新井宏氏の主張する古韓尺
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| 新井宏著『まぼろしの古代尺』 |
新井宏氏は、日本金属工業の元常務で、金属考古学、計量史を専門とする特異な学者である。数年前までは、韓国の国立慶尚大学の招聘教授を務められておられた。以前、「東アジアの古代文化を考える会」で新井氏の講義を拝聴したことがある。2004年5月15日、京都市の泉屋博古館(せんおくはくこかん)は、所蔵する三角縁神獣鏡を世界最大級の放射光分析施設(愛称SPring8)で分析し、三角縁神獣鏡=中国製説に有利な分析結果を新聞各紙に発表した。
当時韓国におられた新井氏はその新聞発表に気づかれなかったが、帰国後に関連報告書を入手されて、解析方法に基本的な誤りがあり、とても容認しがたい分析結果だと反論された。翌年の8月、「東アジアの古代文化を考える会」は新井氏を講師として招き、「鉛同位体分析比から三角縁神獣鏡の製作地を探る」というタイトルで講演会を開いた。氏の講演は非常に論理的で、金属工学など門外漢の筆者にも十分に納得のいく内容だったのを記憶している(平成17年8月28日付け橿原日記参照)。
その新井氏は、上記の『まぼろしの古代尺 高麗尺はなかった』を平成4年(1992)に吉川弘文館から出版され、「古韓尺」論を展開されていた。この書籍のタイトルだけは知っていたが、今回、図書館から借り出して通読してみて驚いた。本書は、4世紀から8世紀における朝鮮半島や日本の古墳、宮殿、寺院などの計測値を収集して、その膨大な資料をコンピューターを駆使して分析し、最もよく合う尺度として、0.268mという今までに知られていない基準長を導き出している。そして、この長さは朝鮮および日本のほとんどの古代遺跡や建造物に共通して適用されていることから、「古韓尺」と仮に命名された。
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| 高句麗の石積古墳 将軍塚 |
古韓尺の基準長は、中国の尺度発展の経過からみて、4ー5世紀に鮮卑族の間で現れ、それが朝鮮と日本でも使われるようになったと、著者は推測しておられる。この尺度の初見は4世紀の高句麗石積古墳群に見られるが、その始まりはもっと遡る可能性があるという。ツングース系騎馬民族の高句麗は、3世紀末には南朝鮮にまで影響力を及ぼしている。我が国の古代の古墳や宮殿、寺院は、朝鮮半島南部から渡来した技術職人たちによって造営されており、彼らがもたらした古韓尺がベースになっているのは当然であるという。しかし、その後我が国は唐尺を取り入れたので、この古韓尺は失われたとされている。
今月の「東アジアの古代文化を考える会」は、新井宏氏を講師に招いて「炭素14年と鉛同位体比から見た古墳年代」というテーマで講演会を開催するというので、久しぶりに池袋の豊島区生活産業プラザに出かけた。今年の5月、国立歴史民俗博物館(歴博)は、箸墓古墳の周辺から出土した土器の表面に付着した炭化物を放射性炭素年代測定法で測定し、測定の結果が240〜260年の範囲にあると発表した。このため、箸墓古墳の築造時期が卑弥呼の時代まで遡ることになり、マスコミの話題をさらった。だが、新井氏は「歴博の炭素14年による年代遡上論は問題があり、御破算にすべきだ」と強く要求されているという。どんな話が拝聴できるか楽しみだった。
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| 新井氏の講演スライドの冒頭 |
ところが、実際の講演では、新井氏は「纒向遺跡の大型建物からみた古墳年代」に話題の中心を変え、纒向遺跡の建物や纒向古墳群の造営に古韓尺が用いられている可能性に力点がおかれた。これは筆者の勝手な推測だが、最近のホットな情報として、纒向遺跡の発掘調査で建物跡の規模が新たに公表され、古韓尺の実在を追加検証することが可能になったためかと思われる。新井氏は現地説明会の資料を入手してから一週間ほど興奮状態が続いたと、冒頭で正直な感想を漏らされた。
