2007/11/04
パンスタードリーム(PanStar Dream)号で行く体験クルーズ3日間


 体験クルーズの情報をゲット!!

 事の発端は、知人の塩川女史から届いた次のメールだった。
「今朝、”旅の楽しさを満喫しました”というレポートが、オーマイニュース(OhmyNews)に載りました」
彼女は「渡来人の足跡をたずねて」という連載を、もう10年以上も韓国系の雑誌で執筆し続けている古代史通だ。扱う記事の関係上、ほとんど毎月のように史跡探訪のため韓国を訪れておられる。最近は、オーマイニュースの市民記者として、レポート形式の随想を時折投稿しておられる。

パンスタードリーム号
パンスタードリーム(PanStar Dream)号(*)
 オーマイニュースのページにアクセスすると、塩川女史が最近韓国から帰国する際、釜山からフェリーに乗り、船旅の楽しさを満喫しながら大阪の南港に戻ってきた様子が綴られている。大阪と釜山を結ぶ定期航路があるなんて、彼女のレポートを読むまで知らなかった。そこで、さっそく彼女にメールして、その船会社を聞き出すことにした。

 彼女からの即レスで、韓国の船会社PanStar Cruise Ferryが、釜山−大阪間を結ぶフェリー「パンスタードリーム(PanStar Stream)」号を毎日運行していること、PanStar Cruise Ferry社の日本法人サンスターラインが、このフェリーを利用したさまざまな企画を用意していることなどを教えてもらった。PanStar Cruise Ferryの釜山−大阪間国際航路は、平成14年4月に操業を開始したが、我が国ではあまり知られていない。

 さっそくサンスターラインのホームページ(http://4travel.jp/shop/sanstar/)にアクセスすると、面白い企画が目にとまった。パンスタークルーズフェリーでは11月、12月、1月の三連休を利用して、次のような「韓国クルーズ3日間」という体験クルーズを募集している。

PanStar運航図
PanStar運航図(*)
●1日目は大阪港を午後4時に出航して、船中泊。
●2日目は、午前10時に釜山に到着した後、日本語を話すガイドの案内で、龍頭山公園、免税店を周り、名物プルコギで昼食。その後、再びフェリーに乗船し、午後4時に釜山港を出港。この日も船中泊。
●3日目の朝10時に大阪港に戻ってくる。

 ツアー参加代金は、なんと19,800円。もっとも、この料金に含まれる食事は2日めの昼食だけで、あとはすべて自前となっている。就寝用の船室は往復ともスタンダードクラス、通称SRと呼ばれている船室で、左右に2段ベットがある4人部屋だそうだ。

 実現してみたい小さな夢が、かねてから筆者の胸の奥にくすぶっていた。大阪から瀬戸内海を経由して韓国まで、のんびり船旅をしてみたい。特に、青空の下に広がる海原に次々に現れては遠ざかる瀬戸内海の島影を、甲板から心ゆくまで眺めて楽しめる旅がしてみたい、というものだ。

遣隋使の帰国に同行してきた隋の使節団
遣隋使の帰国に同行してきた隋の
使節団一行を迎える聖徳太子のイメージ
 筆者の脳裏には、西暦607年の旧暦7月の初め、難波の港を船出していった一隻の外洋船のイメージがあった。船に乗り込んだのは小野妹子を大使とする遣隋使節たち、向かった先は中国の大陸に出現した超大国・隋(ずい)。やがて東アジアに吹き荒れると予想される嵐をなんとか回避しようと、国運を背負って超大国に赴く一行だった。

 その時の使節たちが目にしたはずの瀬戸内の風景や玄界灘の様子を追体験してみたい。そのために、平成13年の春、博多から壱岐と対馬をフェリーで訪れたことがある。だが、瀬戸内の海を縦断したことはない。以前に四国の松山から対岸の広島までフェリーで渡った程度だ。現在、大阪港と九州を行き来するフェリーの航路はいくつかある。だが、いずれも夜間航路である。夜の海を眺めても仕方がない。

 夢の実現を半ば諦めていたところ、上記の体験ツアーの募集広告が目に入った。11月の最初の体験クルーズは11月2日に出発するという。問い合わせた日が、ちょうど1週間前の申し込み締め切り日だった。あわてて電話で参加の仮予約を行い、最寄りの銀行でツアー参加代金を振り込んだ。

 大阪港・国際フェリーターミナルはまるで韓国の港湾設備

●11月2日、出発
 集合場所は大阪港の国際フェリーターミナル、受付は13:00から14:30まで、と指定されていた。最寄りの地下鉄「コスモスクエア駅」2番ホームから、パンスターフェリー専用の無料シャトルバスを13:00から14:00まで10分間隔で運行するという。「コスモスクエア駅」などついぞ訪れたことがない。地図で調べると地下鉄中央線の終着駅だ。その先は南港ポートタウン線が繋がっている。大阪環状線で「森ノ宮」駅に出れば、あとは乗り換えしなしに行くことができる。

コスモスクエア駅構内の略図 コスモスクエア駅周辺
コスモスクエア駅構内の略図(**) コスモスクエア駅周辺(**)

●12時30分、「コスモスクエア駅」へ
 コスモスクエア駅からの無料シャトルバスの運航は、午後1時からだが、少し余裕をみて早めにコスモスクエア駅に降り立った。地下鉄中央線のホームは地下3階にある。そこから改札ホームまでエスカレータを乗り継いで上がった。バス乗り場はさらに上の階にある。エスカレータでバス乗り場がある駅の2階まで上がると、駅とは思えない景色が目の前に広がる。大阪港を一望でき、実に眺望がよい。

