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2007/11/17
橿考研付属博物館の中庭で、古代のイヤリング造りを体験学習
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| 橿考研付属博物館前の色づいたケヤキ通り (2007/11/17 撮影) |
奈良県の斑鳩町にある藤ノ木古墳は、昭和60年(1985)から平成15年(2003)にかけて5次にわたって発掘調査が行われた。特に、昭和63年(1988)9月30日から年末にかけて実施された第3次調査では、未盗掘の家形石棺が開かれた。そして2体の人骨のほか、大刀・剣6振、金銅製冠など豪華な装身具、鏡類、玉類などの副葬品が発見されている。当時のマスコミは、高松塚古墳発見以来の考古学の成果であるとして、出土品を大々的に報道し、藤ノ木古墳は一躍世間の耳目を集めた。
 | | 秋期特別展のポスター |
それから20年近い歳月が流れた。多数の出土遺物は今日でも人々を惹きつけている。藤ノ木古墳の重要性は少しも色あせていない。そこで、発掘を担当した県立橿原考古学研究所(橿考研)は、当時の出土品を展示してその全容を公開するために、「金の輝き、ガラスの煌めき − 藤ノ木古墳の全貌」という秋期特別展を企画した。特別展は現在附属博物館で2007年10月6日〜11月25日の会期で催されている。
藤ノ木古墳の石棺と奥壁の間には、東アジアでも類を見ないほど豪華な馬具類が置かれていた。石棺内からは大刀や剣、金銅製冠など過剰なまでに金の輝きを強調した威信具が見つかった。さらに被葬者が身に付けていた装身具も10000点を超えるガラス玉と金属製品で構成されていた。当時の発掘者の言葉を借りれば、金の輝きとガラスの煌めきはまさしく藤ノ木古墳を象徴していたと言えよう。
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| 復元された髪飾り |
橿考研では、藤ノ木古墳の出土品のうち主な金銅製品の復元を試み、完成した複製品が博物館で常設展示されてきた。今回の特別展で特に人目を引いたのは、遺体を覆っていたと思われる布の復元品や、金やガラスの珠で作られた髪飾りの復元品である。特に従来は耳飾りと推定されていた豪華な垂れ飾りが、実は古代の男子の髪型である「鬟」(みずら)を飾っていたことが判明し、その複製品がマネキンに取り付けてあった。その豪華さと美しさが見学者の驚嘆を誘っていた。
藤ノ木古墳は、6世紀後半に造営された円墳で、その規模は直径約48m、高さ約9mと推定されていた。だが、古墳の石室保存事業のために実施された第5次発掘調査で、直径が50mを超える円墳であることが確認された。2体の被葬者の身元は、現在にいたるもまだ確定していない。法隆寺に残る記録から崇峻天皇陵だったとする説や、斑鳩地方に勢力を持ったと思われる物部氏、蘇我氏、平群氏などの諸説が提示されている。
一つの石棺に2体の被葬者が埋葬されていた点に着目すれば、西暦587年6月に炊屋姫(かしきやひめ、後の推古女帝)の命に奉じて、時の大臣(おおおみ)・蘇我馬子(そがのうまこ)が殺させた穴穂部(あなほべ)皇子と宅部(やかべ)皇子だった可能性が大である。その年の4月に用明天皇が崩御し、大連(おおむらじ)の物部守屋(もののべののりや)などに推された穴穂部皇子は、皇位継承候補の筆頭だった。宅部皇子は宣化天皇の皇子で、穴穂部皇子と親しかったとされている。
博物館の中庭で行われた体験学習に参加
橿考研は、この秋期特別展の期間中、さまざまな催しを計画してきた。すでに2回にわたる研究講座が行われ、明日の18日には「「輝きと煌めきの技術」と題するシンポジウムも予定されている。さらに、ガラス細工と金工品の体験学習を博物館の中庭で行なうことが企画され、勾玉などのガラス細工を作る体験はすでに先月行われた。
たまたま調べたいことがあって、博物館の情報コーナーに立ち寄ったら、本日が金工品の体験学習の日で、午前と午後の2回に分けて簡単なアクセサリを作ることになっているのを知った。面白そうなので、午後の部に参加を申し込んだ。
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| 博物館の中に置かれた体験学習の案内 |
博物館の中庭が体験学習の教室 |
