![]() |
| 国宝の土偶三体: 左から「縄文のビーナス」、「中空土偶」、「合掌土偶」(*) |
東京国立博物館で開かれている大英博物館帰国展「国宝土偶展」
国宝の指定を受けている土偶は、現在のところ上に示した「縄文のビーナス」、「中空土偶」、「合掌土偶」の3点だけだが、一堂に揃って展示されるのは、今回が初めてだそうだ。その他にも、重要文化財23点、重要美術品2点を含めて土偶とその関連資料が全部で67点展示されるというので、その開催を楽しみにしていた。 土偶とは、縄文から弥生時代にかけて素焼きで作り上げた”ひと形”の土製品である。土偶の発生は今から約13,000年前の縄文時代草創期までさかのぼるという。同じ素焼きでも、古墳時代の墓を飾った人物埴輪ほどの大きさや大らかさはないが、一種独特のさまざまな姿や形は、当時の人々の精神や信仰の世界を具体的に示しているという。 縄文土器を製作する傍らで、縄文人は同じ粘土をこねて彼らの祈りを示す”ひと形”を作り続けてきた。1万年以上の長い年月の流れの間に、その姿や形はさまざまに変化してきた。現代人は、その豊かな造形に芸術性すら感じて、土偶を愛して止まない。 しかし、なんのために土偶が作られたのかは、今もって分からないことだらけのようだ。縄文時代草創期の頃のものは、顔や手足のない単純で小型の土偶が作られた。だが、乳房が見られることから、基本的に女性を表したものと思われる。時代が下がれば、出産間近の女性の姿を現した土偶も多く見つかっており、安産祈願あるいは再生や多産を願って作られたという説がある。
筆者がまとまった土偶の展示を見たのは、5年前の平成17年4月までさかのぼる。当時、茨城県の「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」の考古資料館で「山野をかける土偶」という特別展が開催されていた。その折、文化庁美術学芸課文化財調査官の原田昌幸氏の特別講演「土偶の移り変わりと造形」を聴講して、初めて土偶にもさまざまな形態があるのを知った。(平成17年4月24日付け橿原日記参照) そして、特別展では、ハート形土偶や山形土偶、みみずく形土偶、遮光器土偶などを見て、その造形の豊かさに驚いた。ひょっとしてあのとき見た土偶たちとまた再会できるかと思って、本日東京国立博物館に出かけてきた。以下は、「国宝 土偶展」で見た土偶の印象記である。 |
会場で出会ったさまざまな土偶たち
会場は、3つのセクションに分けて土偶と関連資料を展示していた。セクション1 「土偶のかたち」、セクション2 「土偶芸術のきわみ」、セクション3 「土偶の仲間たち」の3つである。
これは、平成12年(2000)8月に長野県茅野市の中ツ原(なかっぱら)遺跡で見つかったほぼ完形の大型土偶である。全長は34cm、重量は2.7キロを測る。中ツ原遺跡は今から約3500年前の縄文時代後期の遺跡で、そのほぼ中央にある墓域の土壙(どこう)の中に横たわるように、この土偶は埋められていた。右足は壊れて胴体から外れており、人為的に壊されていたようだ。
以前は、と断ったのには理由がある。実は同じ年の9月に長野県茅野市米沢の棚畑遺跡から完形の妊婦を象った土偶(後述)が発見された。こちらの土偶は平成7年(1995)に国宝に指定され「縄文のビーナス」と通称されるようになった。そのため、西の前遺跡出土のものは単に「立像土偶」と呼ばれるようになった。
この土偶は人の形を究極までデフォルメして完成させており、現代のアートとして紹介されても十分に通じる造形である。海外でも高い評価を受けているとのことだが、まさに縄文造形の優品と言ってよい。
縄文時代後期の関東地方ではハート形の顔を持つ土偶が多く作られた。文字通りハート形の顔をしているので則物的にハート形土偶と通称されているが、今回展示されていた土偶は、その特異な造形から日本を代表する古代造形の一つとしてよく知られている。第二次世界大戦中の昭和16年(1941)、群馬県吾妻郡岩島村(現在の東吾妻町)で行われたJR吾妻線郷原駅建設工事に際し、その調査中に石囲いの中から横に寝かされた状態で発見された。高さは約30.5cmを測る。
この土偶には背面を含めて体の要所に渦巻き文が施してある。また、肩は大きいが、そこからぶら下がる手は小さい。しかし、アーチ状の表現された足腰は縄文女性の力強さを今に伝えている。戦後の昭和26年(1951)にこの土偶の存在が公式に発表されると、その抽象的な表現を芸術界も高く評価し、一大センセーションを巻き起こした。それから14年後の昭和40年(1965)には、国の重要文化財の指定を受けている。現在は個人蔵だが、東京国立博物館に寄託されている。