 だが、全てが人工的な港湾設備で、周囲は未来都市のような、まったく機械的な空間である。バス乗り場から波打ち際に下りることができるが、砂浜はない。視線を南西に転じると、丸いゴルフボールのような建物が目に入った。「なにわの海の時空館」だそうだ。その向こうに野鳥園があるようだが、そこまで見学に出かける時間はない。

 バス乗り場の端に立って、港の景色をデジカメに収めようとシャッターを押した。ところが、どうしたわけかシャッターが動かない。不思議に思ってあちこち調べて見ると、肝心のバッテリーが装填されていなかった。昨晩バッテリーを充電器にセットしてコンセントに差し込んだまでは記憶しているが、それをカメラに装填するのをすっかり忘れてしまった。旅行に出かけるのに、行く先々の景観を撮影できないなんて、思いもよらないハプニングだった。

●13時03分、シャトルバスに乗る
無料シャトルバス
無料シャトルバス(**)
 大阪港国際フェリーターミナルは、コスモスクエア駅から900m、徒歩約15分のところである。無料シャトルバスなら5分もかからない。13時3分発のバスに乗ろうと停留所に並んだ。しかし、乗客は大きな荷物を持った韓国の老人と筆者の二人だけだった。

 バスの行く手前方に、奇妙な形をした黒い建物が見える。安藤忠雄建築研究所が設計した大阪港国際フェリーターミナルである。バスはその建物の玄関に着くものと思っていたら、そこを通り越してその先にある倉庫のような別の建物の前で停車した。そこがどうやら国際航路「パンスターライン」専用のターミナルビルのようだ。

●13時08分、国際フェリーターミナル到着
 
大阪港国際フェリーターミナル
大阪港国際フェリーターミナル(**)
 シャトルバスを下りて驚いた。建物入り口に続く通路に多くの段ボールの箱が置かれ、韓国人の老婦人たちが座り込んで甲高い声で話あっている。耳慣れない者にとっては、まるで喧嘩をしているような激しい口調だ。通路だけではない、待合室の中も同じような状況だった。手荷物を称する段ボールの山があちこちに積まれ、荷物の周りで韓国人が声高に話あっている。どうやら担ぎ屋のおばちゃんたちのようだ。日本人の姿などほとんど見あたらない。

 待合室の表示もほとんどがハングルで書かれており、このターミナルの中にいると、周囲のちゃがちゃした雰囲気が、韓国の市場の雰囲気に似ている。韓国に行く前なのに、早くも韓国を体験できてしまう不思議な場所である。

●13時30分、乗船券を受けとる
   通常の海外ツアーならば、旅行会社の社員か添乗員が出発ロビーで参加者を待ち受け、本人確認と出国手続きの説明をしてくれる。だが、待合室の中を何度見回しても、そのような人影は見あたらない。格安パックツアーではそのような一般常識など当てはまらないようだ。

 郵送されてきた案内状「日本出国から帰国までの流れ」を見ると、乗船開始時間までに「乗船券引き替え証」とパスポートを「パンスターフェリー」受付窓口に提示して、乗船券を受けとるように指示されている。受付窓口では、港湾施設利用税として600円を払わされた。

 乗船手続きは午後2時30分からである。乗船券を受けとって待合室の隅で時間待ちしていると、やがて韓国人の観光ツアーの団体や韓国高校の修学旅行の団体などが次々に到着して、待合い室には入りきらないほど乗船客であふれた。

●14時30分、出国手続きの開始
   出国手続きの開始され、人の波がようやく動き始めた。だが、手荷物検査などはほとんど形だけのようだ。以前飛行機で韓国を旅行したとき、ペットボトルなどの液体が持ち込み禁止だった。カメラなどのバッテリなども機内持ち込み禁止だった。だが、今回はまるでフリーパスのような状態で出国手続きは完了し、ターミナルからパンスタードリーム号まで乗客を運ぶバスに乗せられた。ほとんど100mほどの距離である。あっという間に、繋留されている巨大なフェリーのタラップに着いた。

パンスタードリーム号
パンスタードリーム(PanStar Dream)号(***)

 操舵室に特別招待され、明石海峡大橋と瀬戸内海に沈む夕日を眺める

 パンスタードリーム号の前身は、1997年に三菱重工の下関造船所で建造されたブルーハイウェイラインのフェリー「さんふらわあ くろしお」号である。2001年10月に引退したが、2002年に日韓共同開催されたサッカーワールドカップを機に大阪−釜山間を18時間で結ぶ国際定期フェリーとして再出発した。全長160m、幅25m。積載量は8トン型トラック150台、乗用車70台、コンテナ積み個数220TEU,乗客定員682。最高速度25.16ノット(=時速46.5km、参考1ノット=0.514m/秒)で運航することができる。

Bデッキのインフォーメーションデスク エントランス・ホール横のコンビニ
Bデッキの案内デスク(*) エントランス・ホール横のコンビニ(*)

●15時00分、パンスタードリーム号に乗船
   乗船券に記された船室はSR501C、つまりスタンダードクラス501室の4番ベッドである。SR501は1階(Bデッキ)の奥にある。パンスタードリーム号の船内に入り、長いエスカレータを乗り継いで1階に到着すると、意外と広いエントランス・ホールがあった。

 ホールの正面にホテルのインフォーメーションのような案内デスクがある。そこで船室のキーを受けとり、ついでに今回のパックツアーの参加者について聞いた。参加者は筆者の他に、娘連れの夫婦が一組と中年女性一人のたった5名だそうだ。名前などは教えて貰えなかった。このレポートでは、仮に娘連れの夫婦をAさん夫婦、一人参加の中年女性をBさんと呼ぶことにしよう。

