橿原日記 平成21年6月28日

可憐な古えの花を咲かせる行田市の「古代蓮の里」

開花の時期を迎えた「古代蓮の里」の行田蓮
開花の時期を迎えた「古代蓮の里」の行田蓮(ぎょうだはす)(2009/06/28 撮影)

今から2500〜3000年前、付近一帯に咲いていた古代蓮

行田市の「古代蓮の里」のチラシ
行田市の「古代蓮の里」のチラシ
玉県の行田(ぎょうだ)市には、市街地の中心から東南方向約2kmの地点に、9基の大型古墳群で構成される「さきたま古墳公園」がある。その中の稲荷山古墳は、辛亥年で始まる115文字が彫られた金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)を1968年(昭和43年)に出土した前方後円墳として、考古学ファンの間ではつとに有名だ。鉄剣は1983年(昭和58年)に国宝に指定され、現在は古墳公園の中の「県立さきたま史跡の博物館」で、窒素ガスを封入したケースに保管・展示されている。

の「さきたま古墳公園」から見て北東方向におよそ2kmの地点に、もう一つ古代に関わる施設がある。「古代蓮の里」という(所在地:埼玉県行田市小針2375番地)。行田市では、ゴミ焼却所が老朽化したため1971年(昭和46年)に新しい施設を建設すべく、近くの水田を買収して造成工事をおこなった。そのとき泥土から約30点ほどの縄文土器が出土し、土器には蓮の実が付いていたがその時は気付かなかった。

973年(昭和48年)になって、掘削によって できた池の水面に多くの丸い葉が浮いており、蓮の葉であることが分かった。地中深く眠っていた蓮の実が掘り起こされ、自然発芽して池の水面にたくさんの浮葉(うきは)や立葉(たちば)を茂らせたのである。葉の数は200枚もあったという。

江森貫一・元埼玉大学教授
江森貫一・元埼玉大学教授
の教育委員会は、考古学者の江森貫一氏(1896 - 1992)に土器に付着していた蓮の実の年代調査を依頼したところ、江森氏は21年前に見つかった大賀蓮(おおがはす)と似た特徴を持つことを指摘され、土器の年代から2500〜3000年前の古代蓮であると推定された。

古代蓮の里」一帯は、現在でも広大な水田地帯である。今から2500〜3000年前も、たくさんの水生植物が繁茂する湿地地帯だったのだろう。そこでは、季節が巡り来るたびに、蓮がやや濃いピンク色の花を咲かせていた。地中でこぼれた蓮の実は長い眠りについていたが、掘削工事で再び暖かい日差しを浴びれるようになり、自然発芽して開花したのであろう。1973年7月に最初の花が咲き、その年は合計52本の花が確認できたという。

田市では、花弁の数が13〜18枚と少ない一重咲きの原始的な形態をしたこの古代蓮を「行田蓮」と命名して市の天然記念物に指定するとともに、その保護のため自生地から移植して、現在「古代蓮の里」で育てている。行田の古代蓮は例年6月中旬からやや濃いピンク色の花が咲き始め、6月下旬頃から見頃となり、7月上旬から中旬にかけて最盛期を迎えるという。

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「古代蓮の里」のイラストマップ
古代蓮の里」は14万平米の広大な公園に、行田蓮の他に世界の花蓮も40種類集められており、全体で10万株の蓮を楽しむことができる。久しぶりに自宅に戻って何か家庭サービスでもしなければ悪いかなと思っていたら、家内と娘が行田の古代蓮を見に行きたいという。

は夜明けから咲き始め、6〜7時頃には開く。ピークは8〜9時頃で、10〜13時にかけて閉じていく。出かけるなら朝早いほうが良い。幸いマイカーで東北自動車道を走れば、加須ICまで自宅から30分、そこから国道を行けばさらに30分で「古代蓮の里」に到着できる。そんなわけで、朝の6時に自宅を出発することにした。



平和の象徴として各地に根分けされた古代の大賀蓮と行田蓮

大賀一郎氏の胸像
大賀一郎博士の胸像
は植物の中でも最も古いものの一つだそうだ。およそ1億5000万年前に、すでに地球上に存在していたとされている。花の中心部にできる果托(かたく)は特徴的で、その形状は蜂の巣に似ている。ハスの語源は蜂巣(はちす)が訛ったとする説があるくらいだ。現在、日本では350種以上の蓮を見ることができるという。

代蓮としては、1951年(昭和26年)に千葉県検見川の泥炭層から発見された3粒の蓮の実を、植物学者の大賀一郎博士(1863 - 1965)が発芽・開花させた大賀蓮が有名だ。1947年(昭和22年)当事、東京都は東京大学の検見川厚生農場の一部を借り受けて草炭の採掘を行っていたが、その採掘現場から1隻の丸木船と6本の櫂が見つかった。その後の調査でも2隻の丸木舟と蓮の果托などが発掘され、落合遺跡と名付けられた。