顔と髪は赤く塗られ、まん丸の目と口に加え、やはりまん丸の大きな耳飾りをつけている。顔が”みみずく”に似ていることから「みみずく土偶」と呼ばれている土偶である。会場には埼玉県の真福寺貝塚から出土したみみずく土偶が展示されていた。 真福寺貝塚は、埼玉県さいたま市岩槻区にある縄文時代後期から晩期(今から約3500年から2800年前)にかけて営まれた貝塚・集落跡である。大正時代から幾度となく発掘調査が行われ、縄文時代晩期の竪穴住居跡や土偶、勾玉など縄文時代の様子を伝える貴重な遺物が出土した。
眼鏡をかけているように目を大きく表現した土偶が、縄文晩期には主に東北地方で出現した。その目の部分がエスキモーが雪中の光除けに着用した遮光器に似ていることから「遮光器土偶」と呼ばれる土偶である。一般に「土偶」といえば、この型のものが連想されるほど有名な土偶である。今回の展示では、明治20年(1887)に青森県つがる市の亀ケ岡遺跡から出土した、片足のない遮光器土偶が展示されていた。
この土偶は、長野県茅野市米沢にある縄文中期(4500年前)の棚旗遺跡から平成元年(1989)に出土した。縄文環状集落の中央にある広場から完全な状態で発掘されたそうだ。一見して妊婦を象ったことがわかる土偶で、平成7年(1995)に国宝に指定された。正式には「国宝(完全大形)妊娠土偶」という。というのは、同じ年に山形県の西ノ前遺跡から発掘された「立像土偶」も、「縄文のビーナス」と呼ばれることがあるためである。 全体は下方に重心がある安定した立像で、全長は27cm、重量は2.14キロを測る。頭は頂きが平らに作られ、円形の渦巻き文が見られる。そのため、帽子をかぶっている姿だと言われている。文様は頭部以外には見あたらない。 顔はハート形の仮面をかぶった形をしている。切れ長のつり上がった目や、尖った鼻に針で刺したような小さな穴、小さなおちょぼ口などは、八ヶ岳山麓の縄文時代中期の土偶に特有の造形だそうだ。腕は左右に広げられているが、手は省略されている。胸はには乳房が小さくつまみのように付けられているだけだが、腹と尻は大きく張り出しており、妊娠した女性の様子をよく表している。
土偶は、座った状態で両腕を膝の上に置き、正面で手を合わせ、指を結んだポーズを取っている。そのため「合掌土偶」と名付けられた。両手を合わせた姿は大変珍しく、天を仰ぎ、一心不乱に深い祈りを捧げる様子が伝わってくる秀作である。その祈りは、新たな生命への安産祈願か、あるいは自然の恵みや豊かな暮らしへの豊穣祈願だったかもしれない。
合掌する姿ではなくて、出産時の坐産という分娩体位の姿勢を表現しているとの見方もある。そう言われれば、眉をつり上げた顔の表情や力強く握り締められた両手の印象から、出産時の姿を表しているようにも見える。この土偶が国宝に指定されたのは新しい。平成21年(2009)3月のことである。
土偶は頭部の一部と両腕が欠損していたものの、ほぼ完全な形で見つかった。高さ41.5p,幅20.1p,重さ1,745グラムと,現存する中空土偶としては国内最大級の大きさである。
馬場小室山遺跡は、今から約5000年から3500年前の縄文時代中期から晩期までの長期にわたって、継続して営まれた住居跡遺跡で、縄文時代中期には、直径150mにおよぶ環状集落が形成されていたことが分かっている。縄文後期から晩期にかけては、竪穴住居跡とともに墓域や特殊な土坑が構築されるとともに、直径数十メートルにおよぶ環状盛土遺構が形成されていたことも判明している県を代表する縄文遺跡である。 人面付き深鉢形土器は、昭和57年(1982)の発掘調査で、第51号土坑から30個以上の粗製土器とともに出土した。この土器を初めて見たのは、平成17年(2005)の1月、場所は見沼たんぼを見下ろす台地に上に建つさいたま市立浦和博物館だった。昭和56年(1981)の発掘調査で破片で発見された土偶装飾付土器と共に、並んでガラスケースの中に展示されていた(平成17年1月30日付け橿原日記参照)。 1月7日付けの毎日新聞インターネット版の「余録」には、面白い記事が出ていたので紹介しておこう。鬼頭宏著「人口から読む日本の歴史」によると、狩猟採集民だった縄文人は短命で、平均寿命の推計値は男女とも14.6歳だそうだ。また、15歳まで生きた男女の平均余命は男女平均で16年で、31歳程度まで生きのびた。そのため、一族の集団の存続のためには、15歳以上の女性は平均余命いっぱいの16年の間に、2年に1回の割で出産しなければならなかった計算になるという。 しかも、出産そのものが現在とは違って何倍も生命の危険を伴う行為だった。土偶は、そうした縄文人の生命への祈りを宿しているという。 なるほど、と思った。安産を願って盛んに女性の土偶を造り続けた縄文人の旺盛な創作活動の背後には、母体の生命の安全と種族保存の切実な願いがあったのだ。21世紀の我々が彼らの遺品をあたかも古代の芸術品のように鑑賞することなど、彼らのあずかり知らぬことだった。 |
(*) ポスターよりコピー
(**)絵はがきよりコピー