三角縁神獣鏡は舶載鏡か、それともホウ製鏡(日本製)か
三角縁神獣鏡 − ”さんかくえんしんじゅうきょう”とも呼ばれている古鏡は、その名の通り縁の断面が突出した三角形をしており、裏面の中心に神獣の模様の刻まれている。どこの歴史博物館でも見かけるお馴染みの青銅鏡である。 博物館では、大気中で酸化し緑青に変わってしまった鏡の裏面が見えるように展示してある。そのため、鏡というイメージから少し遠いという印象を受ける。だが、青銅(ブロンズ)は、銅を主成分とし錫を含む合金である。錫の含有量によっては光沢が増して金色に輝く。三角縁神獣鏡も、制作された当時はまばゆく輝いて、その表面は十分に人の顔を写すことができたに違いない。
日本列島では、古墳時代の遺跡から3800面近い鏡が出土している。そのうち約500面が三角縁神獣鏡とされている。この鏡は同じ鋳型からつくられた鏡、すなわち同笵鏡(どうはんきょう)が多いことが一つの特徴とされていて、現在、舶載鏡(中国製)、 よく知られているように、『魏志倭人伝』によれば、邪馬台国の女王・卑弥呼は景初3年(238)6月、大夫の難升米(なしめ)や次使の都市牛利(としごり)らを魏の都・洛陽に朝貢使節として派遣した。その年の12月、難升米らが帰国するに際し、魏の明帝は卑弥呼に「親魏倭王(しんぎわおう)」の印綬を授けるとともに、さまざまな記念の品を下賜した。その中に銅鏡百枚が含まれていた。
だが、三角縁神獣鏡が魏鏡とするには、さまざまな問題がある。主なものを列挙してみよう。 このため、考古学者の森浩一氏や産能大学の元教授・安本美典氏、宮崎公立大学の元教授・奥野正男氏などは、三角縁神獣鏡をもって邪馬台国は畿内と主張するのは不自然であり、この鏡は中国から輸入された鏡ではなく、わが国で作られた鏡であろう、と主張している。 こうした疑問に対して、三角縁神獣鏡が舶載鏡であると主張する側は、(1)邪馬台国が魏に遣使したのは景初三年(239)だけでなく、その後も正始四年(243)、六年、八年、泰始二年(266)と複数回行われており、その都度鏡の下賜を求めたはずだ、(2)中国の遺跡から三角縁神獣鏡が出土しないのは、魏が卑弥呼のために特鋳したものを下賜したからだ、(3)3世紀の古墳から出土しないのは、氏族の宝としてすぐには埋葬せず、代々家宝として伝世したためだ、などと苦しい反論している。
中国語の音韻に詳しい森博達氏は、三角縁神獣鏡に刻まれた銘文の韻に着目された。魏の時代は曹操父子を中心として詩壇が形成され、詩文隆盛の時代であった。三角縁神獣鏡が魏の鏡ならば、その銘文が韻を踏まないことは考えられない。ところが、三角縁神獣鏡の銘は押韻の意識すら持たない拙劣な文であるという。魏がこのような銘文をもつ鏡を特鋳して下賜したはずがない、というのが森氏の見方である。 |
SPring8による泉屋博古館
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| 泉屋博古館 |
泉屋博古館(樋口隆康館長)は、住友家が20世紀初頭に蒐集した美術品を展示している博物館である。その中心は中国古代の青銅器で、中国以外では質、量ともに最も充実したコレクションとして世界的にも高く評価されている。この博物館は、三角縁神獣鏡を含む青銅鏡95面を所蔵している。
泉屋博古館は、財団法人高輝度光科学研究センターと共同で、同館が所蔵する中国鏡69面と国産鏡18面、三角縁神獣鏡8面の計95面について、これらの青銅鏡の材料に含まれる微量の銀とアンチモンの割合を、世界最大級の放射光分析施設(愛称SPring8、Super Photon ring-8 GeV)で分析して、その結果を2004年5月15日に新聞各社に発表した。
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| 大型放射光施設(SPring-8) |
三角縁神獣鏡が古代史上の大きな謎になっている理由は、その「製作地」の確実な証拠を得られないからだ。そのため、銅・錫・鉛などの主成分を中心とした科学分析が従来からたびたび行われてきた。今回の泉屋博古館の試みは、青銅鏡の主要成分である銅・錫中に含まれる微量成分の銀・アンチモンを高精度で分析することに主眼をおいたものだった。
泉屋博古館は、なぜか分析の結果を学術論文として発表せずに、上記のように新聞紙上で公開した。その主な内容は、
