!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN"> 高松塚古墳:修復の手垢に塗れた壁画は国宝の名に値するか?

橿原日記 平成26年(2014)2月3日

高松塚古墳:
修復の手垢に(まみ)れた壁画は国宝の名に値するか?

高松塚古墳の西壁に描かれた女人像の劣化の進捗状況

 修復後の壁画保存について話し合われた検討会

修理施設一般公開の様子
■ 高松塚古墳の石室が2007年に解体され、その後、石室に描かれた極彩色壁画は国営飛鳥歴史公園内の仮設修理施設で10年間をめどに修復作業が進められている。去る1月18日から26日までの期間限定で、11回目となる壁画修理作業室の一般公開が実施されたばかりだ。一般公開と言っても、ガラス窓越しに修理室の中をのぞき込む程度で、遠目には壁画がどの程度まで修復できているかは確認できない。

■ 10年計画の修復作業が折り返し点を過ぎて、計画通りに終えるメドが立ったのだろう、文化庁は1月31日に「古墳壁画の保存と活用を考える検討会」を開いた。検討会に先立って、先月下旬の2日間専門家を対象にした壁画の公開の機会が設けられた。これまでは、国が委託した専門家以外には、修復の状況が公開されておらず、修復を終えた壁画をどう保存するか広く議論してもらう必要があると、文化庁は考えたようだ。

発掘調査時の高松塚(1972/03) 2004年ころの高松塚 封土を剥がされた高松塚(2005/02)

■ 高松塚古墳の発掘調査は、県立橿原考古学研究所(=橿考研)によって1972年3月1日から実施され、同年3月21日になって極彩色壁画が発見された。壁画の重要性を鑑みた当時の所長・末永雅雄氏は、、いち早く石槨の密閉を命じ、この重要な文化遺産を後世に伝えるため、文化庁に保存を委託した。文化庁は早々と1年後の1973年4月に高松塚古墳を「国の特別史跡」に指定し、また1年後の1974年4月には極彩色壁画を「国宝」に指定した。また、石室の壁画を永久保存するために、一年を通じて一定の温度と湿度を保つ空気調整施設の設置を決定した。

封土復元工事(2008/09) 復元された高松塚(2009/03)

■ ところが、文化庁の縦割り行政の不手際で、石槨内に大量のカビが発生し、壁画を劣化させてしまった。しかも、文化庁は壁画保存の失敗を国民の目から隠蔽し続けた。文化庁の失態を白日のもとに晒すことになったのは、皮肉にも壁画発見30周年の記念事業として文化庁が2004年に出版した写真集『文化庁監修 国宝高松塚古墳壁画』(中央公論美術出版)だった。

白虎
1972年と2002年に撮影された白虎
■ 高松塚古墳の発掘を担当した故・網干善教教授は、出版されたばかりの写真集を見て驚かれた。とくに西壁中央に描かれた白虎を見て愕然とされ、「これは一体何事だ」と絶句されたという。 壁中央に描かれた白虎は、1972年撮影の写真よりも頭や首の輪郭がぼやけて薄くなり、顔やたてがみの細かい描線はほとんど見えなくなっている。 朱色に塗られた口や前脚のつめは、退色したり黒っぽく変色したりしていて、灰色のカビのような汚れに全体が覆われていた。

■ カビの発生で壁画の劣化がひどくなった2003年3月、文化庁はようやく「国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会」を開催し、作業部会を設置してカビ発生の原因と対策を究明することになった。しかし、カビの発生はおさまらず、壁画は劣化し続けた。そこで、文化庁が打った次の手は封土を剥離して行なう発掘調査だった。だが、それでもカビ発生の直接的な原因はつかめなかった。

■ そこで、文化庁は現況保存を断念して、石室を解体して壁画を補修し保存に対処することにした。2007年、壁画が描かれていた古墳内の石室を解体、搬出して、現在、近くの施設でカビ被害などを修復中である。その修復作業が折り返し点を過ぎて、計画通りに終えるメドが立ったため、文化庁は1月31日に「古墳壁画の保存と活用を考える検討会」を開いた。

西壁北側の女子群像 発掘当時の飛鳥美人 飛鳥美人の目に黒い涙

■ 修理後の壁画の保存方法について、文化庁の基本的なスタンスは決まっている。石室解体に際し「カビなどの影響を受けない環境を確保した上で現地に戻す」という方針を固めていた。「古墳に戻すべき」という文化庁の考えは、文化財の「現地保存の原則」をよりどころとしている。つまり、文化財、特に遺跡は、本来の姿を現地で保存するのが大前提で、壁画は古墳と一体になってこそ本来の価値があるという。

■ 果たしてそうであろうか。我々は知っている。大量に発生するカビの原因が分からなくて、文化庁は2004年10月から翌年の3月にかけて、高松塚古墳の封土を剥離して行なう調査を実施した。その結果、文化庁によって指定された「国の特別史跡」が、文化庁自らの手で破壊されてしまったのだ。

