橿原日記 平成16年1月1日

東大寺大仏殿の観相窓から大仏を拝す



 奈良市内に住む同期生のJ.H女史からメールを貰った。元旦の午前0時から午前8時まで東大寺の大仏殿が無料で参拝できるうえに、観相窓から大仏を拝顔できるという内容だった。初詣に誘ってくれたのかと喜んだが、当の本人は毎年の恒例で熊本に実家で正月を過ごすという。代わりに近くに住むT.Y氏を誘うと、さっそく電車の特別ダイヤを調べ、落ち合う時間まで指定してくれた。

 いつものように一日が終わり、いつものように朝がくる。ただそれだけではないか、と思う。だが、大晦日の夜は一つの締めくくりとして、人それぞれに特別な感慨を抱かせるらしい。終日静かに降り注いでいた雨が、「紅白歌合戦」の放送が始まる頃には止んだ。風がないせいか、雨上がりの夜は意外なほど暖かく感じられる。私鉄各線は今晩、終夜運転の特別ダイヤを組んでいる。大晦日の除夜の鐘にはまだ少し早い時間帯の電車は、ほとんど乗客がいない。八木西口駅でT.Y氏と落ち合い、西大寺経由で奈良へ向かった。



東大寺の境内は人、人・・・・人の波

中門前の人の波
中門前の人の波
 近鉄奈良駅で電車を降りたときから、東へ向かう人の群れは延々と続いた。どこから湧き出したのかと思うほど多くの参拝者が、お世辞にも明るいとは言えない車道脇の歩道を隊をなして早足で歩いていく。

 演歌の歌詞とは違って、彼らは決して無口とは言えない。そのほとんどが若い男女のカップルだからだ。女性の甲高い笑い声や携帯電話での話し声が随所でしている。過ぎし一年の無事を感謝し、来る一年の安寧の祈願に出向いてきたという印象はどの顔からも受けない。若い世代にとっては、真夜中の参拝は一種のファッションなのだろう。彼らの日常にとって、午前0時は真夜中ではなく、おそらく宵の口なのだ。

観相窓
観相窓越しにのぞむ大仏
 東大寺の南大門の前は、道の両側に屋台の店が並び道幅を狭くしている。毎度のことながら、神社仏閣で催し物があるたびに、どこからともなく集まってくる香具師(やし)の店である。店の数は多いが、店の種類は意外と少ない。その間を抜けて人の群れは南大門に向かって続く。南大門の入口を守る金剛力士像がライトアップされ、ものすごい迫力で参拝者を見下ろしている。鎌倉時代の運慶の作と伝えられ、木造の仁王像としては我が国最大である。運慶の気迫がそのまま伝わってくるようだ。

 南大門を入り中門の手前まで来た所で、参拝者の足がピタリと止まった。大仏殿の中が参拝者で溢れかえり、そのための入場制限だった。そこから大仏殿にたどり着くまで、随分長い時間待たされた。おそらく40分以上は並んで待たされたであろう。中門まで進んだところで、やっと毘慮舎那仏の顔を観相窓からのぞむことができた。観相窓とは、大仏殿の唐波風の下に設けられた朱塗りの扉がついた窓である。大晦日と大会の時だけ開かれるとのことだ。

毘慮舎那仏
毘慮舎那仏
 大仏殿の中は立錐の余地もないほど人で埋め尽くされていた。青銅色の毘慮舎那(びるしゃな)仏は施無畏・与願印を結びながら、身の回りでうごめく衆生を高見から見下ろしていた。その金色の光背から反射されるライトアップの光が目にまぶしい。毘慮舎那仏の毘慮舎那は、”ヴァイローチャナ”という梵語の音写で、光明遍照、すなわち光がすべてのものをあまねく照らすという意味だそうだ。そうであれば、仏像も青銅色ではなく金色こそふさわしい。塗金しないのは、寺にそれだけの財力がないためだろうか。それとも、古びたものに一層の価値を置く日本人独特の嗜好性のためか。

 やっとの思いで、大仏殿の人混みから抜け出したとき、午前1時をとっくに過ぎていた。夜が更けるに連れて寒さが増してきたのか、境内で焚かれているかがり火の周りには人垣があった。その人垣を遠目で睨むように、鹿があちこちの暗闇の中でうごめいている。さすがに今晩は、鹿も落ち着いて眠れないらしい。



