姿を現した巨大円筒埴輪”牽牛”と”織姫”
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| 校庭に作られた作業場 |
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| 制作途中のイメージ写真 |
一般公開は午前10時からと聞いていたので、10時15分過ぎに作業現場に到着したが、どうやら筆者が最初の見学者だったらしい。円筒埴輪制作の責任者と思われる陶芸学部の教授が、テントの一画に設えた休憩室のソファを勧めると、懇切に今までの作業経過や今後の予定を説明してくださった。その後、陰干し中の2本の円筒埴輪の実物を見せていただいた。
円筒埴輪の制作手順
円筒埴輪を制作する場合、ほぼ次のような作業ステップを踏む。
1.粘土をこねる
2.粘土でひも状の輪を作り、その輪を上へ上へ積み上げて形を作る。
3.積み上げた粘土の輪の表面をハケメという工具で平らにする。
4.強度を持たせるために凸帯(タガ)を巻き付ける
5.焼成の時、火が内部に通るように透穴をあける
6.成形が終わったら、粘土の水気を取り去るために1カ月ほど陰干しにする
7.乾かした埴輪を焼く(焼成温度約900度)
再現埴輪の諸元
埴輪は、粘土で成形した後、約1ヶ月屋根のあるところで陰干しにして、水気を取り去る。水気が残っていると、焼成のときに割れてしまうそうだ。この陰干しによって、生の粘土のままの埴輪は約10%縮む。さらに焼成の際にも若干の土が締まって形が縮むので、焼成後の大きさから逆算して、制作寸法は以下のように設計された。
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| 再現された”牽牛”と”織姫” |
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| 巨大円筒埴輪の内部 |
●制作寸法
| 大きさ | 成形時 | 焼成時 |
| 全高 | 270.5cm | 242.0cm |
| 口縁部 | 152.7cm | 131.0cm |
| 基底部 | 100.0cm | 90.0cm |
●その他の諸元
| 厚さ | 2cm |
| 輪造ヨリ数 | 81段 (垂直円筒部65段) (口縁部16段) |
| 重量(成形後) | 421kg |
| 重量(焼成後) | 350kg〜360kg |
| 透穴 | 6穴x4=24 |
| 凸帯 | 8 |
作業スケジュール
特別展が開始される10月8日から逆算すると、おおざっぱに7月中に成形、8月は陰干し、9月に焼成というスケジュールになる。そのためには、6月中には粘土の確保と作業場所を設営しなければならなかった。
メスリ山古墳の埴輪制作にどこの粘土が使われたかは不明である。だが、大学構内に古墳跡があり、また広陵町で良い粘土が得られたので、両方の土をブレンドして埴輪作りの原料としたという。作業場所としては、校庭の一部を使用することにし、テントを張った。
大学の専攻課の学生8名が中心となって、7月1日から成形作業に取りかかった。粘土をこね、粘土でひも状の輪を作り、それを上へ積み上げていく昔のやり方をそのまま忠実に再現して、埴輪を成形していった。この作業に延べ日数で25日を要したという。高さ270cmの巨大な円筒埴輪が2本、作業現場のテントの中に立ち上がった。7月中の作業だったので、学生たちはそれぞれの埴輪に”牽牛”と”織姫”という愛称をつけた。
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| 焼成に使用する日乾し煉瓦 |
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| 陶芸学部で復元中の家型埴輪 |
成形を終わった埴輪は、1ヶ月かけて陰干しにする。8月はその期間に当てられている。だが、学生たちはその間なにもしないのではない。須恵器を焼くための窯焼きの技術が入り、埴輪も窯で焼くようになるのは、5世紀になってからである。それ以前は、埴輪の周りをレンガか何かで囲い、焚き火のように薪を燃やして焼成した。そのためには、レンガが必要である。学生たちは、8月中はそのレンガ造りに追われるにちがいない。作業場の近くでは、昔流のやり方で日乾かしレンガの制作がすでに始まっていた。
9月に入ったら、埴輪の焼成を始めるので、また見学に来てくださいと、説明してくれた教授に勧誘された。いつ頃になるかは未だ不明だが、それまでに検討しなければならない問題も残っているという。たとえば焼成した埴輪の移動の問題だ。出来上がる埴輪は高さ2.4m、基底部の直径90cm、重量350〜360kgの土の塊である。現代であれば、クレーンを使ってトラックの荷台に載せて簡単に移動できる。だが、古代ではどのように運んだのか? さまざまな実験を試みることで、運搬方法を探ることになるとのことだ。
教授には最後に陶芸学部の工作室へ案内していただいた。2回生の学生たちが家型埴輪の復元を試みているという。工作室にはいくつかの家型埴輪が並んでいた。学生たちが埴輪の写真を見ながらに復元したそうだ。実に良くできていた。博物館などで見かける復元模型となんら遜色がなかった。
追記
メスリ山古墳の”メスリ山”とは耳慣れない地名だが、地名学者の池田末則氏によれば、メスリは墳丘の周りにちなむメグリ(巡り)の「グ」が「ス」に誤写されたものだそうだ。カタカナ地名が誤写されて現在の地名として残っている例は少なくない。
メスリ山古墳は巨大円筒埴輪で有名である。しかし、「数百人分」の武器類、冑や剣類が出土したことでもよく知られている。実は、東の石室から236本の銅鏃をはじめ、鉄鏃、刀剣、槍、工具類、鉄製の弓矢や銅製のゆづかがあった。双翼の頭飾りのある玉杖などの石製品も出土した。これらの出土武器も今回国の重要文化財に指定された。
出土武器のうち、鉄の弓矢は実に精巧である。弓は長さ1.82mで鉄線の弦を持つ。矢は鏃だけでなく箆や矢羽も鉄製だった。鉄の弓矢の出土例はメスリ山古墳だけであり、初期の大和政権の首長の奥津城だったであろうと推定されている。1980年3月に、メスリ山古墳は国の史跡に指定された。
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