講演する網干教授
最後まで石室解体に反対されていた故網干教授
■ 高松塚古墳の発見者である網干教授は、死ぬまで解体に強く反対しておられた。カビの発生原因すら特定できていない段階で、解体を云々するのは時期尚早で、それ以前にまだやることが一杯あると言われていた。そうした反対の声を無視して、文化庁は国の特別史跡の封土を剥ぎ、石室を解体してしまった。一般人が国の特別史跡を少しでも傷つけようものなら、犯罪者として処罰される。文化庁だだから史跡を破壊してよいという権限は、誰も与えていない。

■ 犯罪者の汚名を回避するために、文化庁は壁画の修復が終わったら、石室を元の状態にして、古墳の内部に戻さなければならないと考えているのだろう。だが、10年の歳月をかけて壁画を修復しても、それはもはや元の壁画ではない。壁画が国宝としての価値を有したのは、それが1300年前の古代人の手で描かれ、そのままの状態で長い歳月を地中で存続し続けたからである。

■ 現在、古墳近くの修復施設で専門家がカビなどの除去作業を続けている。彼らはミリ単位で壁画の表面をなめ回すようにして、天然素材の「布海苔」などを使ってカビを取り去り、退色した色を補強している。しかし、先日修理現場を見学した専門家の話によると、黒ずんだ部分や茶色くなった汚れは取り除かれたが、壁画発見当時の鮮やかな色彩は回復できず、全体が白っぽくなっているとのことだ。つまり、劣化がこれ以上進むのは抑えられても、傷んだ状況は回復できず元の状態の壁画には戻せないことがわかったという。

■ したがって、壁画に描かれた画像は本物であっても、壁画そのものは完全に元に戻すには至っていない。21世紀の人間の手垢にまみれた画像には、もはやオリジナリティはない。果たして国宝の名に値するかどうかも疑問である。それでも文化庁は最初の方針を変えようとしなかったようだ。だが、別の問題が判明してきた。

■ 壁画は白い漆喰の上に描かれているが、漆喰部分も見た目以上に劣化が進んでいることがわかってきた。スカスカの状態で非常に脆くなっているというのだ。布海苔の粘着力でこれ以上劣化が進まないようにできたが、将来にわたって強度が保証できるまでには至っていない。漆喰の土台の石にもヒビが入ったものがあり、石室を組み直しても地震などで石が割れたりすると、壁画が壊れるおそれがあるという。

高松塚古墳の西壁

■ 数年後には壁画の修理作業が完了する。早めに保存方法を決定し、そのための準備を今から実施しなければならない。文化庁は「カビなどの影響を受けない環境を確保した上で現地に戻す」と定めた恒久保存方針は堅持しているが、具体的方策は暗中模索のようだ。

■ そのため、1月31日に「古墳壁画の保存と活用を考える検討会」が開かれた。その席上、壁画が描かれた石材の強度が不足し、現状では石室の再構築は不可能だと報告された。さらに文化庁は、壁画を古墳内に戻すとカビなどの被害が進む可能性が高いうえ、石室内の温度や湿度を適切に保つ有効策がなく、石室などを組み直しても地震などで倒れる危険性があるとした。

■ 検討会では、専門家の意見は、古墳に戻して保存すべきという意見と、博物館など室内の安全な場所で保存すべきという意見に分かれた。現地保存派は、壁画は古墳と一体になってこそ、本来の価値があり、いかに劣化が進んだといっても、この原則に則れば、現地で保存するのが文化財として最もふさわしいと主張したようだ。文化庁寄りの考え方である。

高松塚古墳の東壁

■ 一方、室内保存派は、壁画を室内に保存して、温度や湿度を管理すれば、壁画の劣化は、これ以上進まないという考え方である。博物館など古墳以外の安定した環境に置けば、壁画の劣化の原因となったカビなどの発生が抑えられるという。

■ いずれにしても、今回専門家に修理現場を公開したことで、予想以上に壁画の劣化が進み、このまま現地に戻すことは困難であることが判明した。現地保存に固執すれば、外気や水などを遮断するカプセルのようなものを作って現地に置き、その中に壁画を収める方法などを考えなければならず、大がかりな工事が必要である。室内で保存した場合は、安定した環境に置くことができるものの、維持管理には費用と手間がかかる。結局、検討会では結論が出ず、3月にまた検討会を開くことになったそうだ。



 なぜ個別の古墳単位で保存を考えるのか?

■ 以上のような検討会の話を聞いて、何故だか石室の解体に反対しておられた明治大学名誉教授の大塚初重氏のコメントを思い出した。網干教授と同様、大塚教授も石室解体に反対された一人で、マスコミのインタビューを受けて次のようにコメントされたとのことだ。
「残念ながら、壁画はもう死に体である。これ以上触れずに、古墳を元の形に戻して、それを21世紀の失敗として残せばよい」

虎塚古墳
■ 茨城県ひたちなか市(旧勝田市)に、虎塚古墳と言う名の前方後円墳がある。7世紀前半頃の築造と推定される全長57mほどの古墳だが、驚いたことにその石室には華麗な幾何学的文様が描かれていた。東日本で初めてとなるこの色彩壁画古墳の発掘調査を陣頭指揮されたのが、実は大塚教授その人だった。

