平成15年2月1日

双築古墳発掘調査現地説明会に参加する


双築古墳
双築古墳の中心主体部

 今朝、奈良新聞の考古学関連ホームページにアクセスすると、現地説明会の案内が出ている。桜井市谷で発掘調査されていた双築(なみつき)古墳の現地説明会だ。場所は桜井小学校、時間は午後一時から。桜井小学校の位置を地図で確認すると、若桜神社の近くである。以前に若桜神社や石寸山口神社を探訪したことがあり、大体の土地勘はある。出かけてみることにする。

 桜井市街地のすぐ南側に安部山丘陵(126.5m)がある。丘陵北の端から派生した小さな尾根の先端に双築古墳が築かれていた。桜井市文化財協会は平成14年7月から発掘調査を続けてきた。最近になって権力者クラスのものとみられる埋葬設備が墳頂で見つかった。古墳時代前期後半(4世紀後半)のものである。周溝条の遺構が確認されたことで、直径約30mの円墳であることが判明した。この時期の円墳が、奈良盆地東南部墓壙で確認されたのは初めてだそうだ。

双築2号墳
双築2号墳

 墳頂のほぼ中央に、二段式の墓壙(ぼこう)が設けられている。大きさは、南北約7m、東西約2.4m、深さ約1m。粘土槨の構造を持つ施設である。そこに、長さ約4.5m、幅約0.6mのくりぬき式木棺が横たわっていた。棺内は南側と北端で沢山の赤色顔料が塗られていた。墓壙には玉類や鉄剣、刀子などとともに象形埴輪の破片が出土した。この破片や施設の構造から、古墳の築造時期が4世紀後半のものと推定された。

 4世紀後半には、大型の前方後円墳が奈良市や葛城地域で多数発見されている。このことから、大和政権内の勢力が、盆地東南部からこれらの地域へ移行したことが分かる。双築古墳は、盆地東南部の勢力が衰退した頃の、当地における首長墓だと考えられている。

 双築古墳の北東側の裾部分から、墳丘の径約8mの周溝状の遺構を持つ古墳も見つかった。双築2号墳と名付けられた古墳で、周溝からは鉄鎌、鉄鏃、刀子などの鉄器類、複数の須恵器などが出土した。これらに遺物から、築造時期が5世紀末から6世紀初頭と推定されている。
竪穴式石室1
竪穴式石室1

 双築古墳の北東側では、さらに3つの竪穴式石室が見つかっている。石室1は、長さ4.3m、幅2.5mの竪穴墓壙に長さ3.1m、幅0.8mの石室が構築されていた。石室2と石室3のそれは、石室1より小さい。これらの石室は双築古墳の墳丘を巡るように配置され、双築古墳の被葬者を意識したものと考えられる。しかし、このように前期古墳の裾に後期の埋葬施設が設けられる例は珍しいとのことだ。

 桜井小学校の講堂での説明が行われた後、校庭の横にある桜井公園の丘を登って発掘現場に行った。驚いたことに桜井公園の頂上は「土舞台」だった。推古天皇20年(612)百済から来朝した味摩之が伝えた伎楽舞をこの地で学ばせたとされる場所である。それを、桜井市が立てた案内板は「聖徳太子がはじめて国立の演劇研究所と国立の劇場を設けた所」と説明する。その土舞台の広場から北に延びる尾根を下っていった先端に発掘現場があった。

 発掘現場は、土舞台へのアクセス道路の脇にあった。その下にため池が見える。資料をみると「菰池(こもいけ)」となっている。何のことはない、以前に訪れた石寸山口神社の前にあったため池である。双築古墳は、その菰池の淵ぎりぎりに築かれていた。

出土品1 出土品2 出土品3


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