2009/07/01

白山平泉寺の旧境内から出土した青白磁観音像

意外に贅沢だった僧侶の暮らしを想像させる白山平泉寺旧境内からの出土品

江戸東京博物館で開催中の「発掘された日本列島2009」展

高床式住居を模した江戸東京博物館
JR両国駅付近マップ
戸東京博物館(所在:東京都墨田区横網1-4-1)は、JR総武線「両国」駅西口から、徒歩3分の所にある。両国と言えば大相撲。駅の改札を出ると、駅前に現在の国技館が聳えている。旧両国貨物駅跡に昭和59年(1984)に完成した二代目の新国技館である。

の新国技館の背後に空中楼閣のように聳えているのが、高床式住居を模した江戸東京博物館。平成5年(1993)に江戸時代から現代の東京に続く歴史遺産を振り返る博物館として開館した。

相撲の殿堂・新国技館
相撲の殿堂・新国技館
江戸東京博物館
江戸東京博物館
戸東京博物館の企画展示室で、最新の考古学の成果を紹介する「発掘された日本列島2009」展が6月20日〜8月2日の会期で開催されている。この展示会は文化庁の主催で毎年行われ、今年は第15回目である。

月2日に江戸東京博物館での展示が終わった後、今年度中に場所を変えながら各地で巡回展示される。予定では、大阪府立近つ飛鳥博物館 → 高知県立歴史民俗資料館 → さくら市ミュージアム → 安城市歴史博物館の順になっているようだ。

国では、毎年9000件以上の埋蔵文化財の発掘調査が行われている。今回の展示では、最近発掘調査された列島各地の旧石器時代から近代までの遺跡から21カ所の遺跡を取り上げ、そこから出土した約600点を出品している。その中に、福井県の勝山市にある国史跡「白山平泉寺旧境内」からの出土品も含まれているという。さらに、遷都1300年を記念した平城宮大極殿の調査、復元の成果も披露しているとのことだ。

「発掘された日本列島2009」展のチラシ
「発掘された日本列島2009」展のチラシ
山平泉寺は、もともと奈良時代の初めの養老元年(717)に泰澄(たいちょう)大師が白山の神を奉斎するために創建した神社だった。当事は白山神社とよばれ、白山信仰の拠点として栄えた。平泉寺はその別当寺として建立された寺院だが、そのうち神仏習合によって白山平泉寺、あるいは単に平泉寺と呼ばれるようになり、中世には巨大な宗教勢力を誇った。

正2年(1574)、係争中の一向一揆のために放火され、全山が灰燼に帰してしまったが、その旧境内は現在、緑の絨毯を思わせるほど苔がはびこり、苔寺として観光名所になっている。一昨年の夏、里帰りした折りに立ち寄ってその美しさに感動したことはまだ記憶に新しい平成19年8月16日付け橿原日記参照)。

山市の教育委員会は、国史跡「白山平泉寺旧境内」の僧坊跡を史跡公園として整備するため、発掘調査を進めている。昨年の暮れには中国製の青白磁観音像が発見され、その他にも当事の僧侶たちの生活を示すさまざまな遺物が、これまでの発掘で見つかっている。これらの遺物75点が、今回の「発掘された日本列島2009」展に出品されていると知人から聞いた。どんなものが出品されているのか興味を抱きながら、梅雨空の合間をぬって見学に出かけた。

白山平泉寺の旧境内から出土した中国製の青白磁観音像

常設展示場へのエスカレータ
常設展示場へのエスカレータ
戸・東京博物館の常設展示室は、吹き抜けになった五階と六階の巨大な空間であり、そこに実物大に復元した大型の模型などが展示され、また実際に当事の人々が使っていた実物資料なども豊富に集められている。「発掘された日本列島2009」展は五階の一画を占める企画展示室で開催されている。しかし、常設展示室の入口は六階に設けられているため、エスカレータかエレベータでそこまで上がらなければならない。

設展示室の入口を入ると、吹き抜けの空間に日本橋を模した巨大な橋が架けられている。橋を渡ると江戸城や江戸市内の区割りなどの模型が置かれている。すでに何回か訪れているため、今回はすぐに五階に降りて、「発掘された日本列島2009」展が開かれている第二企画展示室に向かった。階段を下りたところに、第二企画展示室の標識があり、迷うことなく会場に着くことができた。

「発掘された日本列島2009」展への標識 第二企画展示室の展示風景
「発掘された日本列島2009」展への標識 第二企画展示室の展示風景

平城宮大極殿のシビの模型
平城宮大極殿のシビの模型
回の展示では、中核展として旧石器時代から近代までの21の遺跡からの出土品を展示し(「発掘された日本列島2009展」 展示品一覧参照)、さらに地域展として、葛西城・八王子城など都内の戦国時代城館跡から発掘調査によって出土した高級品や現代生活と繋がる室内飾りを展示している。その他にも、来年の平城遷都1300年を記念して現在復元作業中の第一大極殿の調査、復元の成果も披露されている。それを象徴するかのように、展示室の入口には、大極殿の屋根を飾ったシビの模型た置かれていた。

示室にはいって最初に迎えてくれたのは、和歌山県の岩橋(いわせ)千塚古墳群の中にある大日山35号墳から出土した可愛い人形埴輪や鳥、馬などの形象埴輪たちだ。その中に、両面に人物の顔を持つ珍しい埴輪があった。古代人の遊び心が感じられて興味深かった。翼を広げて空を飛ぶ鳥の姿の埴輪は全国で初めて出土したものだ。