(1)中国・日本の古代青銅鏡では、その製作時期・製作地域により微量成分特性に違いがあることが判明した
(2)8面の三角縁神獣鏡のうち舶載(中国製)と考えられる6面はすべて同時期に中国で流行した神獣鏡とまったく同じ成分特性を示し、残りの2面については、それと異なる成分特性を示し古墳時代の日本製鏡の分布範囲に入った、というものだった。
この発表を受けて、新聞各紙の夕刊は一面トップで大きく検査結果を報じた。泉屋博古館は、今回の分析を”青銅鏡成分の科学的研究としては画期的な試み”であると自負している。さらに、”断定するには鏡をもっと多数分析する必要があるが、材質からは三角縁神獣鏡の一部が中国製である可能性が高まったのではないか”と新聞紙(朝日新聞)上でコメントしている。
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| SPring-8を利用した青銅鏡蛍光X線分析結果((財)高輝度光科学研究センターの研究成果トピックスより転記) |
だが、この泉屋博古館の発表内容には多くの問題があり、専門家からさまざまな反論が出された。たとえば安本美典氏は、次のような問題点を指摘しておられる。(邪馬台国の会第224回講演会より)
●原材料が中国産でることと製品が中国産であることとは、まったく別のことであり、 鏡の材料の成分から産地を判断する考え方には問題がある
●泉屋博古館所蔵の鏡はほとんどが出土地不明であり、本当に中国で作られたということは確認されておらず、考古学的な資料価値は低いものである
●「日本製」とされるものの原材料に、ほんとうに「日本産の銅」が用いられているという確実な証明は、なにも行われていない
安本氏は、泉屋博古館の発表内容には多くの問題があるにもかかわらず、新聞各紙が見出しで「卑弥呼の鏡が中国製」であるように印象づける記事を掲載したことにクレームをつけられた。新聞報道は、いかに著名な学者の見解であっても、学問的に決着していない見解の一方的な垂れ流し報道を行うべきではない、異なる意見があることを客観的にきちんと伝えるべきである、とコメントしておられる。
泉屋博古館の分析結果に対する批判は、韓国・慶尚大招聘教授の新井宏(あらいひろし)氏からも出された。新井氏は日本金属工業の元常務で、金属考古学を専門とする特異な存在である。現在、慶尚大学に招聘されて教鞭をとっておられるが、考古学的な調査分析から高麗尺(こまじゃく)は幻の古代尺で、実際に使われていたのは古韓尺(=0.268m)であるという論文を出されたことでも知られている。
泉屋博古館の分析結果が新聞に発表されたとき、新井氏は韓国におられた。年末に帰国されたとき、この報道を知り、さっそく関連報告書「SPring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」を入手して一読され、驚かれたそうである。金属考古学を多少でも知る者にとっては、解析方法に基本的な誤りがあり、とても容認しがたい議論がそこには展開されていたためだという。
新井氏によれば、銀(Ag)と錫(Sn)の比率を縦軸に、アンチモン(Sb)と錫(Sn)の比率を横軸にとって描いたグラフをもとにして、「舶載鏡」と「
製鏡」の間に、原料差があるとした推論方法自体が誤りであるという。金属考古学的に見ると、アンチモン(Sb)/錫(Sn)の比率を用いることはまったく意味がない。アンチモンは錫原料からではなく、銅原料からもたらされたというのが金属考古学では常識であるという。 したがって、今回発表された分析結果は、三角縁神獣鏡の原料組成の差について何の情報ももたらしておらず、三角縁神獣鏡がどこで造られたか議論するためにはまったく役立たないと結論できる、とされた。
鉛同位体比
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| 正始元年銘三角縁神獣鏡 (高崎市の柴崎古墳出土) |
同位体を表すときは、元素記号の左肩に陽子と中性子の数の合計を書く。たとえば、原子番号6の炭素は、陽子の数は6だが、中性子の数は6と7と8の3種類がある。このため、炭素(C)の同位体は12C、13C、14Cと表す。また、同位体の中には、状態が不安定で放射線をだして安定同位体(stable isotope)に変わっていくものがある。これを放射性同位体(radioisotope)という。炭素の場合でいえば、12Cと13Cが安定同位体で、14Cが放射性同位体である。この14Cは考古学の分野では、年代測定に用いられているお馴染みの炭素である。
