橿原日記 平成24年2月3日

元興寺(がんごうじ)で行われた節分行事「柴燈大護摩供(さいとうだいごまく)

本堂前の広場で行われる柴燈大護摩供
本堂前の広場で行われる柴燈大護摩供 (撮影 2012/02/03)

奈良時代、南都七大寺の一つに数えられた元興寺

■ 奈良市中院町にある元興寺(がんごうじ)は、世界文化遺産「古都奈良の文化財」に登録されている古刹である。現在は西大寺の末寺で、智光曼荼羅を本尊として祭る真言律宗の寺だ。

重文に指定されている元興寺東門

■ そのルーツをたどると、なんと我が国最初の本格仏教寺院とされている法興寺(ほうこうじ)までさかのぼる。法興寺とは、推古天皇4年(596)に時の権力者・蘇我馬子(そがのうまこ)が飛鳥に建立した寺で、”仏法興隆”の願いを込めてその中の二字を取って寺号とした。一般には、"飛鳥寺”と通称されている。

■ 和銅3年(710)に都が藤原京から平城京へ遷された。その平城遷都に伴って、法興寺も養老2年(718年)に飛鳥から平城京の左京四・五条の七坊に移され、寺名も元興寺と改称された。奈良時代の元興寺は、東大寺や興福寺などと並んで南都七大寺の一つとされ、三論宗と法相宗の道場として栄えた。現在、奈良市の市街地南部に、歴史的町並みが残る地域として観光客を引きつけている通称「なら町」がある。実は、そのほぼ全域が、元興寺の旧境内だったとされている。

元興寺の本堂「国宝)
元興寺の 国宝の本堂
■ 奈良時代に栄えた元興寺も、平安時代後半ごろになると衰微の一途をたどった。幸いなことに、この寺院が廃寺となるのを救ったものがあった。奈良時代の学僧・智光が描かせた阿弥陀浄土図(智光曼荼羅)である。平安末期の末法思想の流行や阿弥陀信仰の隆盛とともに、この曼荼羅が信仰を集めるようになった。曼荼羅を祀る堂は「極楽坊」と呼ばれて、次第に元興寺本体とは別の寺院として発展するようになった。

■ 鎌倉初期まで残っていた講堂や食堂もいつしか倒壊し、金堂も室町時代の宝徳3年(1451)の土一揆のあおりで焼けてしまった。この頃を境に、元興寺は智光曼荼羅を祀る「極楽院」、五重塔を中心とする「元興寺観音堂」、それに「小塔院」の3つの寺院に分裂したようだ。現存する元興寺の本堂と禅室は、奈良時代に智光をはじめとする僧たちが住んでいた僧房を鎌倉時代に改築したものである。極楽院は奈良西大寺の末寺となって真言律宗寺院となり、中世以降は智光曼荼羅、弘法大師、聖徳太子などの民間信仰の寺院として栄えた。

元興寺の本堂「国宝)
元興寺の国宝の禅室(手前)と本堂 (所々に見える
赤っぽい素焼きの瓦が飛鳥寺から移したもの)
■ しかし、明治以降は廃仏毀釈の風潮で極楽院も荒れ果てた。現在国宝に指定されている本堂も、昭和25年(1950)ころには、床は落ち屋根は破れて「化け物が出る」と言われたほどの荒れ方であったという。第二次世界大戦中の昭和18年(1943)に極楽院の住職となった辻村泰圓は、戦災孤児のための社会福祉事業に尽力するかたわら、境内の整備や建物の修理を進めた。

■ 昭和30年(1955)、極楽院は「元興寺極楽坊」と改称した。さらに昭和52年(1977)には「元興寺」と改称して現在に至っている。もとの飛鳥の法興寺は、養老2年(718)の平城京移転後も廃されずに元の場所に残り、現在は飛鳥寺安吾院として法灯を継いでいる。しかし、元興寺の禅室・本堂には、日本最古の飛鳥時代の瓦が一部用いられていて、主要な建物はやはり移築されたようだ。

元興寺の五重小塔
元興寺の 国宝の五重小塔
■ 蘇我氏に関心を抱く筆者は、なら町散策のついでに今まで何回も元興寺を訪れている。特に収蔵庫に安置されている高さ5.5mほどの五重小塔は、内部構造まで忠実に造られていて好きな塔の一つだ。ちなみに、この五重小塔も、本堂・禅室と同じく国宝の指定を受けている。