纒向遺跡では、今までの発掘調査で四棟の建物の跡や柵の跡が見つかっている。建物跡については、その柱穴から4棟の建物は柱筋を東西方向に揃えて計画的に配置されていたことが判明しており、調査を担当している桜井教育委員会は、これらの建物を西から順にA、B,C、Dと仮称で呼んでいる。新井氏は、それぞれの建物の長さについて、まず後漢尺(23.3cm)と魏尺(24.0cm)に適合するかどうかチェックされた(次の表参照)。
後漢尺(23.3cm)と魏尺(24.0)の適合度(*)
| 纒向遺跡の構成 | 長さ | 後漢尺(23.3cm) | 差 | 適合 | 魏尺(24.0cm) | 差 | 適合 |
| (m) | 総尺 | (m) | (m) | |
総尺 | (m) | (m) | | |
| 建物A | 東西 | 4.8 | 20 | 4.7 | 0.1 | ○ |
20 | 4.8 | 0 | ◎ |
| 建物B | 南北 | 5.2 | 22 | 5.1 | 0.1 | ○ |
22 | 5.3 | 0.1 | ○ |
| 東西 | 4.8 | 20 | 4.7 | 0.1 | ○ |
20 | 4.8 | 0 | ◎ |
| 建物C | 東西 | 8.0 | 33 | 7.7 | 0.3 | × |
33 | 8.0 | 0 | ○ |
| 南北 | 5.3 | 22 | 5.1 | 0.2 | △ |
22 | 5.3 | 0 | ○ |
| 建物D | 桁行 | 19.2 | 80 | 19.6 | 0.4 | × |
80 | 19.2 | 0 | ◎ |
| 梁行 | 12.4 | 52 | 12.2 | 0.2 | × |
52 | 12.4 | 0 | ○ |
| 建物Bと建物Cの間隔 | | 5.2 | 22 | 5.1 | 0.1 | × |
22 | 5.3 | 0.1 | × |
| 建物Cと建物Dの間隔 | | 6.4 | 27 | 6.3 | 0.1 | × |
27 | 6.5 | 0.1 | ○ |
| 建物Bと両側の柵間 | | 8.0 | 33 | 7.7 | 0.3 | × |
33 | 8.0 | 0 | ○ |
| 建物C部の柵間 | | 26.8 | 110 | 25.6 | 1.2 | × |
110 | 26.4 | 0.4 | × |
古韓尺(26.7cm)の適合度(**)
| 纒向遺跡の構成 | 長さ | 古韓尺(26.7cm) | 差 | 適合 |
| (m) | 総尺 | 歩 | (m) | (m) | | |
| 建物A | 東西 | 4.8 | 18 | 3 | 4.8 | 0.1 | ◎ |
| 建物B | 南北 | 5.2 | 20 | - | 5.3 | 0.1 | ○ |
| 東西 | 4.8 | 18 | 3 | 4.8 | 0 | ◎ |
| 建物C | 東西 | 8.0 | 30 | 5 | 8.0 | 0 | ◎ |
| 南北 | 5.3 | 20 | - | 5.3 | 0 | ◎ |
| 建物D | 桁行 | 19.2 | 72 | 12 | 19.2 | 0 | ◎ |
| 梁行 | 12.4 | 48 | 8 | 12.8 | 0.4 | ○ |
| 建物Bと建物Cの間隔 | | 5.2 | 20 | - | 5.3 | 0.1 | ○ |
| 建物Cと建物Dの間隔 | | 6.4 | 24 | 4 | 6.4 | 0 | ◎ |
| 建物Bと両側の柵間 | | 8.0 | 30 | 5 | 8.0 | 0 | ◎ |
| 建物C部の柵間 | | 26.8 | 100 | - | 26.7 | 0.1 | ◎ |
新井氏の講演資料では、1尺=23.3cm(後漢尺の場合)あるいは1尺=24.0cm(魏尺の場合)の尺度の適応度が素人にも分かりやすいように、計測値を除算して得られた値を◎、○、×の3種類にわけて表示しておられる。◎はぴったりと区切りの良い尺数が得られた場合、○は整数でない尺数または計測値に対してすこし誤差がある場合、×はそれ以外の場合を示しているようだ。