スタンダードクラス501室のベッド
スタンダードクラス501室のベッド(****)
外部デッキ。突き当たりが操舵室
外部デッキ。突き当たりが操舵室(****)
 Aさんのご主人と筆者は同室で船室501が割り当てられ、Aさんの奥さんと娘、およびBさんは隣の船室502が割り当てられていた。Aさんは結婚記念に韓国旅行を計画したところ、大学1年の娘さんが同行を希望し、一緒に付いてきたという。娘さんのお目当ては、釜山の免税店でブランド品を父親に買ってもらうことだそうだ。そう言えば、2年前の韓国旅行でも、市街地の中心にあるロッテ・デパートの8階にある免税店フロアに連れて行かれたことがある。

●16時00分〜17時10分、操舵室
   旅行日程表には、乗船後午後4時までに案内デスクに「ブリッジツアー希望」と申し出ると、操舵室(ブリッジ)に特別に招待する、と書かれている。早速申し込むと、午後4時に案内デスクの前に集合してください、とのことだった。時間通りに出かけていくと、希望者は筆者とBさんの二人だけである。案内デスクの女性クルーが外部デッキの先端にある操舵室まで案内してくれた。操舵室には見学者用の椅子が備えられ、前面のガラス越しに船の進行方向を180度眺めながら、ゆっくりとクルージングを楽しむことができる。

 操舵室には中央にモニターが何台か置かれているだけで、舵など見あたらない。今は全てコンピュータ制御の自動運転だそうだ。したがって、船長と思われるスラリと背の高い男性と、彼の他に2人のクルーがいるだけだ。3人は時折モニターをのぞき込むだけで、手持ちぶさたといった風情である。椅子に座ると、クルーの一人がインスタントのお茶を紙コップに入れて持ってきて、フロントグラスの手前の棚の上に置いた。そして、
「わたくし、フィリピン人です。ゆっくり旅を楽しんでください」
と、たどたどしい日本語で話し、人なつっこい笑顔を見せた。

 パンスタードリーム号は、定刻の午後4時に岸壁を離れたようだ。ゆっくりと大阪港を出て明石海峡に向かって進む。船の右舷前方には、神戸の市街から背後の六甲の山並みが連なり、一方、左舷前方には、淡路島の島影がくっきりと水平線上に浮かんで見えた。

●17時少し前、明石海峡大橋を通過
 
午後5時少し前、明石海峡大橋の下を通過
午後5時少し前、明石海峡大橋の下を通過(***)

 日程表には、午後5時半ころ、明石海峡大橋を通過とあったが、実際はもっと早かった。出航してまもなく遙か前方に見えていた大橋が見えてくる。パンスタードリーム号は海面から最も高い位置にある橋の中央に船首を向けて近づき、5時少し前にその巨大な構造物の下をくぐり抜けた。

 明石海峡は、海の交通ラッシュが最も激しい海域の一つとされている。前方を行く大型貨物船が数隻の小型船を従えて、まるで船団を組んでいるように進む。船団の真上には、赤みを増した太陽があった。その光線を反射して、波間に光りの行路が一直線に延びている。明石海峡大橋を過ぎて、西の空にたなびく雲が赤みを増してきた。まことに神々しい光景である。

瀬戸内の海に沈む夕日
瀬戸内の海に沈む夕日(****)
●17時10分、日没を見る
   一日の最後の光芒を放って、太陽が真正面に水平線の彼方に沈んだ。通常なら操舵室への特別招待は15分ほどの予定になっている。だが、見学者が二人だけだったせいか、一時間以上の滞在を許してくれた。その間、操舵室で明石海峡大橋を見、狭い海峡を往来するさまざまな船を見、そして真っ正面で沈んで行く夕日を眺めた。180度のパノラマでこうした光景を満喫しながら豊穣な時間を過ごすことができたのは、まことに幸運だった。


 今をさかのぼる1400年前の旧暦7月4日か5日、小野妹子(おののいもこ)を大使とする遣隋使の船も同じように難波の津を出発していった。船出した時間はおそらく早朝だっただろうが、当時の船の速さを考えれば、彼もこの当たりで日没を迎えたであろう。船の舳先に立っっていたなら、小野妹子も、現在と同じように右舷に連なる六甲山系や左舷に横たわる淡路島を目にし、海峡から瀬戸内の海に入って、茫洋たる海原を目前にしたであろう。

 前方に広がる美しい夕焼けの景観を味わう余裕が妹子にあっただあろうか。おそらく彼は何ヶ月か後に相まみえることになる隋の二代目皇帝・煬帝(ようたい)の風貌を、あれこれ思い描いていただろう。そして、この巨大帝国の皇帝とどのように対峙すべきか、いろいろ思い悩んだであろう。彼の視線は西の海の遙か彼方を見据えていたはずである。

 夜は船内イベント鑑賞

 操舵室から戻ると、船室で少しまどろんだ。窓もなく、ベッドと簡易式ロッカーがあるだけである。鍵は一つしかないので、誰かが部屋にいるときはいいが、部屋に誰もいないと、フロントに鍵を預けなければならない。それを怠ると、鍵の所有者を探す手間がかかる。

 狭い部屋のベットで横になっていると、エンジンの音がまるで微震のように間断なく伝わってくる。瀬戸内海は波が静かなせいか、それとも大型船のためか、船のローリングはほとんど感じない。だが、遣隋使船の乗組員たちは、荷駄に囲まれてもっと狭い船底で昼夜を過ごしたはずだ。激しい揺れで水夫達以外は、誰もが船酔いに悩まされたであろう。海が荒れていたら、船腹にぶつかる波の音に命が縮まる思いをしたにちがいない。