■ 先日、奈良の行事をインターネットで検索していて、真言密教の奥義とされている柴燈大護摩供・火生三昧法(かしょうさんまやほう)が、節分の日に元興寺で修されるのを知った。どのようなものか一度見ておきたいと、春分の本日わざわざ奈良まで出かけてきた。ここ数日、未曾有の寒波の襲来で日本海側や東北地方は大雪に見舞われ大変だったが、本日の奈良は久しぶりに日差しが戻った。だが、風は相変わらず冷たい一日だった。



節分の日に本堂前の境内で行われる真言密教の秘法

■ 護摩とは、不動明王などの前に壇を築き、火炉を設けて木などを燃やし煩悩を焼却し、併せて息災を祈願する密教の修法である。日本特有の仏教行事で、特に野外で行う大規模な護摩法要のことを大柴燈護摩供(だいさいとう・ごまく)と言う。伝統的な柴燈護摩は、真言宗を開いた空海の孫弟子に当たる聖宝理源大師が初めて行ったと言われている。

■ 真言宗系の寺院が行う「柴燈護摩」は本来は山中修行で、行者だけで修するものである。柴燈護摩に柴の字が当てられているのは、山中修行で正式な密具の荘厳もままならず、柴や薪で檀を築いたことによる。

■ 元興寺では、節分行事の一つとして、本堂に不動明王を遷座して僧侶による供養が行なわれ、続いて本堂前で導師と行者衆による星祭・厄除け・招福祈願の柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)と火渡りが修される。縦・横・高さ、数メートルに組んだ薪で護摩を焚き、熾(お)き火の上を素足で火を渡る修行である。

■ 火には「焼く」という働きがあるので、護摩の火で、煩悩や、身に降りかかる諸々の悪い事、いやな事などを焼き尽くすためだ。導師が最初に黒こげの丸太の並びを渡ったのを皮切りに、一般の人も参加し希望者が次々に火を渡って行く。

本堂に不動明王を遷座して僧侶による特別祈願

本堂内陣に遷座された不動明王

入場する僧侶たち
入場する僧侶たち
■ 元興寺の節分の行事は、僧侶が行なう不動明王への特別祈願で開始される。そのために、二体の不動明王があらかじめ本堂の内陣に遷座され供物が捧げてある。定刻の正午、法衣をまとった11人の僧侶が内陣に着席し、特別祈願の法要が開始された。何という経を読経しているのか分からないが、彼らの唱和する声が堂内に響き渡り不思議な世界に参拝者をいざなう。法要はおよそ50分続いた。

竹内流古武道の演舞の奉納

本堂の前庭に準備された柴燈大護摩供の開場
本堂の前庭に四方を囲って準備された護摩壇木

■ 柴燈大護摩供は元山上千光寺の導師と行者衆によって執り行われる。杉葉で覆われた護摩壇木に火をつけ、炎の中に不動明王を勧進して祈願を行う。願いを書いた護摩木を炎に投入し焼き尽くすことで、我々のけがれ、心の迷いや煩悩を護摩の火(不動明王の智慧の火)で焼き清めてもらおうというものだ。

導師と行者衆のお練り 同左
導師と行者衆のお練り 同左

■ 柴燈大護摩供は、午後1時から本堂前の境内で執り行われる予定になっている。時間になったのだろう、ホラ貝を鳴らしながら導師と行者が東門から境内に入ってきた。彼らに続いて、護摩供養に先だって、日本最古の柔術と云われる竹内流古武道の演舞を奉納する剣士たちも入場してきた。

整列した剣士達 豆まき会場で行われた鏡開き
整列した剣士達 豆まき会場で行われた鏡開き

■ 剣技を奉納するため、剣士達が準備をしている最中に、豆まき会場では鏡開きが開かれた。参拝者にふるまう酒樽を年男が木槌で叩き割る行事だが、なぜかセント君まで参加していた。