春日大社の参拝をあきらめる

 東大寺の毘慮舎那仏を無料で拝観した後、春日大社へ参拝に向かうのは、このあたりの習慣らしい。東大寺を出た長蛇の列がそのまま春日大社の参道へ続いている。観相窓から大仏の顔を拝むという当初の目的は果たした。どうしょうか?と、T.Y氏に相談すると、折角出て来たのだから参拝して帰ろう、との返事が返ってきた。

 東大寺前の交差点から春日大社への参道は、いわばバイパスなのだろう。それほど広くない道を裸電球がところどころを照らしているにすぎない。二の鳥居まで来たとき、またしても足止めをくった。やはり参拝者が殺到して拝殿までたどり着くのは大変らしい。 前方は人の列が延々と続いている。

 年若い世代ならともかく、還暦を過ぎた我々には寒空の下でこれから1時間近く並んで待つのは厳しい。結局、参拝をあきらめて、帰路につき途中で年越しそばでも食べて体を温めることにした。橿原のアパートに戻ったのは、午前4時を回っていた。



橿原神宮の初詣客の多さに圧倒させられる

参道を埋め尽くす参拝者
参道を埋め尽くす参拝者

 橿原で借りているアパートは、近鉄の「畝傍御陵前」駅の駅前に建っている。橿原神宮に近い。橿原森林公苑の中の遊歩道は、毎日の散歩コースに利用している。近鉄沿線では、橿原神宮は伊勢神宮と並んで初詣の参拝客が多い。だが、近くにアパートを借りながら、今までこの神社に初詣で参拝したことがない。奈良から戻って一眠りしたあと、橿原神宮にも参拝することにした。幸い、元旦の空は青く、風もない。初詣のハシゴをするのも悪くない。

 橿原神宮の参拝者はマイカーで訪れる者が多い。あちらこちらにある駐車場は満車で、道路の路側帯にも延々と駐車の列が続く。表参道も北参道も香具師の店が並び、参拝者の人混みは、やはり想像を超えるものがあった。

干支看板
外拝殿の前に立てられた巨大な絵馬
 神門を一歩は入ると、外拝殿の前は広大は広場だ。いつもは人影がまばらだが、今朝は家族連れや若いカップルであふれていた。初詣のためにこの神宮が用意したものが二つある。一つは外拝殿に前に毎年立てられる巨大な干支の絵馬である。今年に干支は甲申(きのえさる)。松の木の枝に腰掛けて初日を眺める猿をあしらった絵馬を背景に、記念撮影をする参拝者の姿が多い。

 もう一つのサービスは、内拝殿前まで入り込んで参拝できることだ。普通の日には、一般の参詣者は外拝殿から遙か彼方の本殿を拝むだけで、本殿の屋根の千木(ちぎ)の先端をわずかにのぞむにすぐない。だが、初詣のための賽銭箱は、内拝殿の正面に金網を巡らして特別に設置してある。

参拝者の列
内拝殿の前で敬虔な祈りを捧げる参拝者の列
 拝殿前で参拝者の姿をしばらく眺めていると、深々と頭を下げて願い事をしている者が目立つ。この神社の祭神は、神武天皇と姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)である。多神教の国であるから、誰を祀ってもかまわないが、神武天皇を祀っているからといって創建が古い訳ではない。

 むしろ、多くの神社の中で最も新しい神社で、創建は明治23年(1890)3月、たかだか100年の社歴を持つにすぎない。しかも、我が国を第二次世界大戦に導いたおぞましき皇国史観に裏打ちされた神社であることも事実である。参拝者たちはそうした背景を理解した上で祭神に願い事を祈っているのであろうか。この神宮は来月にもう一度参拝客で賑わう日がある。2月11日の建国記念日、かっての紀元節に催される建国祭のときである。

 アパートに戻ってテレビのスイッチを入れると、臨時ニュースのテロップが画面に流れた。小泉首相が初詣に靖国神社に参拝したというのだ。またか、というのが最初の印象だった。都内での初詣なら、明治神宮でも日枝神社でもどこでもよいであろう。だが、首相は異常なほど靖国神社に固執する。その無神経ぶりに、また中国や韓国から不快の念を表明され、外交問題に発展するのは間違いない。それを承知の上での参拝だがら、一層始末が悪い。後世の歴史家は、外交感覚のない偏執者を一国の首相として戴いた不幸を嘆くことになるかもしれない。




2004/01/01作成by n-ohsei@bell.jp return