橿原日記 平成16年7月24日

「キトラ古墳石室 内発掘調査」の報告会

真夏の炎天下に「飛鳥資料館」の庭に集まってきた人々

アストロビジョン
報告会会場に持ち込まれたアストロビジョン
年の3月13日、飛鳥京跡と島庄遺跡の現地説明会が同時に行われ、多くの考古学ファンが明日香村に参集した。それ以来久しぶりの現地説明会が、本日飛鳥資料館の庭で行われるというので、友人二人を誘って少し早めに会場に足を運んだ。

んと言っても最近の飛鳥の話題は、キトラ古墳の発掘状況である。その現場説明会には多くの考古学ファンが集まるものと予想された。だが、キトラ古墳付近には説明会を開けるような適当なスペースがない。そのため、現場とは関係がない飛鳥資料館の庭で現場説明会が行われることになった。したがって、主催者は「現場説明会」という名称を使わず、「発掘報告会」とした。

村長・関義清氏” align=
挨拶する明日香村村長・関義清氏
しぶりの現場説明会であり、さらに、壁画のはぎ取り修復前の古墳の最新状況が分かる絶好の機会である。主催者である奈良文化財研究所は、当然多くの考古学ファンが参加すると予想し、大型のアストロビジョンまで会場に持ち込んだ。どうやら全部で5回行なう説明会に、5000人は参加すると予想したようだ。

が、連日の35度を超える猛暑は参加予定者の足を引っ張ったようだ。第1回の報告会には500人ほど集まった。最初に明日香村の村長関義清の挨拶があり、その後、発掘責任者がアストロビジョンを使って発掘調査の様子を説明した。参加者の大半は、会場からかなり離れた木陰に腰を下ろして、アストロビジョンの映像を見ながら話を聞いていた。第2回以降は参加者の数は激減した。主催者側としては、おそらく気が抜けた報告会になったにちがいない。



地下の特設展示室に設けられたキトラ古墳コーナー

琥珀玉
銅製の釘隠しと琥珀玉
棺の鐶座金具
棺の鐶座金具
鳥資料館は、キトラ古墳コーナーを地下の特設展示室に設けている。そして、デジタルカメラで撮影した壁画の写真や、発掘中に見つかった遺物、発掘の際使われた器具などを展示している。第一回目の報告会にはまだ時間があったので、展示品を先ず見ることにした。正直に言えば、外の燃えるような暑さに閉口して、空調が効いた室内に逃げ込んだのが実情だ。

示室を入ると、発掘中に見つかった銅製の釘隠しや琥珀玉、棺の鐶座(かんざ)金具、金象嵌のある刀飾り具などがガラスケースの中に陳列してある。奥の部屋には、拡大した四神獣の壁画の写真が壁に貼られていた。天井に描かれた星座の写真では、お馴染みの北斗七星や北極星などもしっかり確認できる。1600万画素のデジタルカメラを挿入して撮影した映像だけあって、さすがに十分に見応えのある展示だった。

壁の朱雀や東壁の獣頭人身像は、漆喰(しっくい)の上にヘラのような道具で、線刻の下書きをしていたことがはっきり分かる。高松塚古墳には使われていない技法で、火災で焼けた法隆寺金堂壁画(八世紀)に使われた技法らしい。

石室の展開図
石室の展開図
ああああ
朱雀
ああああ
玄武
示室には実物大の石室(正確には横口式石槨という)の模型が置かれていた。実際に石室の中で青龍・朱雀・白虎・玄武、獣頭人身像、天文図などを描いた絵師の様子を想像すると、さぞ窮屈な思いをしたであろう。石室の内法は奥行2.4m、幅1.04m、高さ1.24mに過ぎない。

白かったのは、発掘作業中に作業員が壁画に絶対接触しないように考案された作業ケースである。数本のポールを組み立てて、その間に透明なプラスチックをはめ込んだ箱は、底だけが開いていて、石室内に蓄積した土壌を掻き出すことができる。しかも、作業員は完全な防塵服をまとい腹這いになって作業を行なったはずだ。古代の絵師が味わった窮屈さを、現代の作業員もおそらく味わったにちがいない。



