H15/04/06

甘樫坐神社(あまかしにいますじんじゃ)盟神探湯(くがたち)の神事を見る


 甘樫丘の麓に鎮座する甘樫坐神社では、毎年4月の最初の日曜日に「盟神探湯」の神事が行われる。今年は本日の4月6日がその日にあたる。二日降り続いた雨は昨夜のうちに止んで、朝から雲一つ無い青空が広がる絶好の花見びよりとなった。文字通り”桜サンデー”である。春風に誘われて、昼過ぎ明日香村に出かけた。目的は二つ、盟神探湯の神事見学と、甘樫丘の桜見物である。


甘樫坐神社とは

甘樫坐神社の拝殿
甘樫坐神社の拝殿
甘樫坐神社の社殿
甘樫坐神社の社殿

 近鉄の橿原神宮前駅東口からまっすぐ東へ歩いて約20分、道が飛鳥川にぶつかる少し手前に豊浦寺方面の標識が立っている。標識に従って豊浦の集落に入り、豊浦寺の前を過ぎて山門横の脇道を進むと、正面に甘樫坐神社の拝殿が見えてくる。神社は甘樫丘の一つの尾根の陰に隠れるように、ひっそりと鎮座している。

 社伝によれば、この神社は大禍津日(おおまがつひ)神・神直日(かむなおび)神・大直日(おおなおび)神・伊邪那岐(いざなぎ)神・豊玉比売(とよたまひめ)命・推古(すいこ)天皇の6柱を祭神としてしている。中央の春日造の社殿に主祭神の推古天皇を祀り、左右の相殿にその他の神を祀っている。推古天皇が祭神として祀られるようになったのは、江戸時代からであるという。

 理由は分からないが、祭神の顔ぶれが当初の祭神とは少し入れ替わっているようだ。平安時代の『延喜式』には四座とあり、本来は八十禍津日(やそまがつひ)神、大禍津日神、神直日神、大直日神が祀られていたようだ。文安3年(1446)に作られた『五郡神社記』には、「八十禍津日命・大禍津日命・神直毘命・大直毘命の四柱を祀る」と記載されているという。

 八十禍津日命と大禍津日命は、禍を司る神で、伊邪那岐命が黄泉から帰ってきて祓えをした時、まず生まれた神々だ。その穢れを祓おうとして化成したのが、神直毘命と大直毘命で、この2柱は禍を直す神とされている。


古代の呪術的な裁判・"盟神探湯"とは

境内の説明板
境内の説明板

 ”盟神探湯”と書いて”クガタチ”と読むのは、後世の当て字である。文字通り、神に盟(ちか)い湯を探(さぐ)る所作が、クガタチである。甘樫坐神社の境内に立っている説明板は、クガタチの由来を次のように説明している。

 ”盟神探湯は裁判の一種として考えられ、煮え湯の入った釜に手を入れ「正しき者にはヤケドなし、偽りし者はヤケドあり」という極めて荒い裁判の方法です。「日本書紀」によれば允恭天皇4年(415)氏姓制度の混乱を正すため、甘橿の神の前に諸氏を会して盟神探湯を行ったと伝えています。
 現在では毎年4月、境内にある「立石」の前に釜を据え、嘘・偽りを正し、爽やかに暮らしたいという願いを込め、豊浦・雷大字が氏子となって「盟神探湯神事」としてその形を保存・継承しています。
 「立石」と呼ばれる謎の石はこの豊浦のほかに、村内の岡・上尾・立部・小原などにも残っています。”

立石
境内の片隅にある立石
カマ
準備ができた湯釜と祭壇

 説明板にあるように、盟神探湯は呪術的観念が支配的だった古代において、正邪を判別するために用いられた裁判法である。他の民族にも類似の風習があったようだが、『日本書紀』は応神紀と允恭紀で、その実例を記述している。

 応神9年4月、竹内宿禰(たけのうちのすくね)が住民を監察するために筑紫に遣わされた。その留守中に、弟の甘味中宿禰(うましうちのすくね)は兄を除こうとして「竹内宿禰は、築紫を切り裂き、三韓を従わせて天下をねらっている」と天皇に讒言した。帰朝した竹内宿禰は野心のないことを弁明したため、天皇は二人を対決させた。しかし、二人は互いに譲らず是非を決め難かったので、天皇は磯城川のほとりで盟神探湯を行わせた。その結果、竹内宿禰が勝ったという。

 允恭4年9月、甘樫丘の辞禍戸崎(ことのまがえのさき、言葉の偽りを明らかにする場所)で盟神探湯を行なった。氏姓を詐称するものが多くなり、その混乱を正すための処置だった。神聖な木綿タスキをかけて熱湯の釜の前に立たせ、釜に手を入れて焼け爛れるかどうかを見た。焼け爛れなかった者は、正しいとされた。以後、氏姓が定まり、詐称する者は無くなったという。

 盟神探湯がいつ頃まで行われていたか、甘樫丘がいつもその実施場所だったかなど、不明な点が多い。甘樫丘が神の住む神奈備であったことを考えると、この丘陵の特定の場所に神社が営まれ、そこに釜が据えてあったことは十分考えられる。しかし、710年の平城遷都によって、明日香の地は衰運に向かった。神社が現在の地に遷されたとき、釜も一緒に移され、810年ごろまでは存在したらしいが、いつの間にか失われてしまった。