新井氏作成の表では、後漢尺の適合度が低いが、魏尺の場合は建物Aと建物Bの東西方向の長さ、および建物Dの桁行にぴったりとした区切りのよい尺数が得られることを示している。そのため、魏尺の適用の可能性を排除できない。しかし、次に示された古韓尺(26.7cm)の場合と比較すると、圧倒的に後者の適合度が高い。こうした分析の結果、纒向遺跡の建物や建物配置には古韓尺が適用されていたと、新井氏は力説される。ただし、1点気になることがある。上記の『まぼろしの古代尺』では古韓尺=0.268mとなっていたが、本日の講演では、なぜか古韓尺=0.267mとされており、1mm短い単位を使っておられた。
新井氏は、纒向遺跡の建造物に続いて、纒向古墳群を構成する前方後円墳に関しても、古韓尺の適用の可能性を示唆するために、下記の表を提示された。この表では、魏尺による計算値は尺で示し、古韓尺による計算値は歩(26.7cmx6尺=1.60m)で示してある。これらの数値を見る限りでは、古韓尺が適用されたのは自明のように見える。しかし、上記の図書が出版されてすでに17年を経ているのに、氏が提唱する古韓尺が考古学会や歴史学会で正式に受け入れられているようにも見えない。なぜだろうか?
勝手な憶測が許されるならば、新井氏の古韓尺論を受け入れた場合、纒向遺跡や纒向古墳群の築造時期が従来の通説より新しくなる可能性があるのではないだろうか。新井氏の研究では、古韓尺の導入時期を明確には断定されていない。魏尺は魏の中期(AD240年)以降のものだが、纒向古墳群の前方後円墳や纒向遺跡の建物が魏尺ではなく、それ以降の古韓尺によるものならば、これらの年代をあまり遡上させるのは違和感を生むことになる。
古韓尺に良く一致する纒向古墳群の前方後円墳(**)
| 古墳の名称 | 計測部位 | m | 古韓尺(26.7cm) | 魏尺(24.0cm) |
| | | 歩 | 計算値(m) | 差(m) | 判定 | 尺 | 計算値(m) | 差(m) | 判定 |
| 箸墓古墳 | 墳丘長 | 288 | 180 | 288 | 0 | ◎ | 1200 | 288 | 0 | ◎ |
| 後円径 | 160 | 100 | 160 | 0 | ◎ | 667 | | | × |
| 前方長 | 128 | 80 | 128 | 0 | ◎ | 533 | | | × |
| 纒向石塚 | 墳丘長 | 96 | 60 | 96 | 0 | ◎ | 400 | 96 | 0 | ◎ |
| 後円径 | 64 | 40 | 64 | 0 | ◎ | 267 | | | × |
| 前方長 | 32 | 20 | 32 | 0 | ◎ | 133 | | | × |
| 纒向矢塚 | 墳丘長 | 96 | 60 | 96 | 0 | ◎ | 400 | 96 | 0 | ◎ |
| 後円径 | 64 | 40 | 64 | 0 | ◎ | 267 | | | × |
| 前方長 | 32 | 20 | 32 | 0 | ◎ | 133 | | | × |
| 東田大塚 | 墳丘長 | 96 | 60 | 96 | 0 | ◎ | 400 | 96 | 0 | ◎ |
| 後円径 | 64 | 40 | 64 | 0 | ◎ | 267 | | | × |
| 前方長 | 32 | 20 | 32 | 0 | ◎ | 133 | | | × |
| ホケノ山 | 墳丘長 | 80 | 50 | 80 | 0 | ◎ | 333 | | | × |
| 後円径 | 55 | 35 | 56 | 1 | ○ | 233 | | | × |
| 前方長 | 25 | 15 | 24 | 1 | ○ | 100 | 24 | 1 | ○ |
(*) 新井宏氏の講演資料よりアレンジ
(**)新井宏氏の講演資料より転記
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