4つの巨岩をご神体として祀る天石立神社
昨年の11月に三重県の斎王歴史博物館の見学に誘ってくれた大坂のAから、昨晩久しぶりに電話があった。
「明日は空いているか?、柳生へ行くが一緒にどうだ?」
彼の話し方はいつでも直裁的である。無意味な時候の挨拶や無駄話などいっさい省いて、要件だけを切り出す。まるでこちらが暇を持て余しているいるのを見越しているような口の利き方だ。
「柳生へ? 一体どうしたのだ?」
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| 御厨子神社の月輪石 |
しかし、こちらの問いにはすぐには答えず、Aはこう言った。
「君のHPで見た月輪石(つきのわいし)に似た巨岩を、先日の日曜日、新聞で見た」
「月輪石? ああ、橿原市東池尻町の御厨子(みずし)神社にある不思議な石のことか。まるで、刀で真っ二つに切り裂いたような・・・」(大和三山に登る-天香具山編参照)
「ああ、そうだ。毎日新聞の日曜版に写真が載っていた。最初に目にしたときは、てっきり月輪石だと思った。だけど、記事を読んでみると違っていた。剣聖柳生石舟斎が天狗と争って、一刀両断したときの天狗の死骸だそうだ。翌朝になると、巨岩に変わっていたという柳生の怪石だ」
「その話なら、以前に知人の案内で柳生の芳徳寺(ほうとくじ)を訪れたとき聞いたことがある(平成18年8月1日付け橿原日記参照)。だが、車ではアクセスできないと聞いて、残念ながらあきらめたのを覚えている」
「そうか、それなら君も興味があるだろう。明日の朝11時半ころ、近鉄奈良駅でピックアップするから、近くの商工観光館前で待っていてくれ」
例によって、こちらの都合も聞かず、言うだけのことを言うと、Aは一方的に電話を切った。
Aは指定した時間から15分ほど遅れて、愛用のベンツでやってきた。遅れた理由を、遷都1300年祭に向けた道路の整備工事で途中が混んでいた、と言い訳した。近鉄奈良駅から柳生までは、車でおよそ50分。山越えで急カーブが多い国道369号線を東に向かい、12時半過ぎには芳徳寺近くの市営駐車場に車を入れた。
2月半ばの平日とあって、芳徳寺を訪れる観光客は我々二人以外誰もいない。宝徳時は、柳生但馬守宗矩(むねのり)が亡父の供養のために創建した寺である。寺の本堂や資料館、それに柳生一族の墓地を見学できる。Aは初めてというので芳徳寺の見学に付き合ったが、筆者は4年前に一度訪れている。ここでは、芳徳寺の探訪記は省略して、天石立(あまのいわだて)神社と一刀石(いっとうせき)の見学に的をしぼってレポートすることにする。
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| 天乃石立神社・一刀石方面の標識 |
駐車場の脇から上り坂が二手に分かれる。その角に標識が立っていいて、天乃石立神社・一刀石方面650mと表示してある。標識が示す方向の舗装された急坂を登っていくと、300mほどで柳生霊園の前に出た。古い墓地を整理して新たに墓地を分譲しているようだが、売れ残った空きスペースが目立つ。
霊園の横から地道に変わり、さらに上り坂が続く。
「御多分にもれず、このあたりも過疎化が進んでいるようだな」
坂道の途中で、霊園を見下ろしながら、Aがポツリと言った。そして、次のように続けた。
「若者たちが生まれ故郷を捨てて大都会に出ていく現象は、バブル期以前から見られた。おかげで、地方の過疎化が進み、農業を引き継ぐ世代が農村部から消えてしまった」
「そうだね、地方へ行くと、集落の中に廃屋が目立ち、人影もなく、まるでゴーストタウンだ」
「2年前の食糧危機のときは、小麦や大豆が輸入できなくて、パンや豆腐の値段が急騰したのは、まだ記憶に新しい」
「その時の教訓で、お隣の韓国や中国では、世界中で借りられる農作地を借りまくっているそうだ。先日NHKの番組で取り上げていた。ゴールドラッシュに似た傾向で、ランド・ラッシュと言うらしい」
「でも、我が国は何も手をうっていないのだろ? 食糧の自給率向上が求められているというのに、何もしなかった自民党政権、何もしようとしない民主党政権。今や我が国は滅亡への道を加速させている。それに対して、何もできないでいる自分たちが情けない」
と、Aは悲しげに首を振った。同感である。