 現在では、周辺の豊浦地区と雷(いかずち)地区の氏子たちによって、境内の立石の前に釜を据え、盟神探湯の神事を保存・継承している。実際に釜に差し入れるのは、生身の手ではなく、熊笹を代用している。笹の葉の色が変わらなければ、嘘をついていないとされる。


盟神探湯神事はこうして行われる

宮司
立石の前で祝詞を読む宮司
熊笹でお払い
熊笹でお払い
熊笹
熊笹

 神事の先だって、立石の前にシメ縄が張られ、年代ものの湯釜が据えられていた。釜の中はすでに煮えたぐっているようで、白い湯気が噴き出している。神事は午後1時40分から始まると聞いていた。

 氏子たちが拝殿にあがってお祓いを受けたあと、シメ縄の周りに集まった。驚いたことに、その中に奇妙な衣装をまとった氏子が8人もいた。そのうちの3人を残し、残りの5人はシメ縄の隅に座った。3人が立ったままなのは、後で行なう寸劇のためである。奇抜な衣装は、京都橘女子大の猪熊兼勝教授の考案によるもので、飛鳥時代の官人衣装だそうだ。

 午後2時丁度、この神社の宮司も兼任する飛鳥坐神社の飛鳥弘文宮司が板木を鳴らすことから、神事が始まった。氏子代表の挨拶の後、宮司が釜の前に立ち、立石に向かって祝詞を読み、それが終わると、米と酒を釜に注いだ。そして、大きな笹をかかげて参列者や見学者の祓いを行った。

 こうして、式が一通り終わると、まず来賓の一人一人に熊笹を一本ずつ渡して、その笹を湯釜のお湯につけ身を清めるよう促した。 来賓たちが粛々と釜の前に立ち儀式を行った。その後、盟神探湯を解説するための寸劇が、飛鳥時代の衣装をまとった氏子によって行われた。

 寸劇では、隣の豊浦寺の仏像が何者かによって傷つけられたという事件が想定された。やがて、3人の容疑者が浮かび上がったが、いずれも自分の仕業ではないと言い張る。そこで、3人は盟神探湯の場に引き出され、湯釜に手を入れて発言の正邪を判定することになった。式場の隅に衣装を付けて座っている氏人は、いわば裁判官の役である。進行係のミスで、寸劇がシナリオ通りに行かず順番が狂ったりして、観客の爆笑を誘っていた。

 その後、氏人や見学者にもそれぞれに熊笹が渡され、来賓と同じように身を清める儀式が続けられ、行事は終了するのだが、その前に、予定外の事として、 猪熊教授が指名されて、盟神探湯の由来や衣装のデザインなどについて説明された。


飛鳥時代の衣装をデザインした猪熊教授

猪熊教授
盟神探湯の由来を説明する猪熊教授
飛鳥時代の衣装
猪熊教授が復元した飛鳥時代の衣装

 立石の前で盟神探湯の由来を説明する猪熊教授の話ぶりは、突然の指名とはいえ手馴れたもので、聞いていても分かりやすく楽しいものだった。神事を神殿の前ではなく、立石の前で行なうのは、神社がなかった古い時代は、立石が岩座(いわくら)、すなわち神の降臨する神聖な場所だったからである、とのことだった。しかし、興味があったのは、盟神探湯の由来よりも、村おこしのために考案された神事のための衣装の話である。

 氏子に依頼されて衣装を考案されたのは、もう10年も昔で、中宮寺の天寿国繍帳に描かれた人物の衣装をヒントにされたとのことだ。衣装の色は、推古天皇11年(603)に制定された冠位十二階の色を用いたという。冠位の徳目である徳・仁・礼・信・義・智・に対応する冠の色は、紫・青・赤・黄・白・黒で、十二階はこの6色の濃淡で表した。

 正確な言い方をすれば、冠位十二階で定めたのは冠の色であって、衣装の色ではない。しかし、推古19年(611)5月5日に行われた菟田野の薬狩りでは、参加者の服の色をみな冠の色と同じにしたと伝えられているから、あるいは官吏の服装も冠と着衣を同じ色に合わせた可能性はある。

 猪熊教授には悪いが、デザインが今ひとつあか抜けていない。天寿国繍帳に描かれている人物はほとんど僧侶と思われ、一般官人の服装はもう少し違ったデザインでも良かったような気がして仕方がない。


甘樫丘の豊浦展望台

豊浦展望台
甘樫丘の豊浦展望台

 允恭天皇の時代に盟神探湯が行われた甘樫丘は、現在は国営歴史公園甘樫丘地区に指定され、よく整備されている。二つの展望台が設けられているが、北の端に位置する豊浦展望台は、実に眺望がよい。眺望だけではない。展望台の周囲に植えてあるソメイヨシノが、いずれも巨木に成長して、毎年見事な花を咲かせる。

 盟神探湯の神事が始まるまでに時間があったので、豊浦展望台まで登ってみた。まさに「桜サンデー」で好天に恵まれた昼下がりは、家族連れやカップルで一杯だった。彼らは見晴らしの良い場所を選んで、楽しそうに食事をしていた。その頭上に枝を広げた桜は今が満開である。

 展望台に続く曲がりくねった登り道の両側では、クヌギやコナラはまだ寒々とした姿で林立しているが、その他の木々は新芽をつけ始めている。梢を渡ってくる風が実にさわやかである。時折ウグイスの鳴き声まで聞こえてくる。明日香はようやく春爛漫の時期を迎えたといった感じだ。



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