奇妙に仏教と似ている古代エジプト人の死生観
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| エジプト展の入口 |
■ サンシャインシティ文化館の7階にある古代オリエント博物館を訪れるのは、今回が初めてである。受付を済ませ、大理石に囲まれた細い通路を進むと展示会の会場がある。最初のブースには古代エジプトの年表や、カイロ博物館のコレクションから出品された神々の小さな像とその系図が示されていた。まずはエジプト学の初歩を頭に入れて見学くださいという配慮か。
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| 第4王朝時代のギザの三大ピラミット |
■ 古代エジプトと言えば、誰しも巨石を四角錐に積み上げたピラミッドをまず思い浮かべる。古代エジプトでは、古王国時代になって初めてのピラミッドである階段ピラミッドが作られる。これをきっかけとして、次々とピラミッドが作られ続ける。首都カイロからナイル川を挟んでおよそ20km西南にあるギザの三大ピラミッドは有名だ。古王国時代に属する第4王朝(BC2613頃 - BC2494頃)のクフ王、カフラー王、メンカウラー王の墓である。
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| 古代エジプトの年表 |
■ しかし、古王国時代の最後の第6王朝(BC2345頃 - BC2185頃)になると石でピラミッドを造る時代は終焉を迎える。2008年11月、第6王朝を開いたテティ王の母親にあたるシェシェティ女王のピラミッドがサッカラで発見された。エジプト国内で118基目のピラミッドであるが、土台の一辺が22mと小さい。
■ 緻密な計算のもとで作られたピラミッドが何のために作られたのかは、実はよく分かっておらず、様々な説がある。その一つに、古代エジプト人は太陽信仰があったことから、「太陽へ昇る階段」としてピラミッドを崇めたのだという。根拠として、古代のエジプト人はピラミッドのことを「メル」「ムル」と呼んでいたことをあげている。「メル」とか「ムル」は「「昇る」という意味だそうだ。
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| 入場券 |
■ ナイルの河岸で農耕生活を営む古代エジプト人は、太陽を信仰した。毎日眺める太陽は、早朝に地平線から姿を現して、夕方に西の地平に姿を消し、そして翌朝には再び東の空に昇ってくる。こうした自然現象が「死したものが再び甦る」という死生観を彼らに植え付けたようだ。そして、太陽の沈む西の地平に来世があると考え、ナイル川の西岸を「死者の町(ネクロポリス)」とし、墓地などの造営を行い、対岸の東岸は「生者の町(アクロポリス)」として、王宮や神殿などを建てた。
■ 我々日本人は、人間は肉体と魂から成り立っていると考えるのが一般的だが、古代エジプト人は肉体(アクト)と魂(バー)と精霊(カー)の3つで成り立っていたと考えていた。そして、人間が死ぬと、アクトは滅びバーは死後の世界に旅立つが、アクトがそのままであれば、いつかカーの力でバーを呼び戻し、死者は復活できると考えた。ただし、復活は現世への再生ではなく、死者の楽園(あの世)で第二の人生を歩むことを意味した。
■ そうした意味で、古代エジプト人は死を新たな人生のはじまりと見なしていたと考えて良い。彼らにとって、死後の肉体の保存は、来世での生活のために欠かせないことだった。死者の肉体をミイラにして現世と変わらぬ状態で保存し、また墓の中には現世と代わらぬ状態で生活出来るように家具や食べ物などの副葬品が納めた。
■ 今回のエジプト展のテーマは「古代エジプトのミイラと死生観」である。ミイラ作りのプロセスの解説と使用された器具が展示されていて興味深かった。「歴史の父」として知られる古代ギリシャのヘロドトス(BC484頃〜BC425頃)は、すでに「エジプト紀行文」の中で目撃したミイラ作りのプロセスを次のように記している。
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| ミイラを作るアヌビス神 |
1.遺体がミイラ職人の仕事場に運び込まれると、職人は木製のミイラの3通りの見本を見せ、どの型のミイラを調製して欲しいか依頼者に尋ねる。
2.価格の折り合いがつくと、依頼者は引き上げ、職人は仕事場に残ってミイラ作りにかかる。
3.まず、曲がった刃物や薬品を用いて鼻孔から脳髄を摘出する
4.鋭利なエチオピア石(黒曜石)で脇腹に沿って切開し、心臓以外の臓腑を取り出し、四種のカノポスの壺に収めて保存する。
5.遺体を70日間天然のソーダに漬けて水分を取り、脂肪や筋肉組織を破壊させて皮膚と骨だけにする。
6.70日が過ぎると、遺体を洗い、上質の麻布を裁って作った包帯で全身を巻き、その上にニカワとして代用しているゴムを塗りつける。
7.近親者がミイラを受け取り、人型の木箱の収め、箱の蓋をして葬室内の壁際にまっすぐ立てておく
8.棺が墓に納めるとき、死後の世界で再び生きられるように生命機能を取り戻すための「口開きの儀式」が行われる
■ 遺体をミイラに整え、棺に納めるには莫大な経費を要した。当初は、ミイラになれるのはファラオ(王)、貴族、高級官僚、位の高い神官に限られた。しかし、中王国時代(BC2040-BC1750)になると、ミイラ作りは中流階級から一般庶民僧への広がったとされている。
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| オシリスの裁判の場面、心臓の計量 |
■ ブースの一画に「死者の書」が幾つかに区分けされ、解説を付けて展示されていた。「死者の書」は、古代エジプトで死者とともに埋葬されたパピルスの巻き物である。死者の霊魂が肉体を離れてから冥府の国アアルに入るまでの過程を描いた祈祷書で、冥福を祈り死者と共に葬ったとされている。絵とヒエログリフ(神聖文字)で構成されているが、順を追って見ていくと結構面白い。
■ 「死者の書」の中のハイライトは、心臓を天秤にかける死者の裁判の章だろう。天秤の一方には死者の良心を表す心臓を載せ、他方には法と真実の象徴である羽根を載せて、犬またはジャッカルの頭部を持つ死者の神アヌビスが、天秤の目盛りを見つめている場面が描かれている。死者の心臓が真理の羽より重ければ、生前は罪深く不徳の人だったということで、天秤が傾いて心臓が転げ落ち、アメミットという鰐(わに)に似た怪物に食べられてしまう。
■ 真理の羽と釣り合いが取れれば、冥界アアルの王オシリスの治める死後の国へ導かれ、自分もオシリスとなって来世で食べ物に困らずに至福の生活を永遠に続けられる。したがって、心臓をなくすことは、死者の楽園に復活できなくなることを意味する。ミイラが安置された墓の壁面には、死者の審判で神々に好印象を与えるために、生前に成した「良いこと」がビッシリと書かれている。
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| 冥界の王オシリス |
■ 「死者の書」が語る最後の審判のくだりを見て、冥界の王オシリスと仏教で死者の生前の罪を裁く閻魔(えんま)のイメージがだぶった。考えてみると古代エジプト人の宗教観と我々日本人が信奉する仏教とは、類似する箇所がある。まず、いずれも多神教である。仏教にさまざまな仏がいるように、エジプトの神話にも太陽神ラーをはじめ様々な神々が存在する。
■ 我々は極楽浄土が西方にあると見なしているように、古代エジプト人も太陽が沈む西に来世があると考えていた。また、インドにおける蓮華と同じように、エジプトでもロータス(睡蓮、すいれん)が神聖な花とされてきた。エジプト神話では太陽神ラーは睡蓮から生まれたとされ、古代エジプトの新王国時代には、ロータスは上エジプトの象徴として紋章に使われた。
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