剣士達が披露する剣舞 剣士達が披露する剣舞
剣士達が披露する剣術 同左

護摩壇に破魔矢を放って結界を張る所作

破魔矢を放って結界を張る準備
破魔矢を放って結界を張る準備

■ 剣技の奉納が終わると、いよいよ元山上千光寺修験者によって柴燈大護摩供が執り行われる。最初に四方と護摩壇に破魔矢を放って結界を張る所作を行ない、二本が結界の外に放たれる。この矢は縁起物として拾った者には喜ばれるという。

天に向かって矢を射る行者 同左<
天に向かって矢を射る行者 同左

■ 護摩壇に破魔矢を放った後、刀を振って光の文字を描き魔を払う所作をおこなう。

護摩壇に破魔矢を射る行者 刀を振って光の文字を描き魔を払う所作
護摩壇に破魔矢を射る行者 刀を振って光の文字を描き魔を払う所作

護摩壇木に火がつけられ護摩供養の開始

節分願文の読み上げ
節分願文の読み上げ

■ 引き続いて、生の杉葉に覆われた護摩壇木に火がつけられ護摩供養が執り行われるのだが、それに先だって住職が節分願文を読み上げた。その後、二本の竹の先に着火され、護摩壇木に差し込んで護摩壇に火をつけられた。生の杉の枝はすぐには燃え上がらない。

松明への着火 護摩壇の点火
松明への着火 護摩壇の点火

■ やがて、もの凄い煙が護摩壇から立ち上がり、風に煽られて周囲を煙の中に巻き込んだ。煙の柱は壮観そのものである。

猛烈な勢い煙が立ち上がり、風に煽られて周囲を巻き込む
猛烈な勢い煙が立ち上がり、風に煽られて周囲を巻き込む

■ 護摩壇から吹き上げていた煙の間から、ようやく炎の色が見えた。護摩壇を覆っていた杉の枝が燃え尽き、その下から燃えさかる護摩壇木が姿を現した。修験者風の行者は信者の願いを書いた護摩木を炎の中に投げ入れる。こうして願いの書かれた護摩木を焼き尽くすことで煩悩を焼却し、あわせて息災を祈願するという。

壮観な煙の饗宴 同左
壮観な煙の饗宴 同左

杉葉の下から燃えさかる護摩壇木が現れる 護摩木を護摩壇に投げ込む行者
杉葉の下から燃えさかる護摩壇が現れる 護摩木を護摩壇に投げ込む行者

護摩壇を崩して火渡り

護摩壇を組んでいた丸太を切り崩すが現れる 火渡りのために護摩壇木を組む
護摩壇を組んでいた丸太を切り崩す 火渡りのために護摩壇木を組む

火渡り前の祈願
火渡り前の祈願
■ 護摩木が燃え尽きると、護摩壇を崩して火渡りの準備が行われる。 護摩壇を組んでいた黒こげの丸太を切り崩して、護摩のおき火(炭火)の上に並べる。そして、先ず導師が火渡りをし、続いて火渡りの希望者が素足で次々と渡る。護摩供養ではこれが火伏せと言う行法である。

■ 火渡りは危険な行である。時折りおき火が黒こげの丸太の間から赤い炎を見せている。志望者はそれほど多くないだろうと思っていた。ところが、希望者の列が陸続と続き、最後の一人が渡り終えるまでに30分近く要した。

塩で足の裏を浄め、導師の指示に従って焼け残った丸太の上を歩く
塩で足の裏を浄め、導師の指示に従って焼け残った丸太の上を歩く

塩で足の裏を浄め、導師の指示に従って焼け残った丸太の上を歩く
同上

最後に豆まき

豆まきの会場
豆まきの会場

■ 本日の最後の催しである豆まきは、予定の午後3時を少し過ぎて行われた。壇上に並んだ福男・福女からかけ声とともに豆袋がまかれた。豆まきは、鬼を追う神事から始まったとされ、一般には「福は内」の掛け声に「鬼は外」が対句として使われている。だが、元興寺の豆まきのかけ声は変わっていて、「福は内、鬼も内」である。元興寺には元興神(がごぜ)という鬼がいて、悪者を退治すると言い伝えがある。そのため、「福は内、鬼も内」と言うそうだ。

壇上に並んだ福男・福女 歓声を上げて豆袋を受け取る参加者
壇上に並んだ福男・福女 歓声を上げて豆袋を受け取る参加者


2012/02/03作成 by pancho_de_ohsei
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