桜井茶臼山古墳の現地見学会始まる
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| 見学会に参集してきた人たち |
本日から、桜井市外山(とび)にある桜井茶臼山古墳の三日間にわたる現地見学会が始まった。現在、橿原考古学研究所(以下、橿考研)がこの古墳の竪穴式石室を再調査している。その橿考研は今月の22日、赤色顔料の「水銀朱」が石室の全面に塗られており、その使用量は国内の古墳で最大となる約200キロと推定される、とマスコミに発表した。
26日には、現地見学会の案内が橿考研から筆者宛にもEメールで届いた。筆者は現在埼玉の自宅に戻っており、事情があって見学会には参集できない。その悔しい思いを察してか、見学会に参加した友人が現場の様子をデジカメで撮影して送ってくれた。やはり持つべきは気心の知れた友である。
NHKの夕方のニュースでも、朝から大勢の考古学ファンが詰めかけ見学会初日の本日だけで2000人に達したと伝えていた。これだけ多くの考古学ファンを引きつけたのは、今回の「水銀朱」発見だけでなく、今年の6月に見つかった「丸太垣」の存在も大きく影響しているものと思われる。
【友人(T.Y氏)提供の見学写真】
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| ●現場を覗き込む見学者 |
●墓壙 |
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| ●石室の側壁 |
●取り外した天井石 |
実を言うと、桜井茶臼山古墳は1949年(昭和24年)から1950年(昭和25年)にかけて、すでに学術調査が行われている。そのとき、後円部上面から約0.8m下に埋め込まれた竪穴式石室が見つかった。石室の規模は南北6.75m、東西1.27m、高さ約1.71mと長大なものだった。この石室を構成しているのは、大型の石(最大1・5トン)を12枚を載せた天井と垂直な側壁、そして板石が敷き詰められた床面であり、床面には大きな木棺が納められていた。
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60年ぶりの調査で再び姿を現した石室の天井石 (6/12配信毎日新聞インターネット版より) |
残念なことに、すでに盗掘の被害を受けていたために、副葬品の多くは失われていた。それでも遺物として、鹿の角をかたどった玉杖、玉葉、銅鏃・鉄鏃・鉄剣・鉄刀の武器類、石製腕飾類、さらに内行花紋鏡・方格規矩鏡・三角縁神獣鏡・画紋帯神獣鏡・斜縁二神二獣鏡など約20面相当分の銅鏡の破片があった。これらの出土品は橿考研の研究所附属博物館で公開されている。
それから60年を経た今年になって、橿考研は竪穴式石室の構造の解明を目指して再び調査を実施することになった。まず1月から3月にかけて石室上部の周辺を掘り下げたところ、とんでもないものが出土した。後円部中央の、竪穴式石室を覆っていた方形壇(縦11.7m、横9.2m、高さ1m)のすその10カ所で、直径約30センチの丸太を約1.3メートル埋め込んだ痕跡が見つかったのである。その結果、現在は残っていないが高さ2.6mと推定される約150本の柱が、垣根のように方形壇を囲っていたと推定され、橿考研はこれを「丸太垣」と名付けた。
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| 茶臼山古墳の「丸太垣」のイメージ |
「丸太垣」の目的はなんだったのだろうか。「被葬者の魂を守る施設」、「たたりを恐れて権力者の霊を封じ込めた垣根」、あるいは「玉垣ではなく、建物跡」など様々な説が専門家から出されているが、まだ確定はしていない。
1949年の調査では、被葬者を埋葬した長さ5.2m、幅70cm分の木棺の底板も見つかっている。当時は「トガの巨木」と鑑定されたが、この鑑定結果を疑問視する説が多かった。巨大前方後円墳の埋葬設備としては、全国的にコウヤマキ製の木棺が多く出土していたためだ。しかし当時は調査終了後すぐに石室が埋め戻されたため、木棺を再鑑定することができなかった。今年の春、その木棺を再調査したところコウヤマキであることが判明した。
「丸太垣」の出土は、マスコミでも大きく取り上げられ話題を呼んだ。だが、発掘現場は8月以降に再調査を進めるため埋め戻され、説明会や見学会は行われなかった。
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| 水銀朱が塗られれている石室内部 |
8月から再開された調査で、竪穴式石室の壁面として積み上げられた石や天井石の全面に、「辰砂(しんしゃ)」と呼ばれる水銀朱が塗られ、一部残っていた木棺にも塗られていることが判明した。しかも、その使用量を推定すると約200キロになり、国内の古墳で使用された量としては最大であるという。赤色の原料とされる辰砂が、何故かくも大量に使用されたのだろうか。
国内の古墳で使われた水銀朱は、これまで奈良県天理市の大和天神山古墳で確認された42キロが最多とされてきた。それを大きく上回る量である。和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授によれば、中国で流行した神仙思想の解説書「抱朴子(ほうぼくし)」(317年成立)に「仙薬(仙人になるための薬)のうち、最上のものは丹砂(=水銀朱)、次は黄金」と書かれているという。また、抱朴子には「飲めば不老不死の仙人になれる」とも記されているという。そのため、森浩一・同志社大名誉教授は、「不老不死を強く願った被葬者の姿がうかがえる」としておられる。
では、不老不死の仙人の世界に生まれ変わることを強く願って、金よりも高価な水銀朱をふんだんに石室内に塗らせた被葬者は、いったい何者だったのだろうか?
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