あすか塾で「飛鳥の諸宮と藤原京の成立」の講義を聴く
今日の飛鳥行きの目的は、実は飛鳥保存財団研修宿泊所の祝戸荘で行われる第126回「あすか塾」に参加することだった。橿考研調査第一課の主任研究員・林部均氏が『飛鳥の諸宮と藤原京の成立』と題する講義をされるというので参加することにした。 初めての参加だったが、常連の参加者が多く、雪の週末にもかかわらず講義室はいっぱいになった。「あすか塾」では午前11時20分から午後2時40分までの講座の間に、昼の昼食が用意される。本日のメニューは混ぜご飯と天ぷらそばだった。 林部氏の講義には、”飛鳥の「首都」化、すなわち飛鳥の整備・荘厳化はいかに達成されたか”というサブタイトルが付いていた。7世紀代に飛鳥に宮居を築いた各天皇が飛鳥の地の荘厳化に腐心した理由も目的も、説得力がある説明だった。ただ、荘厳化のために宮居や寺院などの建物を正方位、すなわち南北軸を重視するようになった契機を、氏は西暦600年の遣隋使に求め、「天子南面」の思想や天円地方の思想をもたらしたとされたが、小生の考えは少し違う。蘇我馬子が建立した飛鳥寺では、すでに南北軸を主軸に伽藍が配置されている。飛鳥寺の着工は588年である。その頃までには南北軸を重視する思想が朝鮮半島から伝わっていたと見なすべきであろう。
飛鳥の諸京も藤原京も南北線を主軸に造営されたのは事実だろう。だが、飛鳥の地形を考えた場合、四神相応の地でもないところになぜ都が築かれたのかという疑問は、相変わらず残った。韓国や中国では、都は北、東、西を山に囲まれ、一方が開けていて、南方に川や池など「水」をたたえ得るような地形環境に築くのが最も良いとされている。だが、飛鳥の地も藤原の地も南が北より土地が高い。水は南から北へ流れる。さらに、土地も北に開いている。まさに風水の説と逆の地形なのである。 |