橿原日記 平成20年3月9日

真弓鑵子塚古墳(まゆみかんすづかこふん)
古代狂想曲を奏でた現地見学会から1ケ月後の現場


真弓鑵子塚古墳の発掘調査現場
真弓鑵子塚古墳の発掘調査現場 (2008/03/09 撮影)


■ ちょうど一ヶ月前の2月9日、明日香村の真弓(まゆみ)丘陵では、時ならぬ狂想曲が奏でられた。その日は、あいにくと寒波の襲来で、奈良県地方はこの冬一番の寒さに襲われ、午前中から本降りの雪になった。だが、丘陵の一画にある鑵子塚古墳(かんすづかこふん)の現地見学会が午前10時から予定されており、大勢の考古学ファンが押しかけてきた。降りしきる雪や足元からはい上がる冷気もなんのその、古墳に続く道は彼らの長蛇の列が連なっていた。

石室を見るために並んだ長蛇の列
石室を見るために並んだ見学者の長蛇の列
■ 原因は、2日前に明日香村教育委員会が行なった記者発表にあった。教育委員会は昨年7月から史跡指定を目指して発掘調査を行ってきたが、その成果をマスコミに公表した。マスコミはその発表を受けて、石舞台しのぐ国内最大級の石室が見つかったと大々的に報じた。実は、昭和37年(1962)に鑵子塚古墳の墳丘や石室の調査が実施され、石室の規模はすでに判明していた。だが、メディアはあたかも国最大級の石室が新たに発見されたような印象をあたえる報道の仕方をした。

■ そうした報道に接した考古学ファンは、”世紀の大発見”があったと勘違いしたのであろう。その結果が、長蛇の列を招いた。筆者も見学会に参加するため昼前に訪れた。しかし、列の最後尾に並んだとき、古墳にたどり着くまでに2時間から3時間かかると整備員に聞かされて、見学を諦めた。とてもではないが、雪の降りしきる中を寒さに震えながら2時間も待つ気力はなかった。見学の順番を待つ行列が、見ようによっては、被葬者の葬儀で焼香の順番を待つ弔問客のようにも思えた。その日の様子は、平成20年2月9日付け橿原日記にレポートしてある。

真弓鑵子塚古墳遠望 石室への上り階段
真弓鑵子塚古墳遠望 石室への上り階段

■ あの日とは対照的に、本日の明日香村は気温も摂氏15度を超す暖かい春の陽気に包まれた。一ヶ月前に見学を諦めた発掘現場の様子が気になったので、午後から散策を兼ねてブラリと真弓の丘を訪れた。日曜日とあって、本日は発掘調査が行われていない。人気のない古墳は、石室の入口がブルーシートで覆われ、元の静けさを取り戻していた。

調査中の現場 調査中の現場・拡大
調査中の現場 調査中の現場・拡大

■ この古墳の石室内部は、明日香観光の名所・石舞台古墳の石室を上回る。調査が終われば、国の特別史跡の指定を受けるかもしれない。その後、どうするのであろうか。現在は民有地だが、明日香村で買い上げて墳丘を元の形に復元し、また、周辺も整備して、石舞台古墳に次ぐ観光の目玉にするのだろうか。

■ 明日香村と橿原市、桜井市は、それぞれの地域に点在する文化遺産を『飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群』としてユネスコの世界文化遺産に登録すべく、共同提案してきた。平成19年1月30日には、世界遺産暫定一覧表に搭載されたという。暫定一覧表に搭載されただけでは、世界遺産に登録される保証はない。しかし、搭載を記念した講演会が今月23日、橿原市のかしはら万葉ホールで開かれる。その日、明日香村文化財課の相原嘉之氏は、明日香村の構成資産に関する基調報告をされるそうだ。はたして、真弓鑵子塚古墳は構成資産に含まれているだろうか。

 真弓牽牛子塚(まゆみけんごしづか)古墳:明日香村に存在する八角形墳

■ 飛鳥の遺跡巡りで真弓丘陵方面まで足をのばすハイカーは少ない。鑵子塚(かんすづか)古墳も今回マスメディアで大々的に報道されるまでは、どちらかと言えばマイナーな古墳で、いつ訪れてもひっそりと静まりかえった森の静けさの中で、訪問者を迎えてくれていた。そうした古墳が、鑵子塚古墳の近くにもう一つある。牽牛子塚(けんごしづか)古墳である。久しぶりに真弓丘陵を訪れたついでに立ち寄ってみることにした。

■ 鑵子塚古墳へ続く遊歩道が途中で二俣に別れる箇所がある。標識に従って右方向の道をしばらく進むと、途中にまた牽牛子塚古墳方面への標識が立っている。コンクリートの簡易舗装の道が枯れ葉の散乱する地道に変わり、丘陵の尾根を越(こし)の集落へ続いていく。牽牛子塚古墳は丘の集落を見下ろす丘陵の端に築かれている。

牽牛子塚古墳 牽牛子塚古墳の案内板
牽牛子塚古墳 牽牛子塚古墳の案内板

■ 古墳の傍に建てられた案内板によると、この古墳の墳丘は版築によって築成されていて、墳丘の北西部に花崗岩の切石3個が露出している。古墳の形状は、これらの切石を外護列石とする二段構成の八角形墳の可能性が強いとのことだ。墓室は巨大な凝灰岩をくり抜いた横口式石槨で、中央部に間仕切部を削り出す二室の複室構造をしており、当初から追葬を意識して石槨を制作したものと考えられている。それぞれの石室の床には、長さ1.9m、幅0.8m、高さ0.1mの低い棺台を削り出してある。

石室の入口 向かって右側の石槨の内部
石室の入口 向かって右側の石槨の内部の棺台

■ 石室の入口は、枯れ葉に埋もれるように鉄柵がはめ込まれていて、内部の様子は詳しく分からない。デジカメのフラッシュをたいて撮影した写真を見て、初めて上記の石槨の内部が理解できる。この石槨から夾紵棺(きょうちょかん)の破片や七宝金具などが出土し重要文化財に指定された。

■ 墳形が八角形墳であること、夾紵棺の破片や七宝金具が出土していることなどから、この古墳は高貴な身分を埋葬するため、7世紀後半に築かれた墓であったと推測されている。斉明天皇陵説があるが、にわかには信じがたい。



2008/03/10作成 by pancho_de_ohsei return