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A様に捧げる鎮魂歌 昨日、駅のホームで一枚のポスターを見て、強烈な衝撃を受けました。それは、「ここでしか出会えない風景があります」というキャッチ・コピーと共に示された大台ヶ原の風景でした。立ち枯れしたり、根こそぎ引き倒されたままの無数の木々たち。白骨化した屍の骨をまき散らしたような風景は、まさに原生林の墓場そのものでした。 その荒涼とした風景写真は、長らく記憶の底に忘れていた貴方との約束を思い起こしました。あの日、貴方は「トウヒ(唐檜)やウラジロモミの生い茂る大台ヶ原の樹海の美しさを、君に見せてあげるよ」と約束されました。私はその日が来るのを楽しみにしていましたのに、あの事件で貴方がいなくなり、いつしか40年の歳月が過ぎ去りました。
大台が原 − この紀伊半島の東南に位置する高原は、かっては大平(おおたいら)とも大平原(おおたいらばら)と呼ばれていたと、貴方から教わりました。そして、その名は吉野熊野国立公園内の標高1,400〜1,600mの起伏が続く高原台地の総称で、年平均降水量が4,000mmを越える日本有数の多雨地帯であるとも、教えていただきました。本日は、貴方の存在を身近に感じながら、一人で大台ヶ原を歩いてきました。その一日を貴方に報告することにします。 |
大台ヶ原駐車場から日出ケ岳(ひでがだけ、1695m)へ
大台ヶ原には、東大台と西大台という2つの周遊コースがあります。東大台は一般向けのハイキングコースですが、西大台は中級向けということなので、東大台周遊コースを選ぶことにしました。この東大台周遊コースには、体力と目的に合わせてさらに4つのコースが用意されています。貴方と一刻でも長く歩いていたい、そんな思いから「東大台ヶ原完全クリアコース」を選ぶことにしました。所要時間約3時間40分、総延長距離8.4kmと、ちょっとタフなコースです。「そんなに無理して大丈夫かい」と、貴方の声が後ろから聞こえるような気がしました。足があまり丈夫ではない私には、すこし無理なコースだったことを後で知りました。 このコースの最初の目的地は、日出ケ岳です。山頂は海抜1,695mとのことですから、駐車場より約150mほど高い所にあります。大台ヶ原ビジターセンターと大台荘との間にある周遊路の入り口から1.9kmの山道を歩くことになります。トウヒやウラジロモミが林立する亜寒帯の林を抜けていく道は、ほとんど平坦でまことに気持ちが良い散策路です。
そうなのです。私を今包み込んでいる森の霊気は貴方そのものなのです。それを私に感じ取って欲しくて、貴方は私をここへ誘ったにちがいありません。そう思うと、台地を一面に覆っているイトザサという名の小型の美しい笹までが、無性に愛おしく感じられます。 日出ケ岳に至るかなり急な坂道は、最後の300mほどの区間にありました。見上げるような木道(もくどう)の先に、日出ケ岳の山頂に建てられた展望台が見えます。山頂付近は樹木らしい木はほとんどなく、イトザサだけが生い茂っていました。展望台の二階に登れば、360度の眺望を味わうことができます。大峰連山はもとより、高見山へ続く台高山脈の山々が連なって見えます。東側にある熊野灘までは距離にして20kmほどです。天気の良い日は、熊野灘の入り江が見えるとのことでした。残念ながら、本日はそれほど遠くまで視界が効かず、展望台に掲げられた写真から、熊野灘方面の景観を想像するより仕方がありませんでした。 展望台には、一組の若い男女が楽しそうに語らっていました。男性が女性の肩を抱き寄せながら、青色にかすんで見えるあちこちの山を指さして熱心に説明しています。女性は時折振り返りながら、その恋人の顔を頼もしそうに見上げたりしています。40年前の私たちの姿をそこに見る思いでした。 |
日出ケ岳から正木ケ原へ
正木峠に近づくにつれて、立ち枯れしたり、根元からひっくり返って白い幹だけが残った樹木の林が周遊路の両脇に見えてきます。「ここでしか出会えない風景」とポスターで人目を引きつけた風景が延々と続いています。こうした樹木の被害もハイカーたちの影響かどうか気になって、たまたま正木峠で昼食を取っていた保安員にたずねると、原因はいろいろあるとの返事が返ってきました。 大台ヶ原の台地は岩山です。ここに自生する樹木はしっかりと台地の奥深くまで根を張れません。それに加えて、大台ヶ原は全国でも有数の多雨地帯であり、しかも最も雨量が多いのは台風シーズンだそうです。現在、根こそぎ引き抜かれたように横転している枯れ木の多くは、昭和34年(1959)の伊勢湾台風のとき被害にあった木々とのことでした。