橿原日記 平成17年8月1日

日本最大の円筒埴輪を再現作業中の現場を訪れる

巨大円筒埴輪を出土したメスリ山古墳

人形埴輪
輪(はにわ)とは、古墳の墳丘の外表に、裾(すそ)をいくらか埋めて立てた赤褐色の素焼で中空の土製品をいう。埴輪と聞いて、両目と口を得も言われぬ形で開いたあどけない表情の人物埴輪を思い浮かべる人が多いかもしれない。今流に言えば、人物埴輪は確かに癒し系の土製品で、見ていても飽きがこない。

が、かって古墳の墳丘に並べられていた埴輪の種類は多様である。一般には、円筒形をしている円筒埴輪と、動物・人物・家・器財などをかたどった形象埴輪に大別される。円筒埴輪は墳丘の土留めに、あるいは境界を示すために置かれ,形象埴輪は葬送の儀礼、あるいは祭祀用に用いられ,墳丘頂上や下に置かれていた。

メスリ山古墳
メスリ山古墳
埴輪列と竪穴式石室
メスリ山古墳後円部の埴輪列と竪穴式石室
良県の桜井市高田に、メスリ山古墳と呼ばれる大型前方後円墳がある。全長224m、前方部幅80m、後円部高さ19m、前方部高さ8m、三段築成で構築された古墳時代前期(4世紀中頃)の堂々たる前方後円墳である。

959年12月から1961年3月にかけて3回実施された発掘調査で、特殊な埴輪の列が見つかった。埴輪の列は後円部にある2つの竪穴式石室の上部を長方形に取り囲み、大型の特殊円筒埴輪、高坏型埴輪、円筒埴輪などで二重に巡らせてあった。その中で最大の埴輪は石室の両端に位置していて、高さが2.42m、基底部の直径は90cm、日本最大の大型特殊円筒埴輪である。

つの古墳を飾るには、同じ大きさの円筒埴輪を大量に作る必要がある。大阪府の大仙古墳では30.000本、兵庫県の五色塚古墳では2,200本の埴輪があったと推定されている。大量の埴輪を作るには、人の脇の高さくらいのものが作りやすいとされている。実際、古墳から出土する円筒埴輪の一般的な大きさもその程度であろう。だが、メスリ山古墳出土の埴輪の大きさは圧倒的である。橿原考古学研究所(橿考研)附属博物館に展示されている実物を目にした見学者は、一様にその巨大さに感嘆の声を上げる。

実物大の巨大円筒埴輪
復元円筒埴輪のイメージ
の大型円筒埴輪を、当時の作業工程そのままに再現する作業が現在、奈良芸術短期大学で行なわれている。実は、今年の3月、国の文化審議会文化財分科会が、埴輪を含むメスリ山古墳出土品を一括して国の重要文化財とすることを答申した。この重文指定を記念して、橿考研は付属博物館で10月8日から11月27日まで、秋季特別展『巨大埴輪とイワレの王墓 −桜井茶臼山・メスリ山古墳の全容− 』を開催する。

の目玉として、再現した2つの巨大円筒埴輪を会場に飾りたいため、橿考研は埴輪の再現制作を奈良芸術短期大学に依頼してきたという。短期大学では、その依頼を受けて、古代の技法そのままに今年の7月1日からその制作にかかり、ようやく成形が終わって陰干し乾燥させる状態までこぎつけた。そのため、本日から3日間、奈良芸術短期大学で焼成前の埴輪を一般公開するという。このニュースを聞いて早速制作現場に出かけた。作業現場は、奈良芸術短期大学の校庭である。橿原神宮の深田池の対岸の梢の間から、青いテントが見える。そのテントの中で巨大円筒埴輪の再現作業が行われている。

奈良芸術短期大学の校庭
奈良芸術短期大学の校庭

姿を現した巨大円筒埴輪”牽牛”と”織姫”

作業場
校庭に作られた作業場
制作途中のイメージ
制作途中のイメージ写真
般公開は午前10時からと聞いていたので、10時15分過ぎに作業現場に到着したが、どうやら筆者が最初の見学者だったらしい。円筒埴輪制作の責任者と思われる陶芸学部の教授が、テントの一画に設えた休憩室のソファを勧めると、懇切に今までの作業経過や今後の予定を説明してくださった。その後、陰干し中の2本の円筒埴輪の実物を見せていただいた。

 円筒埴輪の制作手順

筒埴輪を制作する場合、ほぼ次のような作業ステップを踏む。
1.粘土をこねる
2.粘土でひも状の輪を作り、その輪を上へ上へ積み上げて形を作る。
3.積み上げた粘土の輪の表面をハケメという工具で平らにする。
4.強度を持たせるために凸帯(タガ)を巻き付ける
5.焼成の時、火が内部に通るように透穴をあける
6.成形が終わったら、粘土の水気を取り去るために1カ月ほど陰干しにする
7.乾かした埴輪を焼く(焼成温度約900度)

