膨大な写真と図版を駆使した前後4時間にもおよぶ圧巻の講義東教授は、上記の企画ツアーに参加されただけでなく、先月ボストンのハーバード大学で行われた高句麗のシンポジウムで「高句麗の墓と王権」と題する講演をされている。したがって、 本日の定例学習会ではどのような話が聞けるだろうかと期待に胸をふくらませて、いつもより少し早めにでかけた。会場に到着したとき、聴講者で席はほとんど埋まっていた。誰しも、思うことは同じようである。
東教授は、講義のために膨大な写真や図版をあらかじめ用意されていた。講義は最初から最後まで、暗幕を引いた部屋でプロジェクタから写真と図版を投射させながらの解説だった。教授が用意された画像ファイルは、なんと348点。今でこそパソコンの中に画像を取り込み、プロジェクタを接続して投射できるが、以前は一枚一枚スライドとして用意しなければならなかった。これらの資料は一朝一夕に作成できるものではない。教授の長年の苦労が滲んでいることは、映し出される各々の画像に感じられた。 午後1時から始まった講義は、途中10分ほどの休憩を挟んで、午後5時まで続いた。前半は、高句麗の初期から中期にかけて王都があった桓仁と集安の積み石塚について、後半は、427年に現在の平壌の地に遷都した後に築かれた主な高句麗古墳の壁画について、綿密な解説をしていただいた。4時間の講義はあっという間に終わったが、余りに多岐にわたるテーマが含まれていたため、頭の中は整理がつかず、真っ白になってしまった思いがした。 |
世界的文化遺産と国民的文化遺産の保存の有り様集安の古墳は、現在確認されたものだけで約7000基はあるという。積石塚と封土墳の二種があり、積石塚の代表的なものが太王陵である。その近くに有名な広開土王碑があることで、以前から太王陵は広開土王の墓であると推測されてきたが、太王陵と書かれた瓦セン以外に決定的な証拠はなかった。ところが、2003年5月に太王陵から「辛卯年好太王□造□九十六」という文字が刻まれた青銅の鈴が出土した。
最近、北朝鮮では、黄海北道燕灘郡松竹里などで約26年ぶりに新たに4基の高句麗壁画古墳が発見された。これによって高句麗壁画古墳は全部で90余基が確認されたことになる。上記のツアーでは、そのうち6基の壁画古墳(湖南里四神塚・双楹塚・龍崗大墓・安岳3号墳・徳興里古墳・江西大墓)を見学できたとのことだ。 ツアーに参加した知人から面白い話を聞いた。上記の6基の壁画古墳は、希望者が8名以上の場合にのみ特別公開され、内部を見学するには、特別見学料として1基あたり15,000円、古墳によっては18,000円が必要であるという。さらに、壁画をカメラに撮影するには、1回あたり5000円の支払いが必要であるという。旅行代金は決して安くはなかったが、それとは別に10万円以上の出費も余儀なくされたとのことだ。
これらの高句麗壁画古墳と日本の壁画古墳とでは、壁画の描き方や下地になっている漆喰の厚さなどに違いがあるとされている。だが、壁画の劣化は高句麗壁画古墳でも問題になっている。ツアー参加者の話を総合すると、見学できた6基の壁画古墳のうち、湖南里四神塚・双楹塚・龍崗大墓の3基は、通常は古墳の入口が密閉されていて、見学希望者があるときだけ入口の穴を開けることで、外気の侵入を阻止しているようだ。その他の安岳3号墳・徳興里古墳・江西大墓は、壁画の前面にガラスを設置し、見学者の壁面へのアクセスを禁じているとのことだ。これらの古墳では、見学者の体温でガラス面が曇ってしまうこともあったらしい。その他に、東教授は見学者が石室内に入ることを禁じ、石室内の様子をビデオカメラで撮影しモニターに表示している古墳の例も紹介された。 日本の場合、高松塚古墳にしろキトラ古墳にしろ、壁画は狭い石槨の中に描かれていて、一般の観光客が見学できるというものではない。劣化対策として石室を解体したり、壁画を剥離保存したりしても、一般に公開されるということはおそらくあるまい。どこかの博物館の地下に完全密閉の状態で永久保存されるだけであろう。そうした観光に供さない文化財であることで、その後の保存に対する具体的なビジョンも描かれぬまま、文化庁は壁画の修復・保存を行おうとしている。
文化庁は、カビ発生の原因が他にあるとして高松塚の封土を剥いだが、原因は究明できなかった。封土を剥がされた石槨は裸にされたも同然である。凝灰岩の石槨は多湿・乾燥の繰り返しに弱いらしい。国民的財産である高松塚古墳の壁画を劣化させたのは、文化庁の責任である。これ以上の劣化を防止するために、最善の策を取ることを文化庁が求められているのは当然である。 |