■ 発掘調査は1973年9月、すなわち明日香村で高松塚古墳が発掘された翌年に実施された。しかも、この発掘調査では、驚くべきことが行われた。石室の扉を開いて内部を調査する前に、室内の状態に関する科学調査(温度や湿度、微生物など)が、世界で初めて実施された。それは前年発見された高松塚古墳の壁画保存の参考にするためだったという。

虎塚古墳の石室に描かれた幾何学的文様
■ 調査後、虎塚古墳の石室はだたちに封鎖された。石室の前に築かれた監察室は、上記の科学調査で得られた重要な記録をもとに設計・施工され、石室内の気温は年間を通じて約15度、湿度は90%以上に保たれている。そのため、色彩壁画の保存状態は現在も良好である。だが、せっかく得られた科学調査のデータも、高松塚古墳の石室の保存・管理には十分には生かされなかったようだ。大塚教授の言葉を借りれば、”高松塚古墳の壁画も保存・管理体制に問題がなければ、これほど早く命を縮めることはなかった”ことになる。

■ 高松塚古墳の壁画修復後の保存に関する検討会のニュースをマスコミ報道で知って、小生は実に奇妙な印象を受けた。高松塚古墳と兄弟墳とされるキトラ古墳の壁画と保存に対する方針が違うのだ。

2002年当時のキトラ古墳
■ キトラ古墳とは、高松塚古墳から南へ直線距離で約1.22kmのとところにある阿部山にで見付かった壁画古墳である。高松塚古墳の発見から11年後の1983年11月、ファイバースコープを差し込んで石室内を調査したところ、高松塚古墳と同じように石槨の北壁に「玄武」が描かれていることが判明し、第2の壁画古墳の発見と騒がれた。

■ 15年後の1998年になって超小型カメラによる内部調査が実施され、石槨内の天井石に「星宿(=星座)」が描かれ、東壁に「青龍」、西壁に「白虎」が描かれていることが判明した。さらに2001年3月、再びデジタルカメラで石槨の内部撮影が行われ、南壁に「朱雀」が描かれているのを発見した。翌2002年1月には、十二支の「寅」とみられる獣頭人身像が描かれているのが確認されている。高松塚古墳との対比で人物像が描かれていることが期待されたが、実際に描かれていたのは十二支像だった。

キトラ古墳の石室の展開図
キトラ古墳の石室の展開図
■ キトラ古墳の壁画は、漆喰が石材から剥離した部分があり、今にも崩落しそうに見えた。そのため、専門家による慎重な検討の結果を踏まえ、2004年9月文化庁は壁画を剥ぎ取った上で別の場所で修復し、ミュージアムで保管管理し公開する方針を決定した。そして、4年半をかけて修復のためすべての壁画部分の剥ぎ取り、修復作業が終わった順に特別公開してきた。剥ぎ取られた壁画が再び石室内に戻すのではなく、外部で保存することが決まっている。

■ 同じ壁画古墳でありながら、高松塚古墳とキトラ古墳とでは、修理後の壁画の保存方法がどうしてこうもちがうのか。一つには、その修理方法の違いに依るのだろう。高松塚古墳の場合は石室を解体したが、キトラ古墳の場合は石室を解体したのではなく、絵画が描かれた部分だけを剥がして修理してきた。

■ 古墳の壁画は、石室内に描かれた場所に置かれてこそ、その存在意義を発揮すると文化庁は言う。そうであれば、素人考えでは、キトラ古墳の場合、はぎ取った部分を元の位置に貼り付けるだけで石室と一体化できるように思われる。しかし、早々と外部で保存することを決定しており、キトラ古墳の周辺を、国営飛鳥歴史公園の一部とし整備することが、2011年3月に正式に閣議決定された。

青龍 白虎 玄武 朱雀
青龍 白虎 玄武 朱雀

キトラ古墳周辺の整備
■ 現在、キトラ古墳の周辺は丘陵を削り谷を埋め整備事業が急ピッチで進行している。漏れ聞くところでは、キトラ古墳の壁画は、歴史体験学習エリアに設置される体験学習舘で、一般公開できる形で保存されるようだ。そうであれば、高松塚古墳の壁画も同様に体験学習舘内に併設して保存を考えてよいのではないか。高松塚とキトラでは国営飛鳥歴史公園内の地区が異なるから、それは無理というのなら、またぞろ文化庁内部の縦割り行政の弊害を勘ぐらなければならない。

■ 高松塚周辺地区とキトラ古墳周辺地区との距離は1キロに満たない。体験学習舘に足を運ぶことで両古墳の壁画の実物を鑑賞できるとあれば、訪問客にとっては喜ばしいことだ。高松塚周辺地区の目玉が無くなると心配する向きもいるだろうが、そんなことはない。高松塚壁画舘は健在であり、復元された高松塚古墳も、21世紀の壁画保存の失敗例として厳然としして存在している。魂が抜け外観も作り替えられた古墳は、当然「国の史跡」の看板はおろすことになるが、それでよいではないか。


2014/02/03作成by pancho_de_ohsei
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