 
船内のレストラ
船内のレストランとラウンジ(***)
●19時30分、レストランで夕食
   午後の7時過ぎに目が覚め、夕食を取りにロビーに出た。ロビーの横にコンビニがある。韓国の高校生が大勢ならんでカップヌードルを買っている。どうするのか見ていると、コンビニの入口近くに備えられた給湯器でお湯を注ぎ、部屋へ持ち帰るようだ。

 ロビーから船内のレストランに続く入口に、大画面のテレビモニターが置いてある。画面はパンスタードリーム号の現在位置を表示している。それを眺めていると、Bさんと出会ったので、一緒にレストランで食事をすることにした。

 Bさんは、50代の女性だが、どうやら話し好きのようだ。食事の間、尋ねもしないのにいろんな話をしてくれた。二人の息子さんの母親だが、この春、下の息子さんも就職して、ようやく子育ての肩の荷が降りたら、急に釜山へ行きたくなったそうだ。理由を聞くと、八幡製鉄に勤めていた叔父に招かれて子供の頃よく門司まで遊びに来たそうだ。来るたびに、ここから船に乗れば韓国まで簡単に行けると思ったが、その思いは見果てぬ夢として心の底に残っていた。たまたま新聞の広告でこの体験ツアーの募集を知り、子供の頃の夢を思い出して家族にツアー参加を相談したところ、皆が行ってくるようにと賛同してくれたという。

 
船内のイベント
船内イベントの舞台(***)
 食事の間、舞台で韓国の女性アーティストが胡弓に似た楽器を演奏してくれていた。ところが、8時になると、大勢の乗船客がレストランに押し寄せて、瞬く間に満席になった。船内イベントを見るために集まってきた人たちである。午後8時きっかりに、舞台に向かって光線ビームが照射され、フラッシュライトを浴びて若い女性キャラクタが登場した。今晩のイベントはのど自慢だそうだ。

 あらかじめ参加申し込みを受け付けていたらしく、彼女は次々と観客に向かって話しかけ、申し込み者を舞台に招き寄せる。韓国でもカラオケが盛んらしく、歌い手もかなりののど自慢のようだ。ハングルの歌詞は意味が分からないが、バックで演奏する曲はいずれも日本の演歌に似ている。

 塩川女史もレポートで書いていたが、韓国人は、本当に遊び方や楽しみ方が上手なようだ。歌が佳境に達すると、おばさんやおじさんが座席から立ち上がって、舞台で踊り出す。それを見て、客席から拍手と笑いがわき起こり、レストラン全体が光と騒音のルツボに変わっていく。

 イベントは夜の10時まで続くが、腕時計を見てシマッタと思った。パンスタードリーム号は瀬戸大橋を午後8時30分ころ通過する予定になっていたのをすっかり忘れていた。9時35分すぎに、慌てて外部デッキに飛び出したが、瀬戸大橋はすでに通過して、星がまたたく暗い夜空の下で、右舷に島影が連なって見えた。水平線のところどころに見える明かりは、漁り火かそれとも島の明かりか判然としなかった。

 二日目の朝、予定より40分遅れて釜山港に到着

●5時45分、外部デッキで夜明けを待つ
 朝の5時45分、外部デッキに出た。まだ夜明け前である。上空を見上げると、細くなった下弦の月が雲間に輝き、少し離れて明けの明星がひときわ強い光を放っていた。久しぶりに、北斗七星を見た。パンスタードリームは北極星を目印に進路を北西に取っていた。

 外部デッキの船尾に備えられたベンチに座って夜明けを待った。背後から吹き付ける風が冷たく、思わずコートの襟を立てた。パンスタードリーム号が最高速度の25.16ノットで航行しているとすれば、時速47キロの速度で走る車に乗っているようなものだ。車の窓を全開にしていれば、かなりの風を受けることになる。船上の夜風が強く冷たく感じて当然だ。

 5時50分、右舷に見える東の空に少しづつ赤みを増してきた。薄く紅を掃いたような空を隠すように、黒い雲が水平線の上を覆っている。船はすでに響灘から玄界灘に乗り入れているだろう。甲板から乗り出すと、黒い海原の波は静かだが、小さな波が川の流れのように早く船尾方向に流れて行く。それだけの早さで船が動いているということだ。反対方向から来た貨物船がすれ違い、瞬く間に遠ざかって行った。船が少しはローリングしているのか、甲板の床が前後左右に揺れるのを足の裏で感じた。

 大使小野妹子の通訳として鞍作福利(くらつくりのふくり)という渡来系の青年が、遣隋使船に同乗していた。彼の同族には嶋(しま)という叔母がいる。出家して善信尼(ぜんしんのあま)と名乗り19年前の588年前に2年間の予定で百済に留学した我が国最初の留学学問僧である。福利はおそらくその叔母から玄界灘の渡海の厳しさを聞かされていたであろう。

 遣隋使船は、鴻臚館のある博多の海で何日も風待ちをしたはずだ。玄界灘を一気に渡りきるには良風を得なければならない。船頭が良風をキャッチした早朝、船は那の津を離れ玄界灘へこぎ出したであろう。向かう先は、壱岐、対馬を経て朝鮮半島の南岸である。渡海の不安を抱いて眠れぬ朝を迎えた福利も、船尾に立って水平線上に遠ざかっていく九州の山並みをいつまでも瞼の裏に焼き付けていたであろう。

