山道の真ん中に打ち込まれた

登山道の真ん中に打ち込まれた杭



金剛山上の葛木神社から展望台へ

剛山は大日岳、葛木岳、湧出岳(ゆうしゅうだけ)の三峰からなり、標高1125.3mの最高点は葛木神社(かつらぎじんじゃ)裏手にあって、奈良県に属している。

城家歴代御廟所の前から赤い献灯が左右に並ぶ葛木神社への参道が続いている。その参道を進んで行くと、左手に葛城修験道の大本山である金剛山転法輪寺(てんぽうりんじ)へ下る階段がある。転法輪寺は、今からおよそ1300年前、山岳宗教の開祖・役小角(えんのおづぬ)が創建したと伝えられる古刹で、五眼六臂の法起(宝基)大菩薩像を御本尊として祀っている。

葛木神社の参道

葛木神社の参道

小角は、金剛山転法輪寺を創建したとき、自身の祖神である一言主神(ひとことぬしのかみ)を転法輪寺の鎮守として葛木神社に祀り、金剛山を神仏混淆の霊峰としたという。平安時代には真言密教の霊場として信仰を集め、転法輪寺のお寺の山号である「金剛山」が略称のように使われて、葛城山脈中の最高峰を指す名称になった。

かし、明治元年には神仏分離の憂き目に遭って、転法輪寺は廃寺となってしまった。この寺が多くの人々の協力で復興したのは、昭和37年(1962)になってからである。7月7日は役小角の命日であり、この寺では最大のイベントである「れんげ祭り」が行われる。

転法輪寺

転法輪寺(てんぽうりんじ)


び葛木神社の参道に戻り、先へ進むと、根本から分かれた2本の巨大な杉の木がある。「夫婦杉」という。さらに先へ進むと、今度は左手に宝剣塔と福石が並んでいる。宝剣塔は後醍醐天皇が大塔宮の宝剣を埋め、供養の為に建立させたという足利時代の石塔である。福石は崇神天皇の時代に大国主神が出現した石であるという。

の先に、葛木神社の神域へ続く石段があった。この神社は、もとは転法輪寺の鎮守として建立されたが、明治初年に廃仏毀釈の影響を受けて転法輪寺が廃されてから、独立した神社とった。

木神社の本殿は、珍しいことに大社造りである。この神社の主神は、一言主(ひとことぬし)大神で、その他に建角身命や大山祇命、豐受比賣命、素盞嗚命、大國主神、少彦名神、玉依比賣命、健御名方富命、後醍醐天皇、護良親王、楠木正成、楠正行を配祀している。

葛木神社の石段

葛木神社の石段

言主大神は、葛城山麓の一言主神社にも祀られていて、”良きことも悪しきことも、ただ一言願わくばかなう神”として、地元の人には「一言(いちごん)さん」の名で親しまれている。『古事記』や『日本書紀』に記載されている神であるが、神代には登場しない。

古事記』によれば、雄略天皇が葛城山で狩りをしたとき、自分たちの一行とそっくりの一行に出くわした。その時、雄略天皇が名を問うと、相手は『吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり』と答えた。そこで、天皇は恐れ入り、自分たちの着ていた服を全部差し上げて、拝礼したと言う。『日本書紀』では、このとき天皇と一言主は一緒に狩りを楽しんだことになっている。

葛木神社の拝殿

葛木神社の拝殿


攀してきた山道は正規のルートではなく、葛城家歴代御廟所の前に出る近道である。御廟所前から葛木神社に向かう参道は、したがっていわゆる裏参道にあたる。この神社の表参道は御廟所前とは反対の方向にあり、かなり道を下ったところに一の鳥居が立っている。

剛山から水越峠を経て大和葛城山へ向かうダイトレは一の鳥居の前から北へ延びている。金剛山には河内平野と大和平野の両方を見渡せる展望台があると聞いていた。金剛山ロープウエイで登ってくれば、展望台はすぐの所にある。しかし、一の鳥居からは約0.6km、ほぼ10分ほどの距離にある。少し時間の無駄になるが、展望台まで足をのばすことにした。

葛木神社の一の鳥居

葛木神社の一の鳥居


計を見ると、12時半ちょうど。展望台へ広い下り道を歩き出す。頭上の梢の間から青空が見え、入道雲が張り出してきている。場合によったら夕立に見舞われるかもしれないと思いながら、山道を下って行った。展望台は山道の傍らの広場の中央にあった。平日のせいか、展望台の上にも周囲にも、人影は見あたらない。

骨を組み上げただけのなんとも無粋な展望台だったが、頂上まで登ってみた。四方の眺望をパネルに張られた写真で説明してあった。ただし、写真はそうとう昔に撮ったものか、現在は周囲の樹木が高くなり、ずいぶんイメージが違う。

和平野を見下ろせる方向に立つと、眼下に御所市の市街地があった。大和平野の目印になる大和三山がよく見えた。朝の散歩で毎日その頂上に立つ畝傍山も、ここからは地べたに張り付いた小さな丘のようにしか見えない。