 再現埴輪の諸元

輪は、粘土で成形した後、約1ヶ月屋根のあるところで陰干しにして、水気を取り去る。水気が残っていると、焼成のときに割れてしまうそうだ。この陰干しによって、生の粘土のままの埴輪は約10%縮む。さらに焼成の際にも若干の土が締まって形が縮むので、焼成後の大きさから逆算して、制作寸法は以下のように設計された。

再現された”牽牛”と”織姫”
再現された”牽牛”と”織姫”
巨大円筒埴輪の内部” align=
巨大円筒埴輪の内部
●制作寸法
大きさ  成形時  焼成時
全高270.5cm242.0cm
口縁部152.7cm131.0cm
基底部100.0cm90.0cm
●その他の諸元
厚さ2cm
輪造ヨリ数81段
(垂直円筒部65段)
(口縁部16段)
重量(成形後)421kg
重量(焼成後)350kg〜360kg
透穴6穴x4=24
凸帯

 作業スケジュール

別展が開始される10月8日から逆算すると、おおざっぱに7月中に成形、8月は陰干し、9月に焼成というスケジュールになる。そのためには、6月中には粘土の確保と作業場所を設営しなければならなかった。

スリ山古墳の埴輪制作にどこの粘土が使われたかは不明である。だが、大学構内に古墳跡があり、また広陵町で良い粘土が得られたので、両方の土をブレンドして埴輪作りの原料としたという。作業場所としては、校庭の一部を使用することにし、テントを張った。

学の専攻課の学生8名が中心となって、7月1日から成形作業に取りかかった。粘土をこね、粘土でひも状の輪を作り、それを上へ積み上げていく昔のやり方をそのまま忠実に再現して、埴輪を成形していった。この作業に延べ日数で25日を要したという。高さ270cmの巨大な円筒埴輪が2本、作業現場のテントの中に立ち上がった。7月中の作業だったので、学生たちはそれぞれの埴輪に”牽牛”と”織姫”という愛称をつけた。

日乾し煉瓦
焼成に使用する日乾し煉瓦
家型埴輪” align=
陶芸学部で復元中の家型埴輪
形を終わった埴輪は、1ヶ月かけて陰干しにする。8月はその期間に当てられている。だが、学生たちはその間なにもしないのではない。須恵器を焼くための窯焼きの技術が入り、埴輪も窯で焼くようになるのは、5世紀になってからである。それ以前は、埴輪の周りをレンガか何かで囲い、焚き火のように薪を燃やして焼成した。そのためには、レンガが必要である。学生たちは、8月中はそのレンガ造りに追われるにちがいない。作業場の近くでは、昔流のやり方で日乾かしレンガの制作がすでに始まっていた。

月に入ったら、埴輪の焼成を始めるので、また見学に来てくださいと、説明してくれた教授に勧誘された。いつ頃になるかは未だ不明だが、それまでに検討しなければならない問題も残っているという。たとえば焼成した埴輪の移動の問題だ。出来上がる埴輪は高さ2.4m、基底部の直径90cm、重量350〜360kgの土の塊である。現代であれば、クレーンを使ってトラックの荷台に載せて簡単に移動できる。だが、古代ではどのように運んだのか? さまざまな実験を試みることで、運搬方法を探ることになるとのことだ。

授には最後に陶芸学部の工作室へ案内していただいた。2回生の学生たちが家型埴輪の復元を試みているという。工作室にはいくつかの家型埴輪が並んでいた。学生たちが埴輪の写真を見ながらに復元したそうだ。実に良くできていた。博物館などで見かける復元模型となんら遜色がなかった。

 追記

スリ山古墳の”メスリ山”とは耳慣れない地名だが、地名学者の池田末則氏によれば、メスリは墳丘の周りにちなむメグリ(巡り)の「グ」が「ス」に誤写されたものだそうだ。カタカナ地名が誤写されて現在の地名として残っている例は少なくない。

スリ山古墳は巨大円筒埴輪で有名である。しかし、「数百人分」の武器類、冑や剣類が出土したことでもよく知られている。実は、東の石室から236本の銅鏃をはじめ、鉄鏃、刀剣、槍、工具類、鉄製の弓矢や銅製のゆづかがあった。双翼の頭飾りのある玉杖などの石製品も出土した。これらの出土武器も今回国の重要文化財に指定された。

土武器のうち、鉄の弓矢は実に精巧である。弓は長さ1.82mで鉄線の弦を持つ。矢は鏃だけでなく箆や矢羽も鉄製だった。鉄の弓矢の出土例はメスリ山古墳だけであり、初期の大和政権の首長の奥津城だったであろうと推定されている。1980年3月に、メスリ山古墳は国の史跡に指定された。



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