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| 八角円堂で知られる夢殿 | 夢殿の本尊・救世観音 |
春と秋の2回、特別開扉される夢殿本尊
■橿原にアパートを借りるようになってからは、飛鳥川の堤防を自転車を駆って年に2〜3回は斑鳩まで出かけている。だから、法隆寺の著名な仏像彫刻はほとんどお目にかかっている。だが、何故か救世観音の名で知られる夢殿の観音菩薩立像は、今まで直に尊顔を拝したことがない。 ■この仏像は非公開とされ、秘仏として扉を閉じた厨子に納められている。礼拝のための仏像を秘仏とすることは、東アジアの仏教圏の中でも特に日本に顕著な現象であり、少なくとも奈良時代以前には特定の仏像が秘仏だったとする記録はないとされている。だが、各種史料によれば、平安時代後期の12世紀には救世観音像はすで秘仏として扱われていたようだ。 ■寺伝によれば、救世観音像は聖徳太子等身の像であり、長い白布で覆われて厨子の中に安置され、数百年間、誰もこの観音像を見た者がいなかったという。その観音像が数百年ぶりに姿を現したのは 明治17年(1884)8月のことである。そのときのエピソードは半ば伝説化して今に伝わっている。 ■法隆寺側の記録によれば、明治17年8月16日、東京大学教師の米国人アーネスト・フェノロサ(Ernest F. Fenollosa)が、弟子の岡倉覚三(後の天心)と共に古器物調査のため法隆寺を訪れた。 ■彼らの来山の最大の目的は、夢殿の厨子を開扉して、住職でさえ見ることができない内部の“絶対秘仏”を調査することにあった。法隆寺の僧侶たちは、「開扉すると地震が襲い、この世が滅ぶ」と開扉に抵抗したが、フェノロサは政府の許可証を掲げて「鍵を開けて下さい!」と迫ったという。押し問答を経てようやく夢殿に入ると、僧侶達は恐怖のあまり皆逃げてしまった。「長年使用されなかった厨子の鍵が、錠前の中でカチンと音を立てた時の感激は、何時までも忘れることが出来ない」とフェノロサは語っている。 ■厨子の扉を開くと、木綿の布を包帯のように幾重にもキッチリと巻きつけた背丈の高い仏像が現れた。布の長さは450mもあり、これを解きほぐすのに大変だったという。何百年もの間に布にたまった厚いほこりが立ち上り、咄嗟の出来事で中に入っていたネズミやヘビがあわてて飛び出した。 巻き付けてある最後の覆いがハラリと落ちると、穏やかに微笑んだ救世観音の比類のない彫像が眼前に姿を現した。その美しさに、立ち会ったものは驚嘆し声を失ったという。 ■救世観音は、謎多き仏像である。法隆寺の東院伽藍の本尊として1千年以上にわたって祀られてきたにも関わらず、古記には、この仏像が、いつ、誰によって造仏されたのかいっさい記述していない。ようやく天平宝字5年(761)になって法隆寺の史料に「上宮王(聖徳太子)等身観世音菩薩像」とあり、聖徳太子の等身像があることが明らかになった。だが、なぜ秘仏化されたのか、その経緯を示すものも残されていない。 ■現在は、秘仏・救世観音像の厨子が春と秋の2回開扉されている。春は4月11日〜5月18日、秋は10月22日〜11月22日である。したがってこの時期に法隆寺を訪れれば、誰でも厨子の中に安置された救世観音像を拝観することができる。だが、妙な巡り合わせで、筆者はこの時期に法隆寺を訪れたことがなく、したがって己の目で尊像を拝観したことがない。 ■今朝、たまたま別件で法隆寺のHPにアクセスしたら、秘仏の国宝救世観音像が特別開扉中であることを知った。窓越しに空を見ると、今日も天気がよい。昨日は奈良の興福寺で秘仏を拝観したが、事のついでである。本日は午後から法隆寺に出向いて、長年の夢である救世観音像を拝観することにした。 |