●6時40分、真っ赤に燃えた日の出の太陽を拝む
 遙か後方の東の空が明るさを増してきた。その明るさが、地平線上にちぎれちぎれに浮かぶ雲を一層黒く見せている。船が進むにつれて北の空から押し出されるように、雲が上空を覆いはじめた。先ほど見えていた北斗七星が雲に隠れた。広い海原を行く船上からは、島影が見えない。唯一、後方の水平線上にいくつかの漁り火が見えた。広大な海と空との大自然の中で、それだけが唯一人間の営みを感じさせる暖かさだった。

 午前6時、薄い紅を掃いた東の空を背景に、水平線上に低い陸の影があぶり出されるように見えてきた。6時20分、ずいぶん空が明るくなってきた。橿原では、この時間には神宮外苑の樹木の間から朝日が差し込むころだ。

 6時40分、すっかり夜が明け、地平線に太陽が顔を出した。真っ赤な炎に燃えた円盤を思わせる朝日だった。あっという間に水平線の上に浮かび上がり、くれないの円盤がまばゆく輝く金色に変わっていく。何時の間にか韓国の高校生たちが外部デッキに出てきて、携帯電話のカメラで朝日を写していた。

●7時55分、対馬の島影を遠望
 午前7時前、左舷に小さく見えていた島影があった。ひょっとしたら沖の島かもしれない。ロビーのモニターでパンスタードリーム号の現在位置を確認すると、対馬の東方海上を北上中である。だが、水平線付近が霞んでいて対馬の島影は裸眼では確認できない。

 モニター画面に表示されている地図を見て、不思議なことに気づいた。日本領土内の地名はローマ字で黒く、韓国領土内の地名はハングル文字で赤く表示されている。ところが、対馬はハングル文字で「テマド」(対馬島)と表示されている。まるで、対馬は韓国領土とでも言いたいようだ。

 2年前の3月16日、島根県県議会は2月22日を「竹島の日」とする条例を議決した。それがきっかけになって韓国の反日ムードが一挙に高まった。島根県議会の条例制定に対抗して、慶尚南道馬山(マサン)の市議会は、6月19日を「対馬の日」とする条例案を可決した。我が国の政府はこうした事態に対して何もクレームを付けなかった。日本国民も無関心だった。だが、乗船している多くの韓国の高校生たちもこの地図を見ている。彼らに誤った知識を植え付けないためにも、日本政府は厳重な抗議を行なうべきであろう。

 午前7時55分、外部デッキに出てみると左舷に雲か島影か判然としない灰色の部分が水平線上に見えた。モニター画面で確認したところでは、東経130度の線はとっくに越えた。画面に表示されたパンスタードリーム号の現在位置は、対馬の北端を回り込み、その沖合いを釜山に目指しているようだ。空は晴れてきた。昇りきった太陽が海原を照らしてまぶしい。

 デッキから身を乗り出して海面を見ると、ペットボトルや何かの破片などが波間に浮かんでいる。おそらく韓国の海岸で投げ捨てられたものだろうが、これらの浮遊物はやがて対馬の海岸に打ち上げられる。韓国からの浮遊物が対馬の海岸に堆積して手のほどこしようがない状態になっているのを、以前にテレビで見たことがある。

外部デッキから見た釜山
外部デッキから見た釜山(***)
 8時40分、まだ対馬の島影が相変わらず左舷に見えている。対馬と朝鮮半島の間を対馬海峡は、潮の流れが速いと聞いている。朝日を浴びた海原のうねりが大きくなってきたようだ。ところどころで波の波頭が白く砕け散っているのが見える。水平線というのは、白いチョークで引いた細い線のようだ。ようやく左舷前方の水平線の上に朝鮮半島の陸地がうっすらと見えてきた。左舷後方を振り返ると、対馬の北端が見えている。

 対馬は九州本土から138キロだが、韓国の釜山まではわずか49.5キロの位置にある。北九州へ行くより、釜山のほうがはるかに近い。何かの本で読んだことがあるが、戦前は対馬の北端に位置する鰐の浦の住民は、日帰りで釜山に映画を見に出かけたそうだ。最近では、対馬海峡を三日がかりで18.5時間をかけて泳いで横断したという記録もある。

●10時40分、釜山港に到着

見えてきた高層マンション群
見えてきた高層マンション群(***)
クレーンが建ち並ぶ岸壁
クレーンが立ち並ぶコンテナターミナル(***)
 9時15分、外部デッキに出ると、はるか前方に釜山港を囲む半島や島の緑がうっすらと見えてきた。時間とともに前方の景観の輪郭が明確になっていく。左手前方に見えてきたのは、山の頂に通信用のアンテナが3本聳えている影島(ヨンド)であろう。右手前方には、半島の先端に立ち並ぶ高層マンションが見えてきた。パンスタードリーム号はゆっくりした速さで、釜山湾に入っていく。国際フェリーターミナルは釜山港の一番奥にある。

 外部デッキから高層マンション群を眺めていると、コンテナを積んだ貨物船が併走して港に入ってきた。その貨物船が向かっているのはコンテナターミナルで、岸壁には巨大がクレーンが何本も林立している。釜山港は韓国第一の港である。貨物船の間を縫って入港するパンスタードリーム号のデッキからでも、港の活気がよく見て取れる。

 朝の太陽を浴びて、釜山港の背後に連なる市街地の白い建物がまぶしい。釜山市の人口は360万人、一方、大阪市の人口は 2007年5月1日現在、264万人。釜山市は大阪よりもはるかに大きい巨大都市であり、内外の物流の拠点である。