準備された金工品の材料や工具の数量の関係から、参加募集の人数は30人に限定されていた。参加希望者は受付前に列を作っていた。たまたま博物館を訪れた時間が良かったのか、列の最後尾に並んだときまだ30人以内だった。午後2時からの学習開始前に中庭を見ると、L字形に組まれたテーブルがいくつも置かれ、それぞれに指導員が付くようになっていた。
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| 体験学習に先立って挨拶する博物館の卜部氏 |
「金工品」の見本 |
午後2時に参加者がテーブルに着くと、博物館の学芸員である卜部行弘氏が挨拶され、その後指導員が紹介され、体験学習で作るアクセサリーが銀製のネックレスかイヤリングか、それともストラップの3種類であることを説明した。ただし、実際に作るのは、ぶら下がる飾りとそれをつなぐ鎖の部分だけで、そのほかのパーツは時間がかかるので、あらかじめ作られているものが支給されている。なお、ネックレスは長い鎖の部分が必要だが、すでにできあがっている数が少ないので、10人に限定された。希望者が多いので、ジャンケンで決められた。
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| 体験学習に用意された材料と工具 |
つないで鎖にするパーツ |
テーブルの上には小さなビニール袋が置かれ、その中に小さなリングが10個、銀の板が1枚入っている。さらに、紙ヤスリが2枚各自に用意され、共同で使用するニッパーや金切りハサミ、火箸のような丸い鉄の棒も用意されていた。ビニール袋に入った10個の小さなリングは、飾りの鎖を作るためのものである。本来は一本の銀の糸を丸い棒に巻き付け、リング状に一つ一つ切り離して、溶接しなければならない。だが、その作業は時間がかかるので、すでに加工されたものが材料として支給された。
最初に行なった作業は、その溶接部分の色づけである。後工程でリングをニッパーなどで押さえつけて細長い輪にしなければならないが、その際溶接部分を押さえるとリングが割れてしまう。それを避けるための工夫である。ニッパーでリングをつぶして細長い輪にするのは、けっこう神経を使う工程だった。
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| 指導員の説明を受けて体験学習する参加者 |
悪戦苦闘する筆者 |
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| 出来上がったイヤリング |
次の作業は、鎖の先に付ける飾り作りである。あらかじめ用意された銀の板にマーカーでハートなどの形を描き、それを金切りハサミで切り抜く。その後、切断面にペーパーヤスリをかけて指などが怪我しないように丸みを持たせる。さらに、このように切り取った飾り板に、鎖を止める穴を開けなければならない。ドリルを使って開けるのだが、なかなかうまく行かない。結局、指導員の世話になった。
最後は鎖作りである。あらかじめ丸いリングを押しつぶして細長くしたものを、火箸のような丸い鉄の棒に押し当ててUの字の形にし、それを一つずつ連ねて鎖にする。これも結構神経を使う工程である。筆者はイヤリングに挑戦したが、出来上がったものを見るとなんとなくイビツで、お世辞にも良いできあがりとは言えない。娘への土産にしようかと思ったが、止めることにした。娘が使ってくれそうもない。
体験学習は2時間を要した。だが、この学習で貴重な体験をさせて貰ったと感謝している。一つの装飾品を完成させるのに、今まで想像もしなかったさまざまな工程を経なければならないことが分かった。それだけではない。古代、皇族や貴族あるいは豪族の首長を葬るのに死出の旅路の衣装に豪華な装飾品で飾った。生前であれば、なおさらのことであろう。したがって、大量の需要があったはずであり、それをまかなうキャパを有した工人集団が存在し、集団内では分業で作業していたものと思われる。
その一人一人は筆者など到底及びもつかないスキルを身につけた技術者だったであろう。悲しいことに、彼等は特定の階級に奉仕するためにだけ物作りを強要された。古墳から出土するこの種の装飾品には、当時の工人たちの悲しい生き様が影を落としている・・・。そう思うことで、これからは博物館に陳列された出土品の見方が変わってくるようだ。
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