大和の国の一の宮・大神神社
|
![]() |
| 国道169号線沿いの一の鳥居 |
![]() |
| 大神神社の参道入口にある二の鳥居 |
![]() |
| 大神神社の拝殿 |
背後の三輪山をご神体とするこの神社には、拝殿だけで社殿(本殿)がない。拝殿の奥の禁足地との境に明神型鳥居を三つ組み合わせた独特の三ツ鳥居(みつとりい)が建つ。一名「三輪鳥居(みわとりい)」ともいう。この三ツ鳥居を通して三輪山を拝するという原初の神祀りの様が、今に伝えられている。地元では三輪明神(みわみょうじん)の名で親しまれ、酒の神、薬の神として業界の尊崇も厚い。
国道169号線の脇に建つ巨大な大鳥居は、大神神社の一の鳥居である。その鳥居をくぐって先に進むと、JR桜井線の踏切があり、右手に「三輪駅」のプラットフォームが見える。二の鳥居は踏切のさらに先にある。二の鳥居をくぐると、両側に杉や椎、樫、ケヤキの巨木が並ぶ参道が続く。参道の左側を御祓川(みそぎがわ)が流れていて、涼しげなせせらぎの音が聞こえてくる。
御祓川にかかる小さな木の橋を渡り、緩やかな石段を上るとすぐ左に手水舎があり、正面の石段の上に太い〆柱が建っている。 〆柱の下に立って斎庭に目をやると、正面に特徴ある拝殿がどっしりと構えており、右手には玉垣で囲まれた「巳の神杉」と呼ばれる二股の老木が聳えている。左手には、祈祷を始めとする参拝者の総合受付所があり、その建物に連なって平成の大事業で造営された祈祷殿・儀式殿・参集殿がある。
古代の人々は、大和平野を囲む山なみを、垣根に例えて「青垣」と呼んだ。その青垣の東南にあって、円錐形のたたずまいを見せるひときわ秀麗な三輪山の姿に、一種の崇高さを感じたのであろう。彼らはこの山を神の坐す山として、本殿を建てずに崇拝してきた。大神神社はこうした原始信仰に起源をもつ日本最古の神社である。
大神神社に祀られている上記の三神は、いずれも国造りに関係した神々である。記紀神話によれば、大国主神(=別名・大己貴神)が国造りの協力者だった少彦名神が亡くなって嘆き悲しんでいるところへ、海原を照らしてやって来る神がいた。大物主神である。この神は「自分の霊を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎き祀ってくれれば、国造りに協力しよう」と言ったという。そこで大物主神が大三輪の神として祀られることになった、と記している。なお、『日本書紀』では、大物主神は大己貴神の幸魂(さきみたま、生命を守り幸せにする霊魂)・奇魂(くしみたま、霊妙不可思議な霊的作用をする霊魂)であるとされている。
狭井神社
|
![]() |
| 少彦名命を祀る磐座神社 |
![]() |
| 狭井神社の拝殿 |
磐座神社を過ぎると、すぐ狭井神社の鳥居が見えてくる。鳥居をくぐると、左手に赤い鳥居が建つ「鎮めの池」がある。池の横を進めば、狭井神社の正面の石段に出る。
狭井神社の”狭井”は、以前は「佐韋(さい)」と書いた。佐韋とは百合の花のことである。昔は精神病を百の病が合わさった病気と考え、百合病と呼んだ。この病気には百合の根が特効薬だった。古代、狭井川の辺に百合が多く咲いていたため、それが地名となり、現在でも病気治療を祈願するため多くの人が狭井神社に参拝に来るとのことだ。
この神社では、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)を主神として祀り、大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命 ( ひめたたらいすずひめのみこと ) 、勢夜多多良姫命(せやたたらひめのみこと)および事代主神(ことしろぬしのかみ)を配祀している。荒魂(あらみたま)とは、荒ぶるような猛々しい働きをもって現れる霊魂のことで、戦時や災時などにあたって現れ、祭祀を受けることによって和魂(にぎみたま)の性質に変わるという。
拝殿の左後ろに、この神社の由来になっている神水の井戸・狭井がある。ここから湧き出る水は、昔から「薬水」と呼ばれている。この薬水を飲めばいろいろな病気が治るという。そのため、遠近から神水を汲みにくる参拝者は多い。
![]() |
| 薬井戸・狭井 |
申込み要領
●登拝を希望する者は、社務所で住所・氏名・電話番号を申し出る
●入山初穂料として一人300円を納める
●入山受付時間は午前9時より午後2時までとする
●下山終了時間は午後4時までとする
●下山したら、社務所に声をかけ、襷(たすき)を返す
厳守事項
●申込み時に「三輪山参拝証」の木綿襷(たすき)を受け取り、肩にかけて登拝する