 パンスタードリーム号は、ようやく10時40分に釜山港の国際フェリーターミナルに着岸した。穏やかな天候に恵まれた航海のように思えたが、なぜか予定より40分も遅れた。



入港直前の釜山市街
入港直前の釜山市街(***)

 滞在時間わずか3時間半に釜山市内観光

釜山国際旅客ターミナル
釜山国際旅客ターミナル(****)
 パンスタードリーム号から下船すると、長い通路を歩かされてフェリーターミナルの建物に着いた。さすがに韓国第一の港とあって、ここの港湾設備は立派である。大阪国際フェリーターミナルのPanStar専用の施設とは比べようもない。入国審査・税関申告を経て、出迎えロビーに出ると、このツアーの名前を書いた紙を持って、現地ガイドの若い女性が迎えてくれた。

 税関を出たのが午前11時。同じパンスタードリーム号が午後4時に大阪に向けて出航するため、その船で帰国するには2時半には通関手続きを始めなければならない。つまり、釜山滞在時間はたった3時間半しかない。ガイドの説明だと、これだけの時間で免税店に立ち寄り、韓国名物プルコギで昼食を取り、釜山屈指の龍頭山(ヨンドゥサン)公園を散策し、さらに国際市場を見学するという。

 今回のツアー参加は、瀬戸内のクルージングを楽しむためで、釜山見学が目的ではない。でも短い時間で精一杯あちこち案内しようとする現地ガイドの熱意を買って、楽しく市内観光に付き合うことにした。ところで、この現地ガイドの娘さんは長身でスラリとスタイルが良い。身長は170cmでスラックス姿がよく似合う。惜しいことに、まだ日本語を習い始めて3ヶ月ということで、説明がたどたどしい。

 一行を乗せたワンボックスカーが最初に向かった先は、西面繁華街のロッテ百貨店釜山店。釜山地域に本格的な百貨店文化を誕生させた店で、8階には高級ブランドを揃えた免税店がある。大学生の娘を連れた夫婦の目的地はどうやらこの免税店だったようだ。結婚記念日の買い物と娘のおねだりの免税品をここで買い付けるらしい。彼らの後に付いていくと、まずルイビトンの店に飛び込んだ。

韓国名物「プルコギ」
韓国名物「プルコギ」(****)
免税品など興味がないので、彼らが買い物を済ませてくるまで休憩室の椅子に腰掛けてガイドとおしゃべりをして過ごした。まだ若い娘さんだと思ったのに、自分からもう30歳になっていると告げた。以前は別の会社でOLとして働いていたが、ガイドの仕事に憧れて転職したとのことだ。日本へ1年ほど語学留学するのが現在の夢だそうだ。

 ロッテ百貨店で買い物を済ませた後、市内の韓国料理店に入った。事前に連絡してあったのか、すでにテーブルに食事の準備ができていた。韓国料理は概して辛いものが多いが、プルコギは辛くない食べ物の代表だそうだ。醤油ベースの甘辛の味付け肉を野菜と鍋で煮込んで、生の葉っぱで巻いて食べるジュ−シ−な肉料理である。

公園に置かれた龍のモニュメント
公園に置かれた龍のモニュメント(****)
 食後の腹ごなしという訳でもないが、昼食を済ませると龍頭山(ヨンドゥサン)公園へ向かった。公園が位置する山は、その形が海から陸地に上がってくる龍の頭に似ていることに因んで龍頭山と名付けられたそうだ。港の近くの丘に築かれたこの景勝地は、市民の憩いの場として知られている。公園の中心には、高さ120mと釜山タワーが聳え、その展望台から釜山市内や釜山港の全景を見渡すことができる。良く晴れ渡った日には対馬も遠望できるとのことだ。

釜山タワーと李舜臣将軍の像
釜山タワーと李舜臣将軍の像(****)
 釜山タワー辺りには、日本との通商の窓口として1678年に築かれた草梁倭館があった。その周辺に500人以上の日本人が居住し、貿易や外交に従事していたため、当時はこの付近は日本人の村のようだったという。現在、釜山タワーの前に巨大な銅像が建っている。豊臣秀吉が仕掛けた文禄・慶長の役のとき、朝鮮水軍を率いて日本軍を苦しめたお馴染みの国民的英雄・李舜臣(イスンシン)将軍の像である。将軍は現在も対馬海峡に向かって毅然と立っている。

 最後に訪れた国際市場は、衣料品から食料品、土産物など何でもそろう場所として、観光客にも知られている。Bさんはこの市場で眼鏡を新調した。フレームが形状記憶型のものである。韓国では眼鏡が廉価で、日本ではとてもこの値段では買えないとのことだ。手ぶらで帰るのも気が引けたので、筆者も韓国キムチの店でわずかばかりの買い物をした。国際フェリーターミナルに戻ってきたときは、すでに2時半を過ぎていて、通関手続きが始まっていた。

 3日午後4時すこし前、釜山港の岸壁を離れる

釜山港で出航を待つパンスタードリーム号
釜山港で出航を待つパンスタードリーム号(***)

 予定ではパンスタードリーム号は午後4時出航のはずだった。しかし、外部デッキに出たときには、すでに岸壁を離れ、入港してくるコンテナ船とすれ違うようににして、ゆっくりと釜山湾の出口に向かって動き始めていた。入港するとき外部デッキから眺めた景色が、まるでフィルムを逆回しするように徐徐に遠ざかっていく。ふと、小野妹子たち遣隋使の一行は、帰国の際に釜山港に立ち寄ったかどうか気になった。立ち寄ったのであれば、この地から対馬を目指して大海に船を進めたにちがいない。

