紅葉が色づき、落ち着いた雰囲気を醸し出す唐招提寺境内
急用ができて自宅に戻る準備を進めていると、知人からの電話が鳴った。友達と唐招提寺を見学に出かけたいが、場所が分からないので案内を頼むとのことだった。井上靖の名作によって「天平の甍」の呼び名で知られる唐招提寺金堂は、10年におよぶ平成の解体修理事業が終わって、今月初めに落慶法要が行われ、4日から一般公開されている。
筆者が橿原市内にアパートを借りたのは、金堂の解体修理が始まった平成12年(2000)の春である。その時から何度か唐招提寺を訪れているが、金堂を拝観することはなかった。今回の橿原滞在中に修復された金堂を是非とも拝観したいと思っていたので、快く知人の依頼を受けることにし、新幹線に乗るために京都に向かう途中で最寄りの「西の京」駅で落ち合うことにした。
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| 唐招提寺の南大門 |
「西の京」駅で近鉄電車を降りて、薬師寺の与楽門からまっすぐ北へ延びる古びた道を500mも歩けば、唐招提寺の西脇門に行き当たる。この道はいかにも古刹を訪れるのにふさわしい参道のようで、筆者の好きな散策路の一つである。平日の午後だったが、この狭い道の路側帯を唐招提寺に向かう参拝者の群れが続いた。いずれも解体修理を終えたばかりの金堂と再び相まみえることを楽しみにしている顔つきだった。
南大門の受付で拝観料を払って一歩境内に足を踏み入れると、まっすぐにのびた参道の先に、お目当ての金堂の雄姿があった。天平期の建築様式を今に伝える仏堂である。驚いたことに、以前とまったく同じ形で復元されていた。考えてみれば当たり前のことだが、筆者の頭の中には、古くなった列柱や屋根裏の組み物が朱塗りの部材に新しく取り替えられたイメージが、何故かできあがっていた。古くなった部材を取り替えても昔のままに見せるというのは、それなりに匠(たくみ)の技が必要だったであろう。しかし、参観者にとっては昔のままの姿を再び見られるのは有り難いことだ。
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| 唐招提寺拝観券 |
大棟の両端には金堂の屋根を守り続けた東西二つの鴟尾(しび)が載っている。東側の鴟尾は鎌倉時代のものだが、西側の鴟尾は創建当時の天平時代のもので、1200有余年の風雪に耐えてきた。いずれの鴟尾も今回新しく造り替えられ、役目を終えた二つの鴟尾は新宝蔵館に国宝として展示されている。
知人の話では、訓読みでは鴟尾を「とびのお」と呼び、鴟は「ふくろう」とも読むそうだ。中国の後漢時代以降に、大棟の両端を強くそり上げる建築様式が取り入れられ、その形が変化して3世紀から5世紀頃に鴟尾になったという。また、唐時代の末頃には、雨を降らすインドの空想の魚である鯱(しゃち)の形などに変化し、火除けのまじないとして大棟に飾られたとのことだ。
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| 国宝の鑑真和上座像 |
解体修理の終わった金堂の屋根は、鴟尾だけでなく瓦もまた美しい。解体作業のために4万枚の瓦が降ろされたと聞いているが、傷んだ瓦も相当数あったはずである。しかし、冬の青空から降り注ぐ陽光をはね返す屋根瓦は新旧を感じさせない。ひょっとしてすべてが葺き替えられたのだろうか。
正面の3つの扉が開かれていて、金堂の内部を拝観できる。堂内には、中央に本尊の乾湿廬舎那仏坐像、向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の巨像を安置し、さらに本尊の手前左右に梵天・帝釈天立像、須弥壇の四隅に四天王立像がを安置されている。三体の仏像があまりに大きいため、広いはずの堂内がいかにも窮屈そうに見えた。
金堂を拝観した後、唐招提寺の境内を散策した。所々に紅葉した落葉樹が静かな境内に彩りを添えている。1200年の歴史を感じさせる境内は、他の寺とは違った独特の雰囲気を醸し出している。昨日吹き荒れた北風も本日はぴたりと止んで、あちこちに暖かい日だまりを作っている。参拝者たちは、古刹の雰囲気を存分に味わうようにゆったりとした足取りで散策していた。以下は、唐招提寺境内の今の様子である。
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| ●美しい曲線を描く金堂の軒丸瓦 |
●澄み切った青空を背景に映える金堂の鴟尾 |
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| ●鑑真和上御廟を囲む土塀 |
●新宝蔵館に向かう坂道 |
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| ●校倉造りの経蔵 |
●宝蔵の裏にある池 |
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| ●紅葉した枝を垂れる境内の落葉樹 |
●同左 |
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