2012/02/05

飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)で行われた天下の奇祭「おんだ祭」

飛鳥の甘南備に鎮座する飛鳥坐神社
飛鳥の甘南備(かんなび)鳥形山に鎮座する飛鳥坐神社

飛鳥の甘南備に鎮座する飛鳥坐神社

甘樫丘の豊浦展望台から見下ろした飛鳥集落
甘樫丘の豊浦展望台から見下ろした飛鳥集落
■ 明日香村の甘樫丘豊浦展望台から足下の飛鳥の集落を見下ろすと、集落の中を一直線に西から東へ貫く道路が見える。その突き当たりに、こんもりと樹木が生い茂った小山がある。飛鳥の甘南備(かんなび)とされている鳥形山だ。天下の奇祭「おんだ祭」で知られる飛鳥坐神社は、この鳥形山に鎮座している。アクセスするには、近鉄の「橿原神宮前」駅東口または「飛鳥」駅から出る明日香周遊バス(赤かめ)を利用するとよい。「飛鳥大仏前」で下車して 東へ徒歩3分ほどで神社の参道前に着く。

■ 由緒書きによれば、神社の起源は神話の時代までさかのぼる。大国主神が国土を天孫に譲った際、天孫の守護神としてわが子の事代主神(ことしろぬしのかみ)と妹の飛鳥神奈備三日女神(あすかのかんなびみひめのかみ)の神霊を飛鳥の甘南備に鎮座させたという。『延喜式神名帳』は飛鳥坐神社を事代主神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神(おおものぬしのかみ)、および高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の四柱を祀る古社としている。

■ 史書における飛鳥座神社の初見は、朱鳥元年(686)7月5日である。天武天皇の病気平癒の祈願のため、この日紀伊国の懸(くにかかす)神社と摂津の住吉(すみよし)大社とともに飛鳥の四社(飛鳥神社)に幣帛(みてぐら)を奉ったと記す。平安時代の『日本紀略』には、天長6年(829)3月に飛鳥社を高市郡賀美郷の甘奈備山から同郡同郷の鳥形山に遷座するよう神託があり、この時に現在地に遷座したという。

■ 江戸初期の寛永17年(1640)10月に初代高取藩主となった植村家政は、高取城の鬼門にあたる飛鳥座神社を深く信仰し、元禄11年(1698)には社殿を改築し大規模な遷座祭を行った。しかし、享保10年(1725)に里からの火災で社殿の大半を焼失してしまった。そのため、安永10(1781)に高取藩8代藩主・植村家利によって社殿が再建された。

平成13年に移築された本殿・拝殿
平成13年に移築された本殿・拝殿
■ 植村家利による再建から200年以上経過すると、本殿・拝殿もかなり老朽化が進んだ。それで、平成13(2001)年4月、吉野の丹生川上神社上社が大滝ダムの建設に伴い遷座することになったのを機に、同社の本殿・拝殿を譲り受けて当地に移築し再建した。

■ なお、飛鳥座神社には氏子がいない。崇神天皇に初代の太宗直比古命が飛鳥直(あすかあたい)の姓を賜って以来、飛鳥家が87代にわたってこの社を守ってきた。 現在の宮司は飛鳥弘文氏である。

■ 飛鳥坐神社の名を有名にしているものに、毎年2月の第1日曜日に神楽殿で行われる例祭「おんだ祭」がある。正式には春のはじめにあたって五穀豊穣・子孫繁栄を祈る御田植神事のことだ。三河の「てんてこ祭」、尾張の「田県祭」、大和江包の「網かけ祭」とともに西日本における四大性神事に数えられるが、一番露骨なのはこの「おんだ祭」で、日本一の奇祭とまで称されている。

子孫繁栄のストラップ
社務所で売られている子孫繁栄のストラップ
■ 「おんだ祭」は2部構成である。第1部では、五穀豊穣を願い、御田植神事が執り行われる。第2部では天狗とお多福による夫婦和合の儀式で、閨中秘事を一切無言のままリアルに、そして古俗味豊かに展開して行く。神社に記録も文献も残っていないため、この祭事はいつ頃、誰によって始められたのか全く分からないそうだ。ただ、慣例として飛鳥の農民が遠い昔から継承してきた行事である。この日、配られる苗松、福の紙の授与を受けるために、日本各地から大勢の参拝者が押し寄せるという。