   『日本書紀』には、推古天皇16年(608)夏4月、小野妹子が大唐から帰朝した、と伝えている。大唐とは当時の隋であり、旧暦の夏4月は現在の5月である。初夏の汗ばむような時期に、一行は筑紫の那の津に戻ってきた。一行は、裴世清(はいせいせい)以下13人からなる隋の使節団を伴っていた。

釜山港を離れる
釜山港を離れる(***)
 『魏志倭人伝』には、朝鮮半島の南岸に狗邪韓国(くやかんこく)という国があり、倭国の北岸だったと記す。韓国考古学会では、狗邪韓国は現在の釜山市東莱(福泉洞)にかって存在し、後に金官伽耶の時代に金海市良洞里、さらに金海市大成洞に移ったとされている。つまり、卑弥呼の時代、あるいはその以前からこの地は、朝鮮半島で産する鉄などを調達する倭の出先だったようだ。したがって、多くの倭人が住んでいたことになる。

五六島
韓国の見納めは五六島(***)
 金海をはじめ、朝鮮半島南部にあった加耶諸国は、562年までには三国時代の新羅に併合されている。これを機に、当時の倭国は新羅を仮想敵国と見なしてさまざまな外交を展開したとされている。聖徳太子の時代には新羅征討の軍事作戦まで発動した。その点を考えれば、遣隋使の一行は往路や復路に新羅を経由したとは考えにくい。だが、復路では新羅の宗主国である隋の使節団を伴っている。妹子が優秀な外交官であったならば、意図的に新羅の領土を経由して倭国の威信を示したかもしれない。

 パンスタードリーム号の左舷に五六島が見えてきた。五六島はその日の潮の満ち引きによって島が5つに見えたり6つに見えたりする。そのことが名前の由来だそうだ。五六島を過ぎると、朝鮮海峡の大海原が前方に広がる。

●17時05分、右舷はるか彼方の洋上に日没を見る
 パンスタードリーム号の右舷のベンチに腰掛けていると、韓国人の旅行客が海面を指さしながら、盛んになにかを話しかけてくる。何を言っているのか分からなかったが傍へ寄ってみると、海面の下に魚影が見えた。どうやらイルカのようだった。彼はそのことを教えたかったのだろう。

 午後の5時を過ぎた。右舷遙か彼方の水平線上にあかね雲がたなびき、日没が迫っていた。雲とも島影とも判別しにくい灰色の影が水平線上に浮かんでいる。右舷を西にたどれば、朝鮮半島南岸の沖に散らばる多島海の海だ。おそらく夕日は多島海の彼方に沈んで行くのだろう。日没が迫って、対馬の島影も幾分輪郭をましてきて、あかね色の空を背景に黒々と見えた。

●19時30分、外部デッキに出て関門海峡の夜景を楽しむ
 船室のベッドでまどろんでいると、「まもなく関門海峡を通ります、美しい両岸の夜景をお楽しみください」とアナウンスが流れた。急いで外部デッキに出ると、すでに船は光の帯の中にあった。右舷に門司の湾岸沿いの建物や道路がまるでライトアップされたように美しく浮かび上がっている。左舷は、右舷ほどではなくても、彦島の夜景が続いている。こうした夜景が船の動きにつれて少しずつ後方へ移動していくのを船上から眺めて旅するのは、おそらくクルージングの醍醐味なのだろう。

 ライトアップした大型客船がパンスタードリーム号の左舷前方を進んでいたが、巌流島の島影を過ぎたあたりで、大きく舵を左に切り出した。どうやら下関港に向かう客船のようだ。パンスタードリーム号はそのまま北上を続けている。右舷から見える片上海岸沿いの国道を走る車の列を目で追っていくと、ひときわ明るくライトアップされた場所があった。門司港レトロ地区である。

 下関と門司を結ぶ関門橋の下を通過するのは19時20分頃の予定である。甲板のベンチに座って門司の夜景を楽しんでいるBさんを見つけたので、隣に座って少し雑談をした。遠くに見えていた関門橋の明かりが少しずつ近づいてくる、その橋を見やりながら、彼女は幼い頃の思い出を語ってくれた。

関門橋
関門橋(****)
 造船所で働く叔父を訪ねてきたとき、叔父に誘われて関門橋を歩いて渡ったことがあるそうだ。幼心にも、その橋の巨大さに感動したが、歩いているとき橋が揺れて怖かったとのことだ。また、叔父に連れられて橋の近くの海でよく釣りをして、いろんな魚を釣った思い出もあるそうだ。

 関門橋の下を通過するとき、下からその橋梁を見上げた。我が国最先端の技術を駆使して1973年に完成した吊り橋は、完成当時は東洋一の長大吊橋として話題を集めた。だが、その後に本州と四国を結ぶ大きな橋が何本も架けられたのを知っている我々には、関門橋がそれほど大きいとは思えない。彼女もそのことを実感したように、「意外と短いのね」とつぶやいた。彼女の記憶の中にあった関門橋はとてつもなく大きくイメージされていたようだ。

4日、瀬戸内の島々の景観を堪能しながら大阪港へ

●5時50分、瀬戸大橋の下を通過

 日程表では、瀬戸大橋通過は午前5時30分ころとなっている。5時半では、瀬戸内の海はまだ夜のとばりの中にある。眠っている間に、パンスタードリーム号は周防灘に入り、松山沖を通り、さらに、しまなみ街道の来島海峡大橋の下を通過して、すでに瀬戸内海を航行しているはずである。いずれの場所も寝ていて通過に気づかなかった。だが、1988年に開通し、全長13.1kmと鉄道・道路併用橋としては世界最長を誇る瀬戸大橋だけは、なんとしても見ておきたい。