展望台

金剛山の展望台

大和平野

展望台から見た大和平野



金剛山から水越峠へ

剛山と葛城山の鞍部に水越峠(みずこしとうげ)がある。金剛山から葛城山へ続くダイトレは、その水越峠を越えていく。ということは、標高1125mの金剛山から標高500mの水越峠まで約600mの山道を一気に駆け下りることになる。

後1時ちょうどに、再び葛木神社の一の鳥居の前に戻った。道の分岐点に立てられた標識で水越峠方面への歩道を確認すると、今までの広い道路とは対照的に、いかにも山道といった感じの歩道が北へ延びている。

道路標識

一の鳥居前の道路標識


越峠へ向かう道は、歩き始めてしばらくは比較的平坦な山道である。だが、その中央部分が深くえぐられていて、歩きづらい。先日の台風で降った大雨が鉄砲水となって流れ下ったのだろう。

道は植林された杉林の中を抜けていく。道の両側ですくすくと伸びた無数の杉の木が、剪定されて美しい幹を見せている。その梢の間からのこぼれ日が、自然歩道に落ちた枯れ葉の上で踊っている。

を見ても後ろを見ても、ハイカーの影は全くない。時折梢の間を抜けてくる風が、汗ばんだ肌を冷やしてくれて心地よい。だが、その後は鳥の声すら聞こえない静寂に戻る。聞こえてくるのは、落ち葉を踏む自分の足音だけである。

悪路

道の中央がえぐられた悪路


分ほど歩いた所に、水越峠まで4.5kmと記した標識が立っていた。その標識を過ぎると、今まで比較的平坦だった山道が、恐怖の下り坂にさしかかることになる。

り坂は、横木に渡しただけの階段で作られた山道である。その道は、奈落の底まで続くのではと思いたくなるほど長く、そして急である。4.5kmの道のりは、そのほとんどが600mの標高差を下る坂道なのだ。

道は登りよりも下りが足に負担がかかる。階段を一段下りるたびに、衝撃が膝に加わる。何百回もこうした動作を繰り返せば、膝が痛くなって当然だ。

延々と続く下りの坂道

延々と続く下りの坂道


時15分、ずいぶん長い階段の山道を降りてきた気がするが、標識で確認するとまだ500mしか進んでいない。それでも、つかの間の平坦な道に出た。いつの間にか、周囲は杉から檜の林に変わっていた。檜の林も美しい。だが、そのことよりも、自分の足にとって平地を歩くことがいかに楽かを痛感しながら、先を急いだ。

檜の林の中に続くダイトレ

檜の林の中に続くダイトレ


坦な山道はそれほど長くは続かない。午後1時半、再び急な坂道に変わった。今度は丸太が渡した階段がない。樹木の根が作る自然の階段を、一歩一歩場所を選びながら下るのは、それなりに神経を使う。

道の途中に、梢越しに大和盆地が見下ろせる場所があった。丸太を渡しただけのベンチが据え付けてあり、そこにハイカーが一人休憩していた。話しかけてみると、水越峠にマイカーをおいて、金剛山を目指す途中であるという。一の鳥居からの自然歩道に入って、初めて出会ったハイカーである。

大和平野

梢の間から見下ろした大和平野


の坂道はまだまだ続くのか、とハイカーに聞くと、そうでもないとの返事が返ってきた。もう少し下ったところに休憩所があり、その前を流れる谷川を渡ると林道に合流するとのことだ。林道は車も入ってこれる広さがあり、そこを下っていけば水越峠だという。

イカーの言葉通りに、その先を下ったところに簡単な休憩所があった。その下を谷川が流れていて、せせらぎの音が風に運ばれてくる。

休憩所

谷川の近くにある休憩所


時13分、谷川に架かる石橋を渡ると、そこはデコボコながらも、幅の広い林道ガンドガゴバ線だった。谷川の流れに沿って林道を下っていくと、途中に水飲み場があった。「金剛の水」とハイカーたちに呼ばれているわき水である。

は、登山を開始する前に買ったペットボトルの飲料水が、すでに無くなっていた。何しろ山道で吹き出した汗の量は半端ではない。脱水状態で喉が渇き、体が水分を欲しがる。結局、ここまでにすべてを飲み干してしまっていた。空になったペットボトルにわき水を汲んで飲んだ。水のうまさは格別だった。

剛の水から水越峠までは、まだ長い林道が続く。水飲み場にいたハイカーの夫婦に道のりを聞くと、普通の足で20分ほどでしょう、という。坂道を下ってきて、すでに膝が悲鳴を上げている状態では、さらに20分の歩きは、決して楽ではない。

「金剛の水」

「金剛の水」


時37分、水越峠まで残り500mの地点に到着。ようやく長い下りの山道が終わる。左側に大阪平野が見えた。PLの塔が見えた。一般車両の進入を禁止するゲートが、まもなく前方に見えてきた。ゲートを越えると、旧国道309号線の水越峠である。新道は峠の下をトンネルで抜けている。

時45分、ゲートをくぐってやっと水越峠に出た。葛木神社の一の鳥居からここまで、健脚なら1時間の道のりを、途中で何回も小休止を取ったとはいえ、1時間45分もかかってしまった。