■ 本日はその「おんだ祭」が午後2時から行われると聞いて、久しぶりに飛鳥坐神社を訪れた。筆者は9年前の平成15年に一度「おんだ祭」を見学しているが、当時とは式次第が少し変わっていた。9年前には和太鼓の奉納や翠華流の献花式が行われたが、今年は剣技と浦安の舞の奉納に代わっていた。

正午前から始まった天狗と翁による尻たたき

屋台が並ぶ門前の賑わい
屋台が並ぶ門前の賑わい

■ 午前11時頃、神社に着いた。どこの神社の祭礼でも見かける屋台が、鳥居前の参道脇に並んでいて、「おんだ祭」目当てに参集してくる参拝者で、すでに結構賑わいを見せていた。その参拝者の間を時折り子供達が奇声を発して逃げ回っている。子供達を追いかけているのは、天狗と翁の面をかぶった村の若者である。二人はササラになった青竹を振り回して、子供達を追っかけて尻をたたく。

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幼児には軽く 女性にはある程度お手柔らかに

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青年男児には思いっきり 一種の魔除け? それとも厄払い?

■ 見ていると、その叩き方に差がある。成年男子の尻は思い切りひっぱたたくが、女性の場合は手加減し、子供や幼児は触る程度だ。なぜこのようなことをするのかよく分かっていない。今では一種の厄払いか魔除けと見られているようで、この騒ぎが大きいほど、その年は豊年に恵まれるそうだ。

剣技の奉納

■ 午後1時になった。「おんだ祭」の開始にはまだ1時間ある。神楽殿前の空き地も拝殿に続く石段もすでに見学者で一杯で、まさに立錐の余地もないような混雑である。筆者はなんとか石段の端に立ったが、身動きもできない状態で2時間半を同じ姿勢で耐えることを余儀なくされた。

■ あまりの混雑に気分を悪くしたのか、筆者達の背後の石段上で一人の年配者が倒れた。気分が悪くなったようだ。近くにいた女性が看護の経験があるのか、その男の頭を高くして寝かせると、すぐに救急車の手配を大きな声で要求し、どんな既往症があるのかなど色々聞いていた。

剣技を奉納する3人の剣士
剣技を奉納する3人の剣士

■ 参拝者を退屈させないための配慮という訳でもないだろうが、午後1時過ぎから15分ほど、3人の剣士による剣技が奉納された。一人ずつ数種類の型を披露していたが、遠目にはその違いがよく分からなかった。

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第1部:五穀豊穣を願い、御田植神事

神職が行なう修祓の儀
神職が行なう修祓の儀

■ 拝殿から見下ろすと石段に下の広場の前に、西側の西良殿と回廊で連なった神楽殿がある。間口四軒、奥行き二間の狭い建物だが、本日の行事はここを舞台にして行われる。

■ 午後2時、赤の袍(ほう)を着用した宮司の飛鳥弘文氏が、一人の神職を従えて着席した。続いて、村の総代、世話人、来賓などがその後ろに居並んだ。やがて、一番太鼓がなって祭事が開始された。

宮司一拝 献饌
宮司一拝 献饌

■ まず、神職による祓いが行われ宮司が一拝した後、中央に祭壇が設けられて、神饌(しんせん)すなわち供物が並べられた。宮司が祝詞(のりと)を奏上し、来賓が玉串を捧げた。その後神饌や祭壇が片付けられ、いよいよ御田植神事の始まりとなる。

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祝詞奏上 玉串拝礼


牛の手綱をとって荒田おこし
牛の手綱をとって荒田おこし

■ 御田植神事は、さきほど青竹を持って子供を追いかけていたチョンマゲの天狗と翁の面をつけた農夫に、黒牛のぬいぐるみをかぶった牛男が加わって演じられる。まず、天狗が牛の手綱をもって田を鋤く様子を示す。牛男はおとなしく四つん這いに這い回っているわけではない。時には、舞台から群衆の中に飛び出して暴れたりする。

畦きり >田均(なら)し
畦(あぜ)切り 田均(なら)し

■ その後に農夫の翁が畦切りをして、田に水を引き入れる。天狗は鋤き具を取り替えて再び牛の手綱を引いて田均(なら)しを始める。しかし、牛はサボタージュをしてなかなか天狗の思い通りに働いてくれず、その所作が参拝者の笑いを誘う。

畦塗り 籾蒔き
畝(うね)作り 籾蒔き

■ 最後に翁の農夫が畝(うね)作りをすると、宮司が初種を床の上にバラバラと撒いて「種蒔き」の所作を演じる。次いで、松の小枝を苗に見立てて早苗を植える仕草をする。「植つけ」である。早苗を並べ終えると、三人の演者がそれを参拝者の頭上に投げつける。この苗松を田の水口に突き刺しておくと、農作物に虫がつかないと言われている。