キトラ古墳の青竜などの壁画は石室外で修復することに決定

白虎
ヒョウキンな顔の白虎
トラ古墳は、1978年頃にその存在が知られるようになったが、すでに平安時代末から鎌倉時代に盗掘されていた。最初に行われた内部調査では、壁画が描かれた漆喰が剥がれそうになっていることが判明した。そのため、調査は時間をかけて慎重に行われてきた。1983年にはファイバースコープで、1998年には超小型カメラで、そして2001年にはデジタルカメラで石槨の内部撮影が行われた。その結果、玄武、青竜、白虎、朱雀が描かれ、さらに、星に金ぱくを張り付けて星宿図が天井に描かれていることを確認された。2002年1月になると、十二支の寅とみられる獣頭人身像が描かれているのが確認された。

ずれの発見も、その都度マスコミの話題を誘った。飛鳥地方では高松塚古墳に続く2例目の彩色壁画古墳として、その知名度は抜群に高い。まだ発掘調査が実施される前の2000年に、はやばやと専門家からなる「キトラ古墳周辺地区基本計画委員会」を設置された。そして、施設計画や管理運営計画などについて検討が加えられている。

墓道の現地説明会
墓道の現地説明会
その後に建設された覆屋
その後に建設された覆屋
屋建設に先だって行われた発掘調査で、墓道が発見された。2002年6月のことである。墓道とは、朱雀の壁画が描かれた南側の石壁を搬入するためのいわばレールである。墓道が見つかったのは、高松塚古墳、マルコ山古墳、カラト古墳に続いて4例目であり、終末期古墳の特徴やその形態に共通性があることが改めて確認された。その月の8日には、墓道の現地説明会が開かれた。

屋は2003年8月に完成した。ところが、墳丘面に白カビが発生しているのが発見された。その対策に追われ、 壁画を保存処理するための発掘調査が開始されたのは、2004年1月26日になってからである。当初の予定よりも4ヶ月遅れての調査開始だった。

月の床面発掘調査で、琥珀玉2点や金象嵌の刀装具などが見つかった。被葬者が身につけていた冠や腰飾りなどの装飾品の一部と推察されている。さらに、床に堆積した流入土からは、十数点の骨片や歯が見つかった。歯の分析から、被葬者は40代から50代の熟年、あるいは60代以上の老人と想定されている。ただし、男女の判別は今のところ決定していない。

在のキトラ古墳にとって最大の問題は、壁画の保存対策である。今までの調査で、漆喰の剥離が当初の予想よりはるかに激しく、早急に手を打つ必要が生じてきた。文化庁の調査研究委はその対策を検討してきたが、去る6月12日、剥離が激しい青竜(東壁)、白虎(西壁)「戌(いぬ)」とみられる十二支像(西壁)および「亥(い)」とみられる十二支像(北壁)など一部を壁石から取り外し、石室外で修復することを決めた。8月上旬にも着手するという。

室から出した後の恒久的な保存策や、他の壁画への対応については、結論を持ち越したままの状態にある。願わくば、トーチカを思わす現在の高松塚古墳のような保存方法は止めて貰いたい。重要なのは古墳そのものではない。石室の壁に描かれた彩色壁画が重要なのであって、壁画だけを保存すれば良いのであれば、さまざまな方法が可能であろう。


【追記】6月27日、文化庁は壁画修復のためのはぎ取り作業を8月2日に着手すると発表した。最初にはぎ取るのは、面積が小さい西壁の「戌(い)」の十二支像で、レーヨン紙を張って表打ちした後、既存のひび割れを利用して石材から外す。取り外した壁画は、墳丘の保存施設で冷蔵庫に保管した後、奈良文化材研究所で修復する。 「戌(い)」の十二支像の次に、最も剥離の大きい「青竜」(東壁)のはぎ取り準備にかかり、8月11日には取り外しを終える。「白虎」に関しては、9月7日のはぎ取りを予定しているという。(04/07/28)



2004/07/26作成by n_ohsei2002@yahoo.co.jp return