大雨で根元が柔らかくなっているところに、山頂で強風にあおられては、木々もたまったものではありません。 台風被害に他の要素が加わります。酸性雨が山の木々の頂を枯らします。一方、付近に棲息する野生のニホンジカの群れは、冬場には下部の幹の皮をはいで食用として食べてしまいます。このように上と下から攻められては、樹木に残された運命は立ち枯れしかありません。樹木にとっては、こうした過酷な条件がいくつも重なって、まさに「ここでしか出会えない風景」を作り上げているのです。 かってこの付近には、トウヒやウラジロモミなどの亜寒帯植物が自生していました。伊勢湾台風は、吉野川・紀の川の流域に甚大な被害をもたらしましたが、その源流にあたる大台ヶ原の植物たちにも甚大な被害を与えました。朽ち果てた白骨のように林立する枯れ木や倒木は、かってこの地域で繁茂していた木々の墓標そのものと言えます。 貴方が私をここに誘ったのは、枯れ木のこうした白骨化した姿を見せたかったからでしょうか。周遊路の脇にかがみ込んで、横転した木の幹に触れて見ました。軽く触れただけで、私の手の中に灰のように簡単に崩れてしまいました。私は貴方の遺骨を知りません。あの日、北陸の冬の海に断崖から飛び込み自ら命を絶った貴方の遺体は、ついに発見されませんでした。貴方の遺骨の一つでも、私は青春の思い出としてしっかりと胸に抱いていたかったです。今、トウヒの幹の崩れ落ちたかけらをハンカチに包みました。貴方が40年の歳月の後に私にくれた最後の思い出の品として、大切に持って帰ります。 正木ケ原は何もない空き地です。しかし、振り返って日出ケ岳の方を見やると、山の中腹に立ち枯れした白い木の亡骸がずいぶんと目立ちます。一度枯れた木は再び活性化して緑の枝葉を付けることはありません。朽ち果てて、台地の土の一部に変わり、そこに運ばれてきた種子を立派な大木に育て上げる義務をこれから果たしてゆくことになります。長い長い年月をかけて。 |
正木ケ原から牛石ケ原へ
ニホンジカは、付近に群生しているイトザサを主食としています。イトザサとは、本来は山地に生え、地下茎を横に張って広がるミヤコザサのことらしいのです。ミヤコザサは背丈が 50〜80cmに育つのですが、鹿に食べ続けられているため小型化してしまって、イトザサと呼ばれているとのことです。 ガイドブックによれば、牛石ケ原は正木ケ原よりも広いイトザサの群落台地だそうです。この原っぱには3ツのものがあります。一つは、弓の先に八咫烏を止まらせ、右手をかざして遠くを見やる神武天皇の銅像が、なぜか牛石ケ原の入り口近くに建っています。神武天皇が東征の折に大台ヶ原に立ち寄ったという伝承はありません。おそらく、銅像好きの地元の有志が勝手に建てたのでしょう。 その他に、牛石ケ原という名の由来になった牛石があります。イトザサの平原に魔物を封じ込めたと伝えられる石です。さらに、御手洗池という名の看板が立っている場所があるので近寄ってみましたが、水などなく干上がっていました。大雨が降ったときなどに、ここに少しは水が貯まるのでしょう。 |
牛石ケ原からへ大蛇ー(だいじゃぐら)の展望台へ
「ー(ぐら)」という文字は「嵒(がん)」の異体字で、山中にころがるゴツゴツした固い岩のことです。展望台までの道は岩だらけのガレ場が多く、しっかりした靴でないとなかなか歩けません。道の途中に「装備不良の人はこれより先立ち入り禁止」の標識がありました。スパッと両岸が切れ落ちて先へ行くほど細くなっている岩場です。右手前方にセイローと呼ばれる岩の絶壁が見えます。足を滑らせれば、おそらくあの岩場のような崖から転がり落ちて、千尋の谷底に叩きつけられるのでしょう。 貴方が生きていて下されば、おそらく手をしっかり握って誘導して頂けたでしょう。だが、現実には貴方の姿は見えません。両手をついて這うようにして、岩場の先端にたどり着くのが精一杯でした。 展望台があるこの岩場は大蛇ー(だいじゃぐら)と呼ばれています。谷底から見上げると、おそらく蛇が鎌首を持ち上げるようにして立ちはだかる姿に似ているのでしょう。落下防止の鉄鎖が周囲に張られている展望台からの眺めは、屈指の山岳展望と言えます。大峰山脈の主稜が対岸に屏風のように立ちあがって見えます。石川五右衛門ならずとも、「絶景かな、絶景かな」と声を張り上げたい気分にさせてくれます。 気が付くと、展望台には私以外には誰もいなくなっていました。勇気を出して先端の鎖の所まで行って、眼下を覗き込みたい欲望に駆られました。岩自体がツルツルして 滑りそうで怖かったのですが、やっとのことで鎖を留めている鉄棒までたどり着きました。