ああああ

水越峠の近くにあるゲート



水越峠から葛城山へ、そして下山

越峠から大和葛城山の山頂までは、約2.5kmの距離を歩かなければならない。正規の登山口は国道309号線をゲートから少し奈良側に下ったところにある。だが、ゲートと反対側にフェンスの切れ目があり、そこがショートカットする場合の登山口になっている。

ェンスの切れ目から山道に分け入ると、すぐに「危険 急な坂道」と書かれた警告が杉の木にくくりつけてある。見上げると、杉林の中を胸突き八丁の急坂が立ちはだかっている。

急坂

出だしから胸突き八丁の急坂


な坂を登り切ると、石畳の道に出た。正規の登山口から登ってくれば、この石畳を辿ることになる。地肌の山道に比べると、石畳の道は歩きづらい。

を敷き詰めた結構急な坂道もある。雨でも降られたら、滑って横転するようなことがあったかもしれない。そのために、急坂の傍らにはロープが張ってある。そのロープがささくれ立っていた。多くの人たちがロープに捕まりながら坂道を登った(下った)証拠である。

石畳の道

石畳の道


畳の道の先に待っていたのは、延々と続く階段である。しかも、半端な勾配ではない。土留めに横木が渡してあるが、金剛山の下り道にあった階段に比べて、段差がかなり大きい。そのため、一歩上るにも、おおきく膝を上げなければならない。疲れ切った体には、この動作はきつい。

うした運動のせいか、呼吸が乱れ、汗がダラダラと流れ落ちる。呼吸を整え、こまめに水分補給するために、10mほど上に目標を定め、そこにたどり着くたびに小休止を入れた。

り初めて25分が過ぎた。水越峠からずいぶん登ってきたようだが、まだ0.6kmにしかならない。気がつくと周りの風景がいつの間にか杉林から灌木や笹が生い茂る景色に変わっていた。その中を、天に昇る階段のように相変わらず急坂が続いている。山頂までは、まだ1.9kmの道のりである。

急階段

気が遠くなるほど続く急階段


時15分、階段に腰掛けて大休止を取ることにした。80kgの体重を一段ごとに持ち上げるのは、相当体力を消耗させる。心臓が悲鳴をあげて、早鐘のように警鐘を鳴らしている。これ以上は体力が続かないと、わめいているようだ。

時45分、登り初めて丁度1時間が過ぎた。坂道が幾分緩やかになり、雑木林の先に山の稜線が見えてくる。山頂が近いらしい。

相変わらず続く階段

相変わらず続く階段


っと坂道が終わり、平坦な道に変わる。道の両側にツツジが目立つようになる。

時10分、葛城山頂まで残り0.4kmの所までたどり着く。周囲が植物園のような景色に変わっている。ツツジの群落地である。このあたりを葛城高原という。

ツジが咲き誇る時期に来れば、この付近一帯は真紅の絨毯に染まっているにちがいない。今がその季節でないのが残念だが、よく見ると所々にススキが穂を出している。その遠景に金剛山が高々とそびえていた。

ツツジの群落地

ツツジの群落地

のツツジの原を通って葛城山の山頂まで行けば、その三角地点にモニュメントがあるそうだ。だが、疲労困憊した体には、それを見たいという気力はない。標識に従って葛城山ロープウエイの山上駅に向かうことにする。残り1kmの道のりだ。

でに太陽が西に傾むく時間になっていた。葛城高原に吹く風が涼しい。火照った体には最高に気持ちが良い風である。

金剛山

ツツジの原から見た金剛山


ロープウエイ山上駅の手前に「葛城天神社」という社がある。天の神の始祖・国常立命(くにとこたちのみこと)を祭神として祀っている神社である。この神社の境内は「天神の森」と呼ばれている。ここで、加茂(鴨)氏の祖・加茂建角身命の神跡だった伝えられている古代祭祀遺跡が発見された。

来、葛城地方に繁栄した加茂氏をはじめとする諸氏族は、国常(かもたけつぬみのみこと)立命の神徳を敬い、長らく奉仕してきた。

葛城天神社

葛城天神社


城山ロープウエイ山上駅には4時30分に着いた。水越峠からこの地点まで1時間45分を歩いてきたことになる。距離にすれば3.5km程度だろうが、平地とは違い、山道の3.5kmはきつかった。

の下りの便は4時52分である。休憩室で汗に濡れたシャツを取り替え、自動販売機でスポーツドリンクを2本買って、浴びるように飲んだ。汗をかいた体はそれほど水分補給を求めていた。

刻に下山を開始したゴンドラの乗客は筆者以外に誰もいない。貸し切りのようなゴンドラから眼下に広がる大和平野の展望を堪能しながら、金剛・葛城縦走を終えた。近鉄「御所」駅から電車を乗り継いで、橿原のアパートに戻ったときは、すでに午後の6時を過ぎていた。

ロープウエイ山上駅

葛城山ロープウエイ山上駅

眼下に広がる大和盆地


2005/09/16作成by n_ohsei2004 return