瀬戸大橋
瀬戸大橋(****)

 外部デッキにでるためにAデッキまで上がっていくと、自動販売機が置かれている休憩室の窓ガラスの傍にBさんが座っていた。やはり、瀬戸大橋を見たくて早起きしてきたとのことだ。外が寒いので、橋が見えてくるまで、こうして窓ガラス越しに外を眺めている、という。

 外部デッキに出ると、さすがに夜明け前の冷たい風が吹き付けて、おもわずコートの襟を立てた。左舷でも右舷でも、島影が重なり合いながら後方へ押し流されていくのが、かすかに明るくなってきた空の下で分かる。あるいは島に見えたのが本州や四国の陸地かもしれない。

 まもなく前方に光りの帯が姿を現し、船の行く手を遮るように延びているのが見えてきた。瀬戸大橋の街灯の列である。5時50分、パンスタードリーム号は瀬戸大橋の橋梁の下をくぐり抜けた。下から見上げていると、赤いマストが橋梁に接触するのではと思えるほど接近して通過した。

 その後、次第に赤みを増してきた東の空から朝の太陽が顔を出すのを待ち望んで、甲板の椅子に腰を下ろした。そして、重なり合ったり、離れたりする島影を眺めながら、瀬戸内海を航行する船の難しさを思った。この多島海を航行するには、それぞれの島の配置を熟知している船頭の存在が不可欠だ。島の位置だけではない。潮の流れや、風の方向なども的確に読める船頭が必要だ。そうなると、地元の船頭を頼る以外にない。遣隋使たちも、たとえば難波津から博多の那の津まで、那の津から朝鮮半島の南岸まで、半島の南岸から西岸に広がる多島海といったように、適当に航路を区切り、それぞれの区域でベテランの船頭を調達したであろう。

●9時25分、明石海峡大橋の下を通過
 6時20分、東の空ににたなびくあかね色の雲がますます赤みを増してきた。まもなく日の出である。右舷に立つと、船は四国の高松の沖を航行中のようだ。まだ朝が早いのに、漁船が波間に漂っている。6時30分、何という島なのか名前は分からないが、その島の山と山が連なる窪みから朝日が顔を出した。

 本船を曳航するように先を進んでいた船が、進路を左に切った。おそらく、本州のどこかの港を目指しているのだろう。7時5分、朝日を浴びて瀬戸内の海に浮かぶ島がくっきりと識別できるようになった。島の山を眺めていると、いろいろな形をしていて面白い。左舷に出ると、大きな島が迫っていた。小豆島のようだ。坪井栄の「二十四の瞳」を思い出した。分教場があったとされる半島はどのあたりだろうか。

明石海峡大橋を真下から見上げる
明石海峡大橋を真下から見上げる(***)
 眠気覚ましに展望浴室で湯浴みをした。浴室の窓から、小豆島が見えていた。再び外部デッキに出ると、右舷に四国の山影が見え、目をこらすと、はるか彼方に橋のようなものがうっすらと浮かんでいる。あるいは鳴門大橋かもしれない。そうであれば、船はこれから淡路島の西側を北上して、明石海峡に向かうことになる。

 左舷前方にいくつかの島が見えてきた。遠くて判然としないが、どうも家島諸島のようだ。そうであれば、赤茶けた山肌を見せているのは、以前に家島から眺めた男鹿島であろう。どうやら明石海峡は近い。

 8時50分、操舵室を除くと前方に明石海峡大橋が小さく見えていた。この時間になると、外部デッキで受ける風の冷たさもなくなり、さわやかである。9時25分、明石海峡大橋の下を通った。かなり多くの乗船客がデッキに出てきて、橋梁を見上げながらデジカメや携帯で撮影している。

 10時20分、大阪港に着岸

着岸したパンスタードリーム号
着岸したパンスタードリーム号(****)
 明石海峡大橋を通過しておよそ1時間、10時20分にパンスタードリーム号は大阪港の岸壁に着岸した。船内のアナウンスでは、予定より20分の延着とのことだった。下船すると、バスで国際フェリーターミナルの前まで運ばれた。ところが、入国手続きには建物の2階まで非常階段のような急な階段を登らなければならない。エスカレータやエレベータといった設備はないようだ。ひときわ大きなトランクを持った女性は、階段を見上げて思わず絶句していた。バリアフリーが叫ばれる現代、このような利用者無視の施設が放置されているのが不思議だった。

 パックツアーは通関後、流れ解散となった。フェリーターミナルからコスモスクエア駅まで、パンスタードリーム号の到着に合わせて無料シャトルバスが当然運航しているものと思っていた。ところが、シャトルバスを利用するには、11時25分まで待たなくてはならない。お急ぎの方はタクシーを利用するか、あるいは徒歩でご帰宅ください、と言うわけだ。コスモスクエア駅までは、およそ900m。ツアー参加者の5人は、駅まで歩くことにした。キャスター付きのトランクを引っ張りながら、人気のない歩道を黙々と歩いていく姿を見るにつけ、破格の低料金パックツアーだけのことはあると思った。(完)


(*) 「PanStar Cruise Ferry」より転記
(**)大阪市HP「港湾施設」から流用
(***)塩川女史より提供された写真をアレンジ
(****)個人のHPより借用(あらかじめ事前承諾をいただこうと思いましたがメールの宛先が不明のため、勝手ながら無断借用させていただきました。差し障りがあるようでしたら、ご連絡ください。対処いたします。)


2007/11/08作成 by pancho_de_ohsei
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