檜の植林の中の山道が、やがて下り坂にかかった。下り坂の途中で小型のトラックが止まっていて、荷台に寄りかかりながら老婦人がなぜか爪切りのヤスリで爪を磨いていた、今まで歩いてきた山道は車は通れない。何処から来たのかと聞くと、榛原から来たとの返事が返ってきた。こちらは、何処から車を山中に乗り入れてきたのを聞いた積もりだが、彼女は自宅のある場所を聞かれたと勘違いしたようだ。あらためて問い直すと、下の車道から登ってきて、ここで車を止めているのだという。
山菜採りにしては時期が早い。何を取りに来たの? と聞くと、”びしゃこ”という答えが返ってきた。
「びしゃこ?」
聞き慣れない言葉なので、何なのだとAの顔を見た。
「ツバキ科の常緑樹で、姫榊(みさかき)ともいう。仏花と組み合わせて、仏壇や神棚に飾るのがこの辺りの習慣だよ」
Aは、男のくせに意外と草花に詳しい。彼はさらに補足して、サカキに似ているが葉の大きさが少し小さいうえに、ギザギザがある。春に小さな黄色い花をびっしりつけ、濃い紫色の実をつけるが異臭を放つ、と教えてくれた。
いったん車道に出たが、すぐに天石立神社方面への山道が分岐し、ふたたび檜の植林の中の狭い地道を進むようになる。最近はどこの山道を歩いても、折角植林された杉や檜の手入れがほとんどなされていないようだ。間伐も枝打ちも行われず、そのまま放置されている林をあちこちで見かける。これも、廉価な外国産の材木の輸入に頼りすぎた我が国の林業に対するビジョンの無さが原因だ、とAは嘆く。
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| 路傍の標識 |
天立石神社の鳥居 |
坂道を登り切ると、檜の林の外れに「一刀石まで残り200m」と書かれた標識が立っている。その先の左右にはお茶畑が続き、やがて「天立石神社」の額を掲げた石の鳥居が行く手に聳えていた。鳥居からの参道は鬱そうと茂る植林の中へ続いていた。
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| 戸岩谷を埋め尽くした巨岩 |
先を行くAが突然立ち止まって、右手前方を指さした。
「おい、あれは何だ?」
彼が指さした方を見やると、緑に苔むした巨岩が折り重なり、まるで岸壁のように聳えているのが、樹木の間から見えた。付近は芳徳時の東南にあたる山中で、万年渓(まんねんけい)の雅称を持つ戸岩谷(といわだに)である。柳生家の修行場があったとされる辺りだ。植林された山肌を一皮むけば、ごつごつした岩山なのだろう。林の中にも独立した岩があちこちに顔を見せている。
「おお!、これは、これは・・・」
その先で、Aが再び立ち止まると、絶句するような声を上げた。
彼と並んで、右手に聳える巨岩を見て、その異様とも思える光景に、筆者も息を飲んだ。
そこには、幾分傾きながら二枚の岩がまるで寄り添うように立っていた。向かい合った両方の岩の岩面が、まるで一刀両断したように見事に切り裂かれている。その先にも、平らな面の石が一段低くまるで伏せているように埋まっている。これらが一刀石か、と瞬間思ったが、それは勘違いだった。一刀石はさらに先の植林の中にあり、これら3つの岩石は前伏磐、前立磐、後立磐と呼ばれる天石立神社の神体石だった。
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| 天石立神社の神体石 |
右が後立磐、左が前立磐 |
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| 左端が前伏岩 |
見学者は、天石立神社の背後からアクセスすることになる。神社の正面にまわると、拝殿の左に「きんちゃく磐」と呼ばれるひときわ大きい石があり、この石を含めて4つの巨大な花崗岩が、この神社のご神体となっている。近くに立てられた説明板によれば、天石立神社は、『延喜式』神名帳にも小社と記されている式内社で、別名を戸磐明神、戸岩谷神社、神戸岩神社ともいう。
この神社の祭神は、御門の守護神とされ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊磐門戸命(とよいわかどのみこと)、櫛磐門戸命(くしいわかどのみこと)、天磐戸別命(あめのいわとわけとのみこと)の4座を祭る。拝殿の上部には、昭和59年に氏子総代が掲げた神々の配置図が描かれている。その図と巨岩を交互に見比べながら、Aが確認するように言った。
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| 天石立神社の拝殿 |
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| 拝殿横のきんちゃく磐 |