大日山35号墳出土の両面人物頭部 大日山35号墳出土の空を飛ぶ鳥の埴輪
大日山35号墳出土の両面人物頭部 大日山35号墳出土の空を飛ぶ鳥の埴輪

出土した青白磁観音像
出土した青白磁観音像
れぞれの遺跡からの出土品を丹念に見てまわれば、それなりに楽しいが、本日のお目当ては白山平泉寺の旧境内からの出土品である。平泉寺からは、これまでに発掘された青白磁観音像などの中国製陶磁器、越前焼の甕(かめ)など国産陶器、箸や硯(すずり)、包丁などの日用品、銅銭など計75点が出品されているというので、まずその展示場所を目指した。出土品は中世のコーナーに展示されていた。

に関心があったのは、昨年の12月、戦国期(15世紀頃)の僧坊跡の石垣の調査中に出土した青白磁観音像である。白山平泉寺旧境内には、南側に広がる「南谷」、北側の「北谷」に僧侶の住居である僧坊が約6千あったとされている。青白磁観音像はその僧坊跡から出土した。欠損がみられるものの頭部、胴部、台座がそろい全体像が推測できる。計測の結果、残存の高さが約13cm、幅約10cm、重さ132gだった。復元すると20cmほどの像高になるという。

青白磁観音像 青白磁観音像の復元イメージ
出土した青白磁観音像 青白磁観音像の復元イメージ

の観音像は、14世紀前半に、中国最大の陶磁器生産地として知られる江西省の景徳鎮(けいとくちん)で作られたとみられている。中国元の時代に作られた白磁観音像は、中国や欧米の博物館が所蔵している高さ50p程の大型品が有名だが、国内ではほとんど例がない。わずかに福岡市博多遺跡群で、観音像の瓔珞(ようらく)や首の一部が出土しているにすぎず、今回の出土品のように全体の様子が分かるものは他に確認されていないとのことだ。

山平泉寺の僧侶がこのように非常に貴重なものを持っていたことは、当事の平泉寺が豊かな財力を背景に収集していた考えられる。さらに、中国との貿易や国内の流通網に深く関係していたとも考えられている。中世の最盛期には、白山平泉寺は、一乗谷の朝倉氏とともに越前の一大勢力にのし上がり、社領9万石、48社・36堂・6千坊とまで言われた。出土品の中には鎧(よろい)の断片もあった。当然のことながら大勢の僧兵も抱えていた。

平泉寺の旧境内から出土した観音像以外の展示品

記の観音像の他にも、茶碗、包丁、まな板、硯、銅銭、箸など、当事の僧坊の暮らしぶりが鮮明に分かるような出土品が70点以上も陳列されている。それらを見ると、意外にぜいたくだった僧侶の暮らしが垣間見られるようだ。

瀬戸美濃茶入 青磁椀、青磁稜花皿 青花皿、白磁杯 石製風炉

茶臼 石製水盤 華南山菜筆架、硯 瀬戸美濃 卸皿、灰釉皿

石製行火、青磁皿.etc 箸置き、土師皿 まな板、包丁 鎧片、銅銭

越前小壺 越前擂り鉢 青磁人物像燭台

越前の一向一揆に巻き込まれて衰退した白山平泉寺

記のように、白山平泉寺の創建は白山を開いた泰澄(たいちょう)大師にかかわるという。大師は白山登拝の途中、現在の境内にある御手洗池を発見した。そのとき、白山の神の託宣でその場所が神明遊止の聖地であることを知り、白山の神を奉斎する社を建てた。それが、養老元年(717)創建と伝えられる白山神社である。

平泉寺上空から見た白山
平泉寺上空から見た白山
泉寺は白山神社の別当寺として建立されたが、神仏習合によって、白山平泉寺とも平泉寺白山神社とも呼ばれるようになった。鎌倉時代の初め、兄頼朝に追われた源義経が奥州平泉に落ち延びる途中で、この神社に詣でている。鎌倉時代末の後醍醐天皇による鎌倉幕府打倒に呼応して、この社の僧兵が大野郡牛ヶ原に居た地頭を攻め滅ぼしている。

世以降は比叡山の勢力下に入り、最盛期には社領9万石、48社・36堂・6千坊、僧兵8千人を擁する巨大な宗教都市を築き上げ、その勢力は越前一乗谷の朝倉氏と肩を並べるほどだった。しかし、天正2年(1574)に勃発した越前の一向一揆によって、全山が消滅することになる。すなわち、その年の1月、本願寺顕如の命令を受けた越前の一向衆が蜂起し、3万以上の兵力で一乗谷城を攻めた。4月に入ると、土橋信鏡(朝倉景鏡)は平泉寺と共同して一向衆に決戦を挑んだ。しかし、一向衆と内通した一部の兵士によって平泉寺を放火され、全山が灰燼に帰してしまった。

の後、豊臣秀吉や越前藩松平家から崇敬を受けて再興されたが、往年の姿を取り戻すことはできなかった。明治維新を向かえると、神仏分離令で平林寺は廃絶され、本来の白山神社に復して今日に至っている。現在、白山神社の境内は巨大な杉が立ち並び、その根本一面に苔が生えて幽玄な雰囲気を漂わせている、その苔の美しさは京都の西芳寺と並んで有名で、国の名勝に指定されている。

白山神社の境内一面に生えた苔
白山神社の境内一面に生えた苔



2009/07/02作成 by pancho_de_ohsei
目次に戻る