物学者でハスの権威者でもある大賀博士は、発掘品の中に蓮の果托があることを知り、1951年(昭和26年)3月から地元の小・中学生や一般市民などのボランティアの協力を得てこの遺跡の発掘調査を行い、地下約6mの泥炭層から3粒の蓮の実を採取することができた。

大賀蓮
大賀蓮
賀博士は、その年の5月から3粒の蓮の実の発芽育成を試みた。2粒については失敗したが、残りの1粒は育成に成功して、翌1952年(昭和27年)7月にピンク色の大輪を咲かせた。このことは、国の内外に報道され、米国のLife誌にも「世界最古の花・生命の復活」として掲載され、博士の姓を採って「大賀ハス」と命名された。

賀博士は、年代を明確にするため、ハスの実の上方層で発掘された丸木舟の破片をシカゴ大学原子核研究所へ送り年代測定を依頼した。放射性炭素年代測定が行われ、蓮の実は今から2000年前の弥生時代以前のものであることが判明した。そのため、大賀蓮は2000年蓮とも呼ばれ、日本各地はもちろん世界各国に平和のシンボルとして根分けされている。

田蓮は大賀蓮に遅れること21年目で発見されたが、地中深く眠っていた多くの蓮の実が出土して、自然発芽し一斉に開花した事は極めて珍しいこととされている。現在、「古代蓮の里」では4カ所の池で行田蓮を育てている。開花時期になると、その可憐ないにしえの花を見ようと、早朝から大勢の人々がカメラを片手に集まってくる。

早朝から蓮の花を愛でにやってきた人たち 早朝から蓮の花を愛でにやってきた人たち
早朝から蓮の花を愛でにやってきた人たち@ 早朝から蓮の花を愛でにやってきた人たちA

早朝から蓮の花を愛でにやってきた人たち 開き始めた蓮の花
早朝から蓮の花を愛でにやってきた人たちB 開き始めた蓮の花

花びらの散った後に残る果托



あわてて仕入れた蓮の花雑学

古代蓮会館の展望台
古代蓮会館の展望台
前6時30分、加須ICで東北自動車道を降り、一般国道125号線に出た。加須市内を抜ける125号線のバイパスとして建設された道路は、田園地帯を抜けていく。日曜日の早朝とあって、行き交う車の数も少ない。目的地の目印は「古代蓮の里」の中にある地上50mの展望台である。

年前の平成13年に「古代蓮の里」に古代蓮会館が完成し、そのとき付属施設として展望台も作られた。地上50mから大自然のパノラマが360度展望できるというキャッチコピーがついた展望台だが、「古代蓮の里」が近くなれば、逆にどこからでもこの展望台を遠望することができる。

の原産地はインドとその周辺のようだ。インドやスリランカでは蓮を国花としている。蓮は地中の地下茎から茎(くき)を伸ばして水面に葉を出す。根の部分の地下茎は蓮根(れんこん)として食用になる。茎の長さはおよそ1mで、その中心には通気のための穴が通っている。葉は円形をしていて、葉柄が中央についている。葉の表面は撥水性があり朝露などの水玉ができる。これをロータス効果という。ちなみにロータス(lotus)は英語で蓮を意味する。

代インドでは、蓮は紀元前から各地で豊饒なイメージで捉えられ、生命を生み出す根本と考えられていたようだ。ペシャワルから出土したインダス文明期の女神(母神)像(ボストン美術館蔵)は頭に蓮の飾りをつけているという。また、ヒンドゥー教の神話やヴェーダやプラーナ聖典などでも、蓮は特徴的なシンボルとして繰り返し用いられているとのことだ。

ンドで仏教が誕生すると、蓮は極楽浄土を象徴する神聖な花として扱われるようになった。そのため、釈尊が蓮の花すなわち蓮華の上で瞑想する絵が描かれたり、蓮華をかたどった台座に仏像を乗せたり、あるいは、厨子の扉の内側に蓮華の彫刻を施したりしている。また、主に寺院で仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれている。

代エジプトでも、蓮は神聖な花としてツタンカーメン王などの墓の出土品には、装飾モチーフに用いられている。エジプトの王オシリスに捧げられた花も蓮である。オシリスは良くしゃべる雄弁な王だったので、蓮に「雄弁」という花言葉がつけられたようだ。「雄弁」の他に、「休養」「沈着」「神聖」「清らかな心」「離れゆく愛」なども、蓮の花言葉とされている。