早苗の植えつけ 苗松の投げつけ
早苗の植えつけ 苗松の投げつけ

幕間の空白の時間を利用して奉納される浦安の舞

浦安の舞を舞う巫女
浦安の舞を舞う巫女

■ 第2部が開始される前に、神楽殿の西にある西良殿から巫女が一人しずしずと舞台に現れて、「浦安の舞」を優雅に舞った。

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第2部:天下の奇祭「おんだ祭」の核心夫婦和合の儀式

演技者登場

■ 二番太鼓を合図に第二部の祭事の演技者が参道から上がってきて舞台の奥に並んだ。黒門付きに赤い蹴出しもなまめかしいお多福と、チョンマゲのボテかつらに、印袢天という異様な姿の天狗、それに介添えの翁である。

勃起した男根形の竹筒を振り回す天狗 宮司と神職に差し出す「鼻つきめし」
勃起した男根形の竹筒を振り回す天狗 宮司と神職に差し出す「鼻つきめし」

■ 突然、天狗が舞台の中央に立つと、一尺ぐらいの竹筒を股にあてがい、両手で握りながらグルグル回し始めた。それが勃起した巨大な男根を想像させ、参拝者の笑いを誘った。参拝者の中には若い女性も多い。見ていると、別に恥ずかしがる様子もなく、アハハと大声をあげて笑っていた。

■ やがて、お多福と天狗は宮司と神職の前に山盛りに盛った飯の膳を差し出した。「鼻つきめし」と言う。今ではすっかり廃れてしまったが、「鼻つきめし」は古い婚礼の形態だったようだ。天狗は盛られた飯に、股間に挟んだ竹筒から酒をつぐ仕草をする。畏まって端座する神官たちの鼻先で行われるこの「汁かけ」の珍妙な仕草も笑いを誘う。

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汁かけ 天狗がお多福を誘う

■ 次いで、舞台の中央にゴザが敷かれる。天狗がゴザの上に座ると、お多福に横なるように誘う。お多福はモジモジしてなかなか応じない。恥ずかしそうになよなよと拒否する姿態は、大柄な男性が演じているとも思えないほど色気がある。

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コロリと仰向けに寝るお多福 翁が岡焼き半分で夫婦和合の姿を隠す

■ 観念したのか、お多福がコロリと仰向けになる。天狗は素早くその上に正常位で乗りかかる。二人は肩から腰をしっかりと抱いて結びあう。翁は岡焼き半分で冷やかし、舞台の前面にたって二人の姿を参拝者から隠すように愉快な仕草をする。

翁が天狗の腰を押して協力する 「ふくの紙」の配布
翁が天狗の腰を押して協力する 「ふくの紙」の配布

■ 遂には、翁は天狗の後ろに回って腰を押し「種付け」に協力する。事が終わって天狗とお多福はやおら立ち上がると、懐中から紙を取り出して股間を拭く。この紙を「ふくの紙」という。翁がその紙を参拝者に向かって撒く。首尾良く「ふくの紙」を手に入れたものは、家に持ち帰って閨房で使用すると子宝が授かると言い伝えられている。

再度、お多福に挑む天狗 宮司による「おんだ祭」終了宣言
再度、お多福に挑む天狗 宮司による「おんだ祭」終了宣言

■ 「ふくの紙」が足りなくなったのか、天狗が再びお多福に挑んで「ふくの紙」をさらに増産(?)する。それを参拝者に撒くのかと思ったら、何のことはない来賓に配られた。宮司の飛鳥氏が最後に「おんだ祭」の終了を告げ、来賓が舞台から豆まきよろしく、御供を撒いてお開きとなった。

最後に行われる御供撒き
最後に行われる御供撒き

■ 閨房の秘技を参拝者の前で堂々と見せつけるこの祭事は、型破りと言えば型破りである。だが、すべての所作は一切無言で行われ、ちっとも卑猥さを感じさせない。ときおり見せる演技者の所作にはユーモアが感じられ、笑いを誘う。一部の文化人は批判的らしいが、長らく飛鳥の農民によって演じられて来たのであれば、立派な無形文化財である。このまま後世に伝えてほしいものだ。


【参考】飛鳥坐神社作成「飛鳥”おんだ祭”解説」

2012/02/06作成 by pancho_de_ohsei
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