古代青銅の成分は主に銅、錫、鉛の三種であり、すべて鉱石を精錬して得られる。鉛(Pb)には、質量数の異なる4種の安定同位体(204Pb、206Pb、207Pb、208Pb)があるが、鉱床生成の年代によって同位体比は異なる 。したがって、鉛の安定同位体比を分析することで、青銅原料の産地を推定することが可能である。
鉛同位体比を初めて古代遺物に応用したのはR.H.Brillであり、1960年代から、鉛原料産地を特定するのに(207Pb /206Pb、208Pb /206Pb)を軸とする2次元分布図を開発した。
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| 景初三年銘三角縁神獣鏡 (島根県の加茂神社古墳出土) |
鉛同位体比分析では、同一鋳造材ならば、鏡のどの部分を採っても同一の分析値を示す。また、同一時期、同一場所で鋳造された鏡についても、原料さえ一定ならばほぼ同一の分析値を示す。新井氏はこうした特性に着目し、さらに鉛同位体比類似指数を独自に定義されて、三角縁神獣鏡とその前後の鏡の鉛同位体比を詳細に分析された。
そうした分析の結果、大多数の三角縁神獣鏡が舶載鏡とは異なり、我が国で制作された
製鏡の鉛同位体比に極めて近いこと、すなわち三角縁神獣鏡のほとんどは日本列島製の可能性が高いと結論づけられた。
新井氏の講演は非常に論理的で、金属工学など門外漢の筆者にも十分に納得のいく内容だった。同氏は分析データを開示しながら、分析のプロセスと推論の過程をスライドで説明された。特に、三角縁神獣鏡の紀年鏡について、同一紀年の鏡でも異なる時期・場所で製作されたものがあること、異なる紀年の鏡が同一時期・場所で製作された可能性のあることを分析によって究明されたことは、非常に興味深かった。
単純な疑問:三角縁神獣鏡は何のために埋葬されたか
三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏から貰った舶載鏡ではなく、日本で製作された
我が国の弥生時代には、銅鐸(どうたく)という青銅製の祭器を作る技術がすでにあった。その原料となる錫や銅を採掘し精錬する技術もすでに持っていた。その技術集団に舶載鏡を見せて同じものを作れと言ったら、当時の銅鋳造技術で簡単に複製品を製造したであろう。特に、我が国の古代人は鏡に対して特殊な感情を抱いていて、霊が宿るものとみなしていたようだ。霊の力は鏡が大きいほど強いと考えて、本国には存在しないような巨大な鏡を制作したにちがいない。山口県の柳井茶臼山古墳から出土した単頭双胴怪獣鏡(東京国立博物館蔵)は、漢式鏡を模して日本で作った
製鏡かを推理するのは楽しい。だが、筆者には以前から引っかかっているごく初歩的な疑問がある。なぜ三角縁神獣鏡(をはじめとする古鏡)が古墳に埋納されているのか? といった単純な疑問である。
現代のように、故人が生前に愛用した品だから遺体と一緒に埋めてやったという説明は通らない。小林行雄氏が説くように、三角縁神獣鏡は4〜5世紀に大和王権から服属の証として授与された品と考えるのも、抵抗がある。服属の証であれば、鏡を授与された氏族の長が死んでも、後継者たちは家宝として鏡を大切に保管すると考えるべきであろう。 さらに疑問が広がる。一つの古墳から出土する三角縁神獣鏡は一枚とは限らない。多くの場合、複数枚が棺の中や周りに置かれている。椿井大塚山古墳や黒塚古墳では30数面も出土した。服属の証や何かの恩賞として大和王権から古墳の被葬者に授与されたにしては、量が多すぎる。 こうした疑問から、筆者は次のように考えている。三角縁神獣鏡は、専門家が説くように大和朝廷から授与されたものだけではないのではないか? 古墳の被葬者が己の権力や財力を誇示するために、畿内の鏡作り集団から買い求めたものではなかったか? 古代では、銅鏡は破邪の霊力があるとされた。彼らは、黄泉の世界は悪霊が跋扈する世界であると考えたにちがいない。そうした悪霊の侵入から死後の己を守り永久の眠りを保証するために、生前に多くの鏡を入手し、埋葬時に棺の内外に置かせた、と解する方が分かりやすい。 |