橿原日記 平成17年3月15日

見沼たんぼで見つけた「馬場小室山第2遺跡」



晩遅く、さわらび通信をハンドルするさわらびY(ゆみ)さんからメールが届いた。日本考古学協会会員の鈴木正博氏からの連絡では、馬場小室山(ばんばおむろやま)遺跡の跡地を宅地分譲している業者が、造成した後の残土を見沼たんぼに捨てているとのことだ。そこには、土器片が散乱しているので、その現場の様子を視察してレポートして欲しいというのだ。

は、今年の1月30日、わらびゆみさんから「1.30馬場小室山遺跡と出会うちょっとリッチな集い」への誘いを受けた。その集いに参加したとき、馬場小室山遺跡に立ち寄ったが、そのとき以来現場を訪れていない。その後の様子を知りたかったので、今日あたり出かけてみる積もりでいたところへ、タイミングよく彼女からの依頼が来た訳である。

下は、本日訪れた馬場小室山遺跡の現場とその残土を捨てた現場の姿をカメラで捉えた映像とともにお伝えする。



遺跡保存のことなど念頭に無かった樹木伐採作業

あああ いいい ううう
飯塚氏が立てた看板 区画整理が済んだ分譲地 分譲地の案内板

場小室山遺跡は自宅から近い。車を15分も走らせれば、さいたま市立三室中学校の前に到着する。遺跡は中学校の裏手にある住宅街の中の里山に埋まっている。中学校の前で車を止めると、拡声器を通して生徒たちの歌声が響いてきた。今日はこの中学校の卒業式だった。校門に立てかけられた看板を見ると、「卒業証書授与式」となっていた。最近は卒業式とは言わないようだ。

舎の裏手に回ると、里山に沿って地元の飯塚邦明氏が立てた看板がずらりと並んでいる。飯塚氏はばんばおむろ山というホームページを立ち上げて、「馬場小室山」の保全運動の先頭にたっておられる御仁だ。昨年までは緑の樹木に覆われていた里山の一画が宅地開発業者の手に渡り、造成区画も完了して、分譲地販売の幟がはためいている。もっとも地鎮祭が行われた様子のある区画はまだ一つしかなかった。

の分譲地の地下には、昨年9月30日をもって強制的に発掘調査の打ち切りを命じられた馬場小室山遺跡の一部が、埋め戻されて眠っている。おそらくは二度と白日のもとに曝されることのない縄文人たちの生活の跡である。


写真撮影方向
写真撮影方向
は、馬場小室山遺跡の保存問題について、気になっていることがあった。昨年の11月、さいたま市の文化財保護審議会委員が、「小室山」を視察し、行政の責任で残存文化財の記録保存することを確認した。さらに12月には、さいたま市議会の一般質問で、さいたま市教育委員会の教育長は、今回の発掘調査の結果をふまえて東側の市有地部分約4000平方メートルを市の史跡に指定することを検討すると答弁している。



ああああ
撮影方向@
ああああ
撮影方向A
ああああ
撮影方向B
ああああ
撮影方向C
れにもかかわらず、先月26日(土)に飯塚邦明氏から、宅地造成業者が史跡指定予定地(市有地)の大木を伐採したり、重機で「環状盛土遺構」 の景観を破壊している状況が伝えられた。 翌日、鈴木正博氏も現場を視察し、重機を導入して「環状盛土遺構」を傷つけ、しかも遺跡としての歴史的景観を無造作に破壊している状況を確認して、直ちにさいたま市教育委員会の教育長宛に「馬場小室山遺跡の史跡指定予定地(市有地)緊急破壊の件(要望書)」を出された。

の中で、鈴木氏は馬場小室山遺跡の市有地破壊の新たな現状認識と「行政の責任」の必要性と緊急性を報告すると共に、史跡指定予定地を含む馬場小室山遺跡の保護の推進に向けての要望及び質問をぶっつけ、3/3(木)までに誠意ある回答と迅速な是正措置を要望された。

れに対して、さいたま市教育委員会の教育長からは3月3日付けで実に簡単な回答が返されただけである。その中で言及しているさいたま市長の「里山景観の保全について」の回答では、宅地造成業者から「私有地の樹木が宅地造成敷地にはみ出しているため、宅地建設前に樹木を切ってもらいたい」との依頼があり、双方立ち会いの現地確認によって指定樹木を決定して伐採した。その際、作業工程上、樹木が私有地の外に倒れないようにするため必要最小限度の重機を使ったとのことである。

が、官庁の通達ほど当てにならないものはない。自分たちの目で直接確かめてみるまでは信用できない。造成地と市有地の境界線に立ってみると、鈴木氏の怒りが十分に理解できた。確かに造成地を覆う可能性がある大木や竹が伐採されていて、以前とはずいぶんと周囲が明るくなった気がする。だが、問題があった。重機を入れた跡が一直線に「環状盛土遺構」の方向に延びている。

真Cを拡大して見て欲しい。以前は斜めに里山に登っていく道などなかった。これは重機が踏みにじった跡である。しかもかなり奥まで続いていて、周囲の木々が伐採されている。以前は鬱蒼としていた茂みが、今はスケスケに明るい。素人判断ながら、境界線付近にある樹木を伐採するのに、重機をこれほど市有地の奥深くまで入れる必要があったとは、どうしても思えない。地下に貴重な遺跡が残っていることに細心の注意を払われたなら、これほど粗雑で乱暴な作業を行なうことはできなかったはずである。おそらく、業者に任せきりにして、教育委員会など誰も立ち会わなかったと思われても仕方がない。