●山内は火気厳禁で、タバコの火をはじめ、すべての火の使用を禁じる
●山内は撮影禁止で、カメラなどの持ち込み、撮影はできない
●山内で磐座などにお供えしたものは、必ず持ち帰る
●山内での弁当などの飲食は禁じる
●山内では、草木、キノコ、鳥獣、土石などを採取してはならない
なお、正月3日間、および大祭などの祭典日は登拝できず、天候などの諸事情で登拝を中止する場合もあるとのことだ。
![]() |
| 登拝口で木綿襷をかけた筆者 |
登りはじめの道は、畝傍山の登山道より整備されていて、歩きやすかった。道の両脇の樹林は、まだ若木が多いようだ。梢の間から漏れてくる太陽の光が、道に散乱する枯れ草の上に日だまりを作っている。襷の先にぶら下がった鈴が、歩を進めるごとにカラカラと乾いた音をたてる。ふと、今年の2月娘と二人で阿波の国二十三カ寺を巡礼した四国遍路のことを思い出した。あの時も金剛杖の先に付けた小さな鈴がチリンチリンと鳴っていた。
山頂の高宮神社
|
![]() |
| 中津磐座(*) |
12時10分、彼女が言っていた「下山道」の標識の所に出た。三輪山の登拝は登り道と同じルートで下山しなければならない。だが、標識から左手に向かう細い道がある。あるいはその先に中津磐座があるかもしれないと期待して、すこし脇道に入った。脇道を50mほど下ったところに、巨石群が散らばっている場所があり、周りをロープで囲ってある。禁足地ならば、これらの巨石は中津磐座のはずだ。中心にある二つの大きい石には、まだ新しい幣(ぬさ)を吊した縄が巻かれていた。
![]() |
| 日向御子神を祀る高宮神社(*) |
古代神社建築の特徴は、@屋根の形が切妻であること、A屋根に瓦を葺かないこと、B壁に土壁を用いないこと、C装飾を用いないこと、だそうだ。そうした特徴をそのまま備えた神殿が、三輪山の山頂に築かれている。もともと、この場所は、古代の太陽神の祭りが行われた場所だそうだ。明治時代までは、この社は高宮神社ではなく、神坐日向神社(みわにいますひむかいじんじゃ)と呼ばれていた。
神社の前に置かれた丸太のベンチに腰を下ろして、疲れた体を休ませていると、先に到着していた青年がやおら立ち上がって、神殿の前に立ち、朗々とした声で祝詞を唱えだした。その後に、何故か般若心経を唱えていた。神社に般若心経はないだろうと思って聞いてみると、「南無」と唱えなければ問題ないと、分かったような分からない返事が帰ってきた。
![]() |
| 大物主神が鎮まる奥津磐座(*) |
古代の原始自然信仰では、これらの巨石群は神霊が降りてきて鎮座する神座、すなわち磐座(いわくら)と見なされてきた。大神神社には、山頂にある巨石群を奥津磐座(おくついわくら)、中腹にある巨石群を中津磐座(なかついわくら)、山麓にある巨石群を辺津磐座(へついわくら)と呼んでいる。そして、それぞれの磐座に、大物主神、大己貴神、少彦名神が鎮まるとされている。これらの磐座は古来から禁足地とされ、三輪山祭祀の中心場所である。
なぜ、三輪山のあちこちにこうした巨石群が散在しているのか考えてみた。三輪山は本来岩山である。長い年月の間に、表土が流出して岩盤が地上に露出するようになったのではないか。さらに露出した岩盤に雨水がしみ込んで、ヒビが入り、岩盤が砕かれて大小の岩石が群れをなす場所を作り出したのであろう。巨岩や巨木は、原始信仰では神が降臨する依り代だった。三輪山の山麓に住んだ古代人は、何か事があるたびに、この山頂に集い、供え物を捧げて神の降臨を請い、神官が神託を聞いたのであろう。まだ日本という国家が存在しない、はるか昔のことである。
登山は上りよりも下り道に神経を使う。まして、木の根が作った自然の階段や大小さまざまな岩石が散乱した急な坂道となれば、なおさらだ。午後1時に下山を開始したが、狭川神社の境内まで降りてきたのは午後2時に近かった。80kgの体重を運ぶ両足にはかなり負担がかかったのだろう。途中で膝が痛くなり、何回も小休止を取らなければならなかった。結局、普通の人なら30分で降りてこれる山道を、倍の時間がかかったことになる。
帰り道の途中で夏雲の下に入り、熱帯地方のスコールを思わせる激しい夕立に見舞われた。大気の状態が不安定な気候でも、最近の気象庁の予報はかなり的確に当たるようになってきた。雨粒が大きいのか肌にあたると痛い。やむを得ず途中で雨宿りした。その場所の近くで落雷があり、電柱のトランスが破壊した。周辺の民家が停電になり、信号機も機能しなくなった。アパートに帰り着いたときは、汗と雨水で全身がびしょぬれだった。
(*) 友人T.Y氏による協力作成イメージ