「面白いね、ここにある岩はそれぞれの神を祀る神社に見たてられている。拝殿横のきんちゃく磐は天照大御神を祀る日向神社だ。拝殿前の3ツの岩は、手前の前伏磐が天磐戸別命(あめのいわとわけとのみこと)を祀る石立神社、真ん中の前立磐が豊磐門戸命(とよいわかどのみこと)を祀る天石立神社、背後の後立磐は櫛磐門戸命(くしいわかどのみこと)を祀る天石吸神社になっている。そして、これらの神社を総称して天石立神社と呼んでいるそうだ」。
「真ん中の前立磐の大きさは、ここに書いてある。君は推定できるかね?」
神社横の説明板を見ながら、Aが言った。
「さあ・・・」と首を傾けると
「高さ6m、幅7.3m、厚さ1.2mで全体が扉の形をしている。そのため、面白い伝説が伝わっている。神代の昔、高天原でアマテラスが天岩戸(あまのいわと)に隠れた際、手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸の脇に控えており、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、岩戸を思い切り引き開けたが、力余ってその扉石が虚空を飛来し、この地に落ちたというのだ」
説明板には、柳生家もこの神社を尊崇した様子が記されている。正保2年(1645)には但馬守宗矩は参道を修理し並木を植えている。宝永2年(1705)には柳生宗広(のちの藩主俊方)は能舞台を建て、石灯籠を寄進している。さらには寛保2年(1742)、藩主俊平も石灯籠を寄進しているそうだ。
神社の南の杉木立の中で、パクッと2つに割れている一刀石
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| 杉木立の中に見える一刀石 |
神社の前に立って南の方向に視線を投げると、100mほど先の杉木立の中に太陽の光を浴びている巨岩が見える。それが、柳生新陰流の祖・柳生宗厳(やぎゅうむねよし、号は石舟斎)が一刀両断したとされる一刀石である。ただ、あたりは深い杉木立で、しかも、水はけの悪い湿地帯である。土壌が雨上がりでもないのにぬかるんでいる。足下に注意しながらその岩に近づくと、なるほどAが見間違ったのも無理がない。御厨子(みずし)神社の月輪石によく似ている。
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| 柳生宗厳が一刀のもとに斬ったとされる一刀石 |
近くの崖の中腹にある小さめの洞窟状の空間があり、そこに天狗らしき像が安置されている。石舟斎と戦ったとされる天狗を模して作られた人形だろう。高さ5m、幅10m、真ん中でものの見事に二分された一刀石のまわりをまわりながら、Aが独り言のように呟いた。
「いかに剣の達人でも、これほどの巨岩を一刀で両断できるとは思えないよな」
「そうだよね。おそらくこの岩は最初からここにあったのではないだろう。おそらく近くの崖の上から転げ落ちたとき、何かの力が働いて亀裂が入り、そこに雨水が差し込み、その水が凍ったとき亀裂を広げたに違いない」
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| 近くで見る一刀石 |
一刀石の割れ目 |
筆者が言うと、Aは納得したように頷いていたが、突然立ち止まって、ブルッと身体を震わせた。その様子がいささか大げさだったので、つい声をかけた。
「どうした?」
「こういう場所は、いささか苦手でね。ときどき霊が背後から迫るような錯覚を覚える」
世の中には本当に霊の存在を感じ取ることができる人間がいるようだ。筆者などは、神経が鈍感で霊など感じたことがなく、霊の存在など信じていない。しかし、Aは実際に霊を感じ取ることがあるようで、例えば古墳の石室などは誘っても絶対に中に入ろうとしない。霊に囲まれて身体が硬直してしまうというのだ。
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| 近くに飾られた天狗の人形 |
早々と一刀石からAが遠ざかるのを見送りながら、筆者は崖の途中に飾られた天狗の人形に近づいて、その姿をデジカメにおさめた。八手(やつで)の葉のような団扇を持っているから、間違いなく天狗なのだろう。しかし、鼻が高いわけでなく、武芸者の衣装をつけている。あるいは、柳生石舟斎を模した人形のようにも見えた。
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