史跡指定予定地(市有地)
必要以上に奥まで樹木が伐採された史跡指定予定地(市有地)



潮の引いた砂浜の貝殻のように、土器片が散乱している残土廃棄現場

沼たんぼ
見沼たんぼ(芝川の橋から見沼用水西縁を望む)
沼田んぼと呼ばれたかっての水田地帯は、今ではすっかり様相を変えて、灌木や葦の生い茂る荒れ地や畑になっている。そこに、馬場小室山遺跡を宅地造成した際にできた残土が3カ所に廃棄してあるというのだ。しかも、事情を知らない者が見たら「馬場小室山第2遺跡」と見なしてもおかしくないほど、その残土上には土器片が散乱しているという。

いにくと、その場所が分からなかったので、飯塚氏に電話で問い合わせると、すぐに略図を送っていただいた。そのすぐ後に鈴木氏からも同様な地図とともに、親切なコメントをいただいた。1月の集いのとき昼食を取った「やまぼうし」の脇をまっすぐに芝川まで行くと、周囲の「黒色土層」の畑の中に一面「褐色土層」の畑があるので、直ぐに分かるとのことだ。褐色土層とは馬場小室山遺跡がある里山の土の色である。両氏のお陰で道に迷うこともなく現場にたどり着けた。車で2〜3分の距離である。

残土廃棄現場@ 土器片
残土廃棄現場@ 現場@に落ちていた土器片
土廃棄現場@とAは、芝川にぶつかる少し手前で東西に横切る農道を右折するとすぐの所に、その農道をはさんで北と南に位置している。いずれの現場も畑地としてすでに整地されていたが、土の色が周囲と異なって褐色なので、一目瞭然である。どちらも整地して間もないのか、表土が柔らかい。少し歩いてみると、小さな土器片があちこちに散乱している。まるで潮の引いた砂浜で貝殻を拾うように、表土の上に顔を出しているカケラをいくらでも拾うことができる。1〜2分ほど歩き回っただけで、20個ほどのカケラを拾った。土をほじれば、幾らでも採取できるにちがいない。

残土廃棄現場A 土器片
残土廃棄現場A 現場Aに落ちていた土器片
そらく現状を推測してのことであろうが、わらびゆみさんは、メールの中で面白いコメントをつけてきた。”見沼田んぼで「縄文土器発見! ここにも遺跡が」と未来の考古学者がはしゃいでいるところに、小室山の亡霊(小室神社の神様?)がでてきて「ぎゃふん」といわせるなんて4コマ漫画を描きたいところなんですが、才能がなくてそれも断念”。まさに言い得て妙である。
残土廃棄現場B 伐採樹木処理現場
残土廃棄現場B 現場Bの横の伐採樹木処理跡
場Bにアクセスするには、芝川沿いの砂利道を東へ進めばよい。すぐの所に芝川を架かる橋があり、その橋に向かう上り坂の脇に位置している。ただし、こちらはまだ畑に整地されていないため、残土が二段にうずたかく積まれている。この堆積残土上でも多くの土器片が散乱しているのが目につく。残土の前に旧浦和市が立てた「残土破棄禁止」の看板がたっていた。新しく「さいたま市」に生まれ変わると、看板の効力まで失われるのだろうか。残土を堆積した横には、遺跡から切り出した大木や竹の根株や枝を取りはらい、材木として処理した場所があった。


土の堆積の上に立って、散乱する土器片の意味を少し考えてみた。これらの残土は宅地造成の現場から持ち込まれたものである。宅地造成に先立って、たとえ全てではないにしろ事前に発掘調査が行われ、遺跡から出土した遺物は採集されたはずである。それにもかかわらず、なぜ夥しい縄文土器が残土に含まれているのであろう。

つには、時間的制約から事前発掘調査が完了しなかったことが原因として考えられる。重機が土器堆積層まで掘り起こしかき混ぜたため、埋もれていた多くの土器が細片化した可能性もある。いずれにしても、宅地造成された地下の遺跡は跡形もなく破壊されたものと考えたほうが良い。

土器片の数
残土廃棄現場Bで見つけた土器片の数々
古学者の鈴木氏は、こうした状況を想定以上の破壊が行われたとして唖然としておられる。市の行政担当は、実質的な調査は終わったとして、強制的に事前発掘調査を打ち切らせたが、散乱する土器片は調査が未了だったこと雄弁に物語っている。縄文遺跡とは、その時代に生きた人々が生きた証として大地に刻み込んでくれた後世に対するメッセージである。メッセージが伝えるものを真摯に受け止め、それを次の時代に伝えていくことは、現代に生きる者の使命でもある。目先だけの利害損得だけで遺跡破壊が許されるものではない。

良県の明日香村では、現在高松塚古墳の国民の財産とも言える彩色壁画が瀕死の状態にある。その保存・維持を任されてきた文化庁の責任が今大きく取りざたされている。同じような地方行政の怠慢や無理解も、文化財の破壊を生んでいる。文化財を守るには地方行政の力を当てにするより、地元住民の意識を高める方が大切かもしれない。せめて馬場小室山古墳の残った部分だけでも、確実に史蹟として保存され、後世に残されることを祈って止まない。



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