そして、鉄棒をしっかり握りしめながら、おそるおそる下を見ました。相当な深さの谷が真下に見えました。 目先がクラクラする思いで下を見ていると、ふと40年前の貴方の姿が私に重なりました。北陸の荒海を見下ろす断崖に立たれた貴方の眼下には、緑の谷底ではなく、日本海の荒波が渦巻いていたはずです。その光景を見下ろして、貴方は自らの命を飲み込む自然の荒々しさに恐怖を感じなかったのでしょうか。それとも、真っ白になった脳裏からは死の恐怖など立ち消えていたのでしょうか。あの事件があった後、放物線を描きながら冬の海に投げ出されていく貴方の幻影を私は何十回何百回と夢の中で見てきました。私を捨ててまで貴方が自らの命を絶たれた理由を、この40年間私は誰からも聞いていません。 |
大蛇ーからシオカラ谷吊り橋を渡って大台ヶ原駐車場へ
正直に申し上げて、シオカラ谷方面と大蛇ー方面の分岐点までどのようにして立ち戻ったのかよく覚えていません。誰もいない展望台に一人たたずんでいると、千尋の谷底へ飛び込んでみたい衝動に駆られて仕方がありませんでした。このまま突風に煽られて空中に放り出されれば、貴方のいる冥界に簡単に行けるのでは....。そのために貴方はここまで私を誘ったのでは.....。そんな思いが脳裏を駆けめぐりました。でも、結局はツルツルすべる岩石に足を取られながら、必死の思いで後ずさりして死の誘惑を振り切ってきました。そして、それが貴方への裏切りではないのかと後悔の念に駆られたりして、何が何だか分からないうちに分岐点の標識の前に立っていました。
この周遊路はツツジシャクナゲの自生する地帯を抜けて行きます。ツツジシャクナゲは6月の初め頃、赤紫の美しい花を枝の先につけるそうです。残念ながら、花の盛りの時期はすでに過ぎていました。花と言えば、ギンリョウソウやバイケイソウ、カワチブシといった花が、夏の大台ヶ原では見られるとのことでした。しかし、花らしい花には今まで一つもお目にかかれませんでした。 シオカラ谷までは40分近い下り道です。しかも、木の根や小岩がゴロゴロしていて、決して歩きやすい道ではありません。何処までも下りの坂道が続いています。山道は、下りが上りよりも一見楽そうに見えますが、決してそうではありません。前に転倒しないように爪先に力を入れて踏ん張らなければならないので、かえって体力を消耗します。 かなり山道を下ってきて、とんでもない判断ミスをしたことに気が付きました。シオカラ谷までは200mほど山を下ることになります。ということは、吊り橋を渡った後、今度は200mの山道を登らなければ駐車場にたどり着けないのです。すでに7km近い山道を歩いてきました。200mの高度を登り切る体力が残っているかどうか、自信はまったくありません。 シャクナゲ坂を下りきったところに、渓谷美の「シオカラ谷」がありました。「シオカラ吊り橋」を渡れば、厳しい登り道が待っているのは分かっていました。巨大な岩石で埋め尽くされた河原におりて、疲れた足を水に浸して少し休憩を取りました。この流れはすぐ下で東の滝となって落下しているそうです。 吊り橋を渡ると、いよいよ急な上り坂です。やはり不安は的中しました。太ももの筋肉が疲れて、石段を登れないのです。10mほど登っては小休止を取り、人の何倍もの時間をかけて坂を登らなければなりませんでした。しかし、不思議なことに途中から足の運びが急に楽になりました。誰かに後ろから押して貰っているような錯覚を感じました。でも、後から考えると、あれは錯覚ではなく、本当は貴方に背中を押して貰っていたのかもしれません。帰りのバスが出発する15分前に、どうにか駐車場にたどり着くことができました。 行きと同じ時間をかけて、大台ヶ原から山を下り、電車を乗り継いで我が家にたどり着いたとき、夜のとばりがすっかり降りていました。遅い夕食をとった後、深夜になりましたが今日一日の出来事を綴っています。今は記憶の中でしかお会いできない貴方への報告としては、お粗末なものになりました。しかし、これだけははっきりと断言できます。大台ヶ原へ私を誘ったのは、間違いなく貴方です。原生林の墓場のような風景の中から、40年前の約束を果たそうと、声にならない声で私に呼びかけてきたのは、間違いなく貴方でした。 私は、大台ヶ原の霊気の中で常に貴方の視線を感じていました。貴方が身近にいる気配を感じていました。今はもう心の目でしかお目にかかれない貴方がもどかしいですが、できることなら40年前の若い私をお見せしたかったです。60歳の齢を過ぎて小太りした私を見て、さぞかし驚きになられたことでしょう。残念なことに、人間は誰しも現世では年を取らなければならないのです。 |