蓮の花は、夜明け頃ポンと音を立てて開花するようよ」
「あら、そうなの? どんな音なのか聞けたらいいね」
後部座席で、家内と娘が蓮についていろいろ話しあっている。古くから和歌や俳句の世界で蓮の 音が詠まれているようだが、どうも俗説のようだ。ハス博士と呼ばれた大賀一郎博士の調査研究でも、「残念ながら音は聞こえなかった」と報告されている。早朝の池で、フナやコイが虫などの餌を獲るときの音が蓮の花の開く音と勘違いされたようだ。それを言うと、
「また貴方は夢のないことを・・・」
と家内にたしなめられた。

中で一度道を間違えたが、何とか7時前に「古代蓮の里」の北駐車場に車を入れることができた。すでに駐車場の半分はマイカーで埋まっていた。ずいぶん早くからの来訪者が多いようだ。後で巨大な望遠レンズを向けてファインダを覗き込んでいるアマチュアカメラマンに聞いてみると、午前4時ごろから来ているとのことだ。蓮が開く決定的な瞬間をカメラにおさめたかったようだ。

代蓮の池には木道が設置されていて、見学者は池の中をめぐりながら、近く遠くに花開く蓮を撮影している。そんな人々に混じって、小生のデジカメで撮影したのが上に掲げたスナップである。

追記

素弁十葉蓮華紋軒丸瓦(花組)
素弁十葉蓮華紋軒丸瓦(花組)
素弁十一葉蓮華紋軒丸瓦(星組)
素弁十一葉蓮華紋軒丸瓦(星組)
が国で最初に建立された仏教寺院は蘇我氏の氏寺「飛鳥寺」だったことは良く知られている。その屋根に使用されていた軒丸瓦の瓦頭は蓮弁の形をイメージしたもので、素弁十葉蓮華紋軒丸瓦とか素弁十一葉蓮華紋軒丸瓦と呼ばれている。

回、開花した古代蓮を真上から見下ろしてみて、蓮華紋軒丸瓦の瓦頭が蓮の花をイメージしたものであることがよく分かった。実際の行田蓮は、花弁の数が瓦より多く13〜18枚で。その中央に位置する果托に配される実の数も瓦のそれより遙かに多い。だが、完全に開ききった蓮の花を真上から見たイメージを簡略化すれば、古代の軒丸瓦のデザインになる。

ンターネットには樹葉ももさんの「ひとしひとひら」というホームページが公開されていて、そこに古代瓦に関する分かりやすい解説が記されている。それによれば、飛鳥寺創建時に焼かれた軒丸瓦は2種類あり、蓮弁の形から大まかに「星組」と「花組」に区別されているそうだ。

塚歌劇団の組の名前のような分類は、もちろん便宜的な区分なのだろうが、蓮弁の形が綺麗に花びらのようになっているものが「花組」、蓮弁の先端に珠点のあるものを「星組」だそうだ。「花組」と「星組」は、この他にも製作技術に多少の違いが認められるため、造瓦に関わるこの二組の集団があったと想定されている。

飛鳥寺の復元イメージ
飛鳥寺の復元イメージ
日本書紀』によれば、西暦588年、馬子の要請に応えて百済の威徳王は寺院建立のための技術団を派遣してきた。その中に、瓦博士として、麻奈文奴(まなもんぬ)、陽貴文(ようくいもん)、凌貴文(りょうくいもん)、昔麻帯彌(しゃくまたいふ)らの名がある。彼らの指導で、幾つかのグループに組織された我が国の工人たちが瓦作りに従事したのであろう。

葉ももさんの解説によれば、制作技術の多少の違いから、「花組」の瓦は少し赤っぽく、「星組」の瓦は灰色をしているという。 飛鳥寺の南東に、「飛鳥寺瓦窯跡」と呼ばれる窯跡がある。「花組」の瓦はここで造られたようだ。「星組」の瓦は別の場所で焼かれたようだが、その窯跡は特定されていない。



世界各地から集められ世界の蓮園を彩る40種の蓮の花たち

の花の命は短い。早朝より咲き始め、昼頃には閉じてしまう。3日間開閉を繰り返し、4日目の午後にはすべての花弁が散ってしまう。したがって、古代蓮池では、開花を待つ蕾(つぼみ)の状態や、時間を追って開花していく花、花びらを散らして果托だけが残っているものなど、さまざまな形態が一度に見ることができる。

田蓮の幾分濃いめのピンク色の花びらが風にそよぐ姿は、いかにも典雅である。だが、蓮の花びらはすべてピンク系とは限らない。世界には白や黄色のものもある。また一重だけでなく、何重にも花弁を重ねるものもある。そうした世界の蓮が「古代蓮の里」に入口付近にある「世界の蓮園」で楽しむことができる。この蓮園には世界および国内各地から40種の蓮が集められている。その一部を以下で紹介しておこう。

アメリカ黄蓮 西湖蓮 中国古代蓮

インド蓮 明光蓮 舞妃蓮

王子蓮 天上蓮 即非蓮

姫蓮 真如蓮 西光寺白蓮




2009/06/29